牛李の党争(ぎゅうりのとうそう)は、中国唐代の憲宗朝から宣宗朝(808年から849年)にかけて起こった、朝廷内部での政治闘争。唐全土で半独立状態を形成した節度使率いる藩鎮の処遇をきっかけとして、牛僧孺・の牛党と李徳裕の李党の間で激しい権力闘争が行われ、政治的混乱をもたらし、唐滅亡の要因となったと評される。