松浦佐用姫(まつらさよひめ、まつうらさよひめ)は、現在の唐津市厳木町にいたとされる豪族の娘。単に佐用姫(さよひめ)とも呼ばれる。 大伴狭手彦の妾(つま)で、その朝鮮遠征(6世紀)を領巾(ひれ)を振って見送り、悲痛に別れを惜しんだとされ、そのとき登攀していた山が領巾麾之嶺(ひれふりのみね)と呼ばれるようになった(『万葉集』)。 ほぼ同時代の別の伝承(『肥前国風土記』)では弟日姫子(おとひひめこ)と呼ばれており、後日談として、夫の出国から五日後から、夫そっくりに化身した者(正体は大蛇)が夜あらわるようになったと加えられている。これを追跡して正体を暴いたが、そのまま行方不明となり遺骨で発見された。また、夫の贈物の鏡を失意で落とした場所が「鏡の渡り」として知られるようになったとする。 室町時代の頃までには、姫が悲しみのあまり石(いわゆる望夫石)と化したという伝承が加わり、能では鏡を抱いて入水したとなっている。 さよ姫の物語(御伽草子)や説教節では、父の供養のために自らを身売りし、思いもよらず蛇神に生贄にされるところを、蓮華経を読経したことで蛇が女性の姿に戻り救われる話になっている。この物語は、琵琶湖の竹生島神社に祀られる神が本来は仏教の弁財天であると説く本地物も織り込まれている。

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  • 松浦佐用姫(まつらさよひめ、まつうらさよひめ)は、現在の唐津市厳木町にいたとされる豪族の娘。単に佐用姫(さよひめ)とも呼ばれる。 大伴狭手彦の妾(つま)で、その朝鮮遠征(6世紀)を領巾(ひれ)を振って見送り、悲痛に別れを惜しんだとされ、そのとき登攀していた山が領巾麾之嶺(ひれふりのみね)と呼ばれるようになった(『万葉集』)。 ほぼ同時代の別の伝承(『肥前国風土記』)では弟日姫子(おとひひめこ)と呼ばれており、後日談として、夫の出国から五日後から、夫そっくりに化身した者(正体は大蛇)が夜あらわるようになったと加えられている。これを追跡して正体を暴いたが、そのまま行方不明となり遺骨で発見された。また、夫の贈物の鏡を失意で落とした場所が「鏡の渡り」として知られるようになったとする。 室町時代の頃までには、姫が悲しみのあまり石(いわゆる望夫石)と化したという伝承が加わり、能では鏡を抱いて入水したとなっている。 さよ姫の物語(御伽草子)や説教節では、父の供養のために自らを身売りし、思いもよらず蛇神に生贄にされるところを、蓮華経を読経したことで蛇が女性の姿に戻り救われる話になっている。この物語は、琵琶湖の竹生島神社に祀られる神が本来は仏教の弁財天であると説く本地物も織り込まれている。 (ja)
  • 松浦佐用姫(まつらさよひめ、まつうらさよひめ)は、現在の唐津市厳木町にいたとされる豪族の娘。単に佐用姫(さよひめ)とも呼ばれる。 大伴狭手彦の妾(つま)で、その朝鮮遠征(6世紀)を領巾(ひれ)を振って見送り、悲痛に別れを惜しんだとされ、そのとき登攀していた山が領巾麾之嶺(ひれふりのみね)と呼ばれるようになった(『万葉集』)。 ほぼ同時代の別の伝承(『肥前国風土記』)では弟日姫子(おとひひめこ)と呼ばれており、後日談として、夫の出国から五日後から、夫そっくりに化身した者(正体は大蛇)が夜あらわるようになったと加えられている。これを追跡して正体を暴いたが、そのまま行方不明となり遺骨で発見された。また、夫の贈物の鏡を失意で落とした場所が「鏡の渡り」として知られるようになったとする。 室町時代の頃までには、姫が悲しみのあまり石(いわゆる望夫石)と化したという伝承が加わり、能では鏡を抱いて入水したとなっている。 さよ姫の物語(御伽草子)や説教節では、父の供養のために自らを身売りし、思いもよらず蛇神に生贄にされるところを、蓮華経を読経したことで蛇が女性の姿に戻り救われる話になっている。この物語は、琵琶湖の竹生島神社に祀られる神が本来は仏教の弁財天であると説く本地物も織り込まれている。 (ja)
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  • 松浦佐用姫(まつらさよひめ、まつうらさよひめ)は、現在の唐津市厳木町にいたとされる豪族の娘。単に佐用姫(さよひめ)とも呼ばれる。 大伴狭手彦の妾(つま)で、その朝鮮遠征(6世紀)を領巾(ひれ)を振って見送り、悲痛に別れを惜しんだとされ、そのとき登攀していた山が領巾麾之嶺(ひれふりのみね)と呼ばれるようになった(『万葉集』)。 ほぼ同時代の別の伝承(『肥前国風土記』)では弟日姫子(おとひひめこ)と呼ばれており、後日談として、夫の出国から五日後から、夫そっくりに化身した者(正体は大蛇)が夜あらわるようになったと加えられている。これを追跡して正体を暴いたが、そのまま行方不明となり遺骨で発見された。また、夫の贈物の鏡を失意で落とした場所が「鏡の渡り」として知られるようになったとする。 室町時代の頃までには、姫が悲しみのあまり石(いわゆる望夫石)と化したという伝承が加わり、能では鏡を抱いて入水したとなっている。 さよ姫の物語(御伽草子)や説教節では、父の供養のために自らを身売りし、思いもよらず蛇神に生贄にされるところを、蓮華経を読経したことで蛇が女性の姿に戻り救われる話になっている。この物語は、琵琶湖の竹生島神社に祀られる神が本来は仏教の弁財天であると説く本地物も織り込まれている。 (ja)
  • 松浦佐用姫(まつらさよひめ、まつうらさよひめ)は、現在の唐津市厳木町にいたとされる豪族の娘。単に佐用姫(さよひめ)とも呼ばれる。 大伴狭手彦の妾(つま)で、その朝鮮遠征(6世紀)を領巾(ひれ)を振って見送り、悲痛に別れを惜しんだとされ、そのとき登攀していた山が領巾麾之嶺(ひれふりのみね)と呼ばれるようになった(『万葉集』)。 ほぼ同時代の別の伝承(『肥前国風土記』)では弟日姫子(おとひひめこ)と呼ばれており、後日談として、夫の出国から五日後から、夫そっくりに化身した者(正体は大蛇)が夜あらわるようになったと加えられている。これを追跡して正体を暴いたが、そのまま行方不明となり遺骨で発見された。また、夫の贈物の鏡を失意で落とした場所が「鏡の渡り」として知られるようになったとする。 室町時代の頃までには、姫が悲しみのあまり石(いわゆる望夫石)と化したという伝承が加わり、能では鏡を抱いて入水したとなっている。 さよ姫の物語(御伽草子)や説教節では、父の供養のために自らを身売りし、思いもよらず蛇神に生贄にされるところを、蓮華経を読経したことで蛇が女性の姿に戻り救われる話になっている。この物語は、琵琶湖の竹生島神社に祀られる神が本来は仏教の弁財天であると説く本地物も織り込まれている。 (ja)
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