鄧 石如(とう せきじょ、1743年 - 1805年)は、中国清朝中後期の最も傑出した書家・篆刻家である。書家としては篆隷に新しい境地を開き、碑学派の開祖とされた。また篆刻でも復古主義の旧習を打破し鄧派(新徽派・後徽派)の開祖となる。 初名を琰といったが、嘉慶帝の諱である顒琰を避けて字の石如を名とし、字は頑伯とした。号は古浣子、完白山人。安徽省安慶府懐寧県集賢関(現在の安慶市宜秀区、大観区の境界付近)の人。