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食道がんの公表につき、出典を追記 + {{存命人物の出典明記}}。関連項目は記載する必要性が高いとはいえないと判断し除去します。
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{{存命人物の出典明記|date=2012年3月}}
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| Name = なかにし礼
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[[2006年]]2月、なかにしの全音楽作品における自身が保有する全ての権利を[[日音|株式会社日音]]に譲渡した。<!--NOR : なかにしの手がけた歌詞はインパクトの強いものが多く、ラジオ番組『[[伊集院光・日曜日の秘密基地]]』で不定期にやる「おバ歌謡」特集や、『[[福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ]]』で2008年一時的に放送された「すごい歌詞の歌特集」でネタにされているほど。『伊集院~』にはなかにし本人も番組にゲスト出演している。-->
[[2006年]]2月、なかにしの全音楽作品における自身が保有する全ての権利を[[日音|株式会社日音]]に譲渡した。<!--NOR : なかにしの手がけた歌詞はインパクトの強いものが多く、ラジオ番組『[[伊集院光・日曜日の秘密基地]]』で不定期にやる「おバ歌謡」特集や、『[[福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ]]』で2008年一時的に放送された「すごい歌詞の歌特集」でネタにされているほど。『伊集院~』にはなかにし本人も番組にゲスト出演している。-->


[[All-nippon News Network|テレビ朝日系列]]で放送されている[[ワイドショー]]『[[ワイド!スクランブル]]』のコメンテーターを務める。二度目の妻の[[石田ゆり]](いしだあゆみの実妹)がフィギュアスケート一家の出であり、それを元に『てるてる坊主の照子さん』を執筆する。以前は[[大韓民国|韓国]]の[[キム・ヨナ]]の大ファンであることを公言していたが、キムが[[2009年世界フィギュアスケート選手権|2009年世界選手権]]を前に[[金妍兒#「練習を妨害された」発言|「練習を妨害された」]]と発言したことを「フェアではない」と批判、キムに対し「冷めてきている」と述べた<ref>2009年4月20日『ワイド!スクランブル』(テレビ朝日系列)にて</ref>。また、2010年バンクーバーオリンピックに関して「五輪ではジャッジの皆さんがキムヨナ病にかかっていたとしか思えませんね。昨日の真央ちゃんとキムヨナの演技(2010年世界選手権)、どう見たって天と地ほど差があるのに、あの点数はおかしいですよ」と発言した<ref>2010/03/29(月)テレビ朝日「ワイド!スクランブル」より</ref>。福島第一原子力発電所の問題で、専門家が否定する中、チェルノブイリのようになる可能性はある、と断言。その後、私は専門知識はないですが、と釈明<ref>2011/03/14(月)テレビ朝日「ワイド!スクランブル」より</ref>。さらに[[計画停電]]について「無計画停電である」と断言し、全国で節電すればよいと発言した<ref>当然ながら東日本と西日本ではヘルツ数が異なるため、西日本での節電はほぼ無意味である。</ref>
[[All-nippon News Network|テレビ朝日系列]]で放送されている[[ワイドショー]]『[[ワイド!スクランブル]]』のコメンテーターを務めていたが、2012年3月5日の放送で、食道がんであことを報告治療のため番組を降板し他の仕事も休業することを明らかにした<ref>{{cite news |title=なかにし礼氏が食道がん告白、治療に専念へ「初期より少し進んだ状態」 |author= |newspaper=[[スポーツニッポン|スポニチ Sponichi Annex]] |date=2012-03-05 |url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/03/05/kiji/K20120305002766030.html |accessdate=2012-03-05}}</ref><ref>{{cite news |title=なかにし礼さん、食道がん告白 |author= |newspaper=[[テレビ朝日|テレ朝news]] |date=2012-03-05 |url=http://www.tv-asahi.co.jp/ann/geinou/geinou_news/contents/hot_20120305_080.html|accessdate=2012-03-05}}</ref><ref>{{cite news |title=なかにし礼氏 食道がん告白 手術へ |author= |newspaper=[[デイリースポーツ|デイリースポーツonline]] |date=2012-03-05 |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/2012/03/05/0004861010.shtml |accessdate=2012-03-05}}</ref>。
<!-- 二度目の妻の[[石田ゆり]](いしだあゆみの実妹)がフィギュアスケート一家の出であり、それを元に『てるてる坊主の照子さん』を執筆する。以前は[[大韓民国|韓国]]の[[キム・ヨナ]]の大ファンであることを公言していたが、キムが[[2009年世界フィギュアスケート選手権|2009年世界選手権]]を前に[[金妍兒#「練習を妨害された」発言|「練習を妨害された」]]と発言したことを「フェアではない」と批判、キムに対し「冷めてきている」と述べた<ref>2009年4月20日『ワイド!スクランブル』(テレビ朝日系列)にて</ref>。また、2010年バンクーバーオリンピックに関して「五輪ではジャッジの皆さんがキムヨナ病にかかっていたとしか思えませんね。昨日の真央ちゃんとキムヨナの演技(2010年世界選手権)、どう見たって天と地ほど差があるのに、あの点数はおかしいですよ」と発言した<ref>2010/03/29(月)テレビ朝日「ワイド!スクランブル」より</ref>。福島第一原子力発電所の問題で、専門家が否定する中、チェルノブイリのようになる可能性はある、と断言。その後、私は専門知識はないですが、と釈明<ref>2011/03/14(月)テレビ朝日「ワイド!スクランブル」より</ref>。さらに[[計画停電]]について「無計画停電である」と断言し、全国で節電すればよいと発言した<ref>当然ながら東日本と西日本ではヘルツ数が異なるため、西日本での節電はほぼ無意味である。</ref>。※ウィキペディアは情報を無差別に集積する場ではないため、コメントアウトします。-->
2012年3月5日番組内で、進行した食道がんであることを報告。


