金嬉老事件(きんきろうじけん、キムヒロじけん)は、1968年2月20日に在日韓国人二世の金嬉老(きんきろう(キム・ヒロ)、改名後の本名:権禧老(クォン・ヒロ)、1928年11月20日 - 2010年3月26日、事件当時39歳)が犯した殺人を発端とする監禁籠城事件である。寸又峡事件とも呼ばれる。 籠城中に警察に差別発言への謝罪を求め、記者会見を何度も開くなどし、事件は殺人事件から差別の告発に急変する。親族は「当時、在日はみんな差別された。金嬉老は殺人を民族問題にすり替え、社会がそれを利用した」と語った。