==作品==
==作品==
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== 著書 ==
== 著書 ==
; 詞集
=== 詞集 ===
*『エメラルドの伝説』 - 作品集(新書館、1969年)
*『エメラルドの伝説』 - 作品集(新書館、1969年)
*『シャンソン詩集141・さらば銀巴里』(さがみや書店、1991年)
*『シャンソン詩集141・さらば銀巴里』(さがみや書店、1991年)
*『なかにし礼訳詞による[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]歌曲集』(音楽之友社、1991年)
*『なかにし礼訳詞による[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]歌曲集』(音楽之友社、1991年)
*『昭和忘れな歌 - 自撰詞華集』(新潮文庫、2004年)
*『昭和忘れな歌 - 自撰詞華集』(新潮文庫、2004年)
; 創作
=== 創作 ===
*『花物語』(新書館、1970年)のち新潮文庫 
*『花物語』(新書館、1970年)のち新潮文庫 
*『昭和左膳只今参上』([[東京スポーツ新聞社]]、1970年)
*『昭和左膳只今参上』([[東京スポーツ新聞社]]、1970年)
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*戦場のニーナ 講談社、2007 のち文庫 
*戦場のニーナ 講談社、2007 のち文庫 
*『[[世界は俺が回してる]]』([[産経新聞]]、2009年1月1日~8月31日 [[角川書店]]、2009年)-『[http://www.sonymusicshop.jp/detail.asp?goods=MHCL000001687 世界は俺が回してる]』の鍵となる曲を集めたイメージ・サウンドトラックCD([[ソニー・ミュージックダイレクト]]、2009年)
*『[[世界は俺が回してる]]』([[産経新聞]]、2009年1月1日~8月31日 [[角川書店]]、2009年)-『[http://www.sonymusicshop.jp/detail.asp?goods=MHCL000001687 世界は俺が回してる]』の鍵となる曲を集めたイメージ・サウンドトラックCD([[ソニー・ミュージックダイレクト]]、2009年)
; 随筆・その他
=== 随筆・その他 ===
*『ズッコケ勝負 - 終わりなき愛の遍歴』([[双葉社]]、1969年)
*『ズッコケ勝負 - 終わりなき愛の遍歴』([[双葉社]]、1969年)
*『青春の愛について』(新書館、1972年)
*『青春の愛について』(新書館、1972年)
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*『月夜に飛んで人を斬る(作画[[ふくしま政美]])』([[芳文社]]、1979年)- 劇画原作
*『月夜に飛んで人を斬る(作画[[ふくしま政美]])』([[芳文社]]、1979年)- 劇画原作
*三拍子の魔力 毎日新聞社、2008 
*三拍子の魔力 毎日新聞社、2008 
; 翻訳
=== 翻訳 ===
*[[ドーデ]]『哀愁のパリ・サッフォー』([[角川文庫]]、1970年)
*[[ドーデ]]『哀愁のパリ・サッフォー』([[角川文庫]]、1970年)
*[[レイモン・ラディゲ|ラディゲ]]『ラディゲ詩集』(弥生書房、1973年)
*[[レイモン・ラディゲ|ラディゲ]]『ラディゲ詩集』(弥生書房、1973年)


== 関連項目 ==
*[[直木三十五賞]]
*[[豊川悦司]] - 「兄弟」(1999年3月、[[テレビ朝日]]系)でなかにし役を演じる
==脚注==
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
{{reflist}}

== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.nakanishi-rei.com/ なかにし礼公式ホームページ]
* [http://www.nakanishi-rei.com/ なかにし礼公式ホームページ]

2012年3月5日 (月) 06:51時点における版

なかにし礼
生誕 (1938-09-02) 1938年9月2日(86歳)
職業 作詞家

なかにし 礼(なかにし れい、男性、1938年9月2日 - )は日本小説家作詞家。本名は中西 禮三(なかにし れいぞう)。

来歴

小樽市に在住した両親が渡満し酒造業で成功。満州(現在の中国牡丹江市)に生まれる。終戦後、満州からの引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇、この体験は以後の活動に大きな影響を与えた。なかにし8歳の時、小樽に戻るが、兄の事業の失敗などで小学校は東京青森で育ち、中学から東京品川区大井町に落ち着く[1]東京都立九段高等学校卒業後、一浪して1958年に立教大学文学部英文科に入学。中退と再入学と転科を経て、1965年、立教大学文学部仏文科卒(立教仏文の第一期生)。その後、神奈川県逗子市に在住。実兄は立大から海軍に志願し、特攻隊に配属されたが終戦となった。

大学在学中、1963年に最初の妻と結婚。当時は生活費と学費の一切を妻の稼ぎに依存し、のちに一女を儲けたが、なかにしは浮気を繰り返し、家には金を一銭も入れず、1968年には離婚に至った[2]

シャンソンの訳詞を手がけていた頃、最初の夫人との新婚旅行中に静岡県下田市のホテルのバーで「太平洋ひとりぼっち」を撮影中の石原裕次郎と偶然出会い知遇を得る。石原裕次郎に「シャンソンの訳なんてやっていないで、日本語の歌詞を書きなさいよ」と勧められ、約1年後に作詞作曲した作品(後の『涙と雨にぬれて』)を自ら石原プロに持ち込んだ。それから数ヶ月後、石原プロがプロデュースした『涙と雨にぬれて』がヒット。 1969年には、作品の総売上が1,000万枚を超える。コンサートや舞台演出、映画出演、歌、作曲、翻訳、小説・随筆の執筆や文化放送セイ!ヤング』パーソナリティ、NHKN響アワー』レギュラーなども勤める。心臓疾患、離婚、特攻隊の生き残りで戦後、鰊漁に投資した実兄の膨大な借金を肩代わりして返済に苦しむなどの困難を抱えたこともある。1998年、『兄弟』で第119回直木賞候補、2000年、『長崎ぶらぶら節』で第122回直木賞受賞。NHK連続テレビ小説てるてる家族』の原作となった『てるてる坊主の照子さん』や『赤い月』『さくら伝説』などを執筆する。

2006年2月、なかにしの全音楽作品における自身が保有する全ての権利を株式会社日音に譲渡した。

テレビ朝日系列で放送されているワイドショーワイド!スクランブル』のコメンテーターを務めていたが、2012年3月5日の放送で、食道がんであることを報告。治療のため番組を降板し他の仕事も休業することを明らかにした[3][4][5]

作品

作詞曲

あ行
か行
さ行
た行
は行
ま行
や・ら・わ行

クラシック音楽

著書

詞集

  • 『エメラルドの伝説』 - 作品集(新書館、1969年)
  • 『シャンソン詩集141・さらば銀巴里』(さがみや書店、1991年)
  • 『なかにし礼訳詞によるモーツァルト歌曲集』(音楽之友社、1991年)
  • 『昭和忘れな歌 - 自撰詞華集』(新潮文庫、2004年)

創作

随筆・その他

  • 『ズッコケ勝負 - 終わりなき愛の遍歴』(双葉社、1969年)
  • 『青春の愛について』(新書館、1972年)
  • 『遊びをせんとや生まれけむ~なかにし礼の作詩作法』(毎日新聞社、1980年)
  • 『音楽への恋文』(共同通信社、1987年)「音楽の話をしよう」新潮文庫 
  • 『翔べ!わが想いよ』(東京新聞出版局、1989年)のち文春文庫、新潮文庫 - 自伝
  • 『時には映画のように』(読売新聞社、1997年)「口説く」河出文庫、「恋愛100の法則」新潮文庫  
  • 『愛人学』(河出書房新社、1997年)のち文庫 
  • 『天上の音楽・大地の歌』(音楽之友社、2001年)
  • 『道化師の楽屋』(新潮社、2002年)のち文庫
  • 『さくら伝説 - 松坂慶子写真集』(フォーブリック、2002年) - 原作・監修
  • 『人生の黄金律 自由の章 - なかにし礼と華やぐ人々』(2003年、清流出版)- 対談集
  • 『月夜に飛んで人を斬る(作画ふくしま政美)』(芳文社、1979年)- 劇画原作
  • 三拍子の魔力 毎日新聞社、2008 

翻訳

脚注

外部リンク