「Wikipedia:コメント依頼/Tokinokawa」の版間の差分
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*{{コメント}} Tokinokawa さんは、キリスト教やイスラーム教などの啓示宗教に関連する記事([[ナザレのイエス]], [[唯一神]], [[絶対的一神教]], [[ムスハフ解釈本]], [[ナスフ]], [[ウスマーン版ムスハフ (冊子本)]]など)を新規に立ち上げたり、大幅加筆されていますが、いずれの記事においても、かなり問題があります。 |
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** 第1の問題は、啓示そのものや聖書それ自体に基づいて独自の見解を発表していることです。たとえば {{Oldid|100417922|唯一神}} の「ユダヤ教」節の第3パラグラフ。すべて聖書それ自体が出典です。さらに「~とされる」という言い回しを用いており、客観性のある説であるが出典を適切に示せていないだけなのか、客観性を装っているだけなのか、にわかに判断できません。言い換えれば、検証の労力を読者やウィキペディア日本語版コミュニティに強いています。 |
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** 第2の問題は、出典を偽装したり、曲解したり捩じ曲げて解釈した結果を記載したりしていることです。たとえば、Tokinokawa さんは、{{Oldid|85509854|ウスマーン版ムスハフ (冊子本)}} の「タフスィール」節の冒頭部分に、『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年P64 を出典としましたが、当該書籍の64頁にはこのようなことは記載されていません。{{Oldid|85603191|ナスフ}} の「法学の用語としてのナスフ」節の第3パラグラフ、『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年P32 を出典とされていますが、当該書籍の32頁では「絶対的聖典の中に矛盾があった場合」の話など一切していません。 |
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* 以上2点の問題点が、わたしの指摘した部分だけでなく、記事全体にわたってみられます。「史的イエスについて書くべき」という合意が成立している「ナザレのイエス」の項では合意に反する大幅加筆を続け、記事全体の品質が劣化しました。Tokinokawa さんには、ウィキペディアにおける自説の開陳をやめてほしいです。それと、出典の偽装をやめてほしいです。「ナザレのイエス」の項の 2020年5月20日 の書き込みで、おーたさんという人からも要望されていますが、すべての大幅加筆を差し戻していただきたいです。検証が大変すぎるからです。--[[利用者:ねをなふみそね|ねをなふみそね]]([[利用者‐会話:ねをなふみそね|会話]]) 2024年10月11日 (金) 10:53 (UTC) |
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== まとめ == |
== まとめ == |
2024年10月11日 (金) 10:53時点における版
利用者:Tokinokawa(会話 / 投稿記録 / 記録)さんのこれまでの行為について、コメントを依頼します。--呉野(会話) 2024年10月8日 (火) 13:44 (UTC)
これまでの経緯
新宗教のオショー・ラジニーシの記事で信者の利用者による問題投稿があり、そちらの対応をした際に、関与が懸念される周辺記事もわかる範囲でチェックし、悟りが独自研究が大きく見られることを偶々確認しました。この独自研究の編集者はオショー・ラジニーシとは関係ないと思われます。
悟りで独自研究を進めていたのがTokinokawaさんで、Tokinokawaさんの編集履歴を確認したところ、新興宗教GLAの教祖である高橋佳子 (宗教家)の記事をメインで編集しており、他の宗教記事でもGLAの教義を反映させないよう注意されていました。
私の方で問題記述を対処できそうなら、ある程度対応してから注意しようかとも考えましたが、編集履歴を確認したところ、記事への介入が長期間、大規模、巧妙で、生半可な労力ではどうにもできそうにありません。荘子 (書物)など節が自己啓発本のようになっており、GLAの教義をベースに構成しているのかもしれませんが、内容は百科事典的ではないが、上手く出典が付けられている文章もあり、どのように対応したらいいか頭を抱えてしまうような状況です。
GLAは様々な宗教が取り入れられているが、その際に合体させて筋が通る、かつ現代人に響くような説明がなされていると思われ、そうした編集が行われた記事から問題を見抜き、ノートで問題提起をし、合意形成しとなると、恐ろしく手間がかかり、今後もTokinokawaさんによるほとんど問題は放置されたままになるだろうと感じました。
Tokinokawaさんの利用者ページは現在空ですが、[[1]]では「高橋信次先生のページにおける書き込みをもとに、高橋佳子先生のページの修正に取り組むことにしました。」とあり、GLAの思想をもって宗教関係の記事の編集をしているのは確かで、非常に深刻な問題をはらんでいると思います。
GLA関連の編集については、2018年12月時点でも利用者の会話ページで注意されていますが、 2024年4月にも、ノート:荘子 (書物)で常陸のクマさんさんから注意を受けており、時間が経っても改善していません。悟りでもGLAの教祖親子の書籍が出典として用いられており(除去済み)、出典の質というものを理解していらっしゃらない、もしくは理解したうえで破っていると思われ、このまま活動を続けるなら、知識のある利用者の付きっ切りの監督が必要かと思われます。悟りでは、悟り以外の悟りっぽい感じの宗教体験が加筆されていますが(GLAで悟りと関連付けられているのかもしれません)、この「なんとなくそれっぽい」「なんとなく筋が通っているように見える」が学術的ではない編集というのは、修正のハードルが非常に高いです。
また、記事のノートページで構成の案を出すということを繰り返されていますが、記事の節の案をそのままノートに作成しているため、ノートとしての節が意味不明になっています。(参考:ノート:ルーテル教会、ノート:拝一神教、ノート:老子道徳経)--呉野(会話) 2024年10月8日 (火) 13:44 (UTC)
参考リンク
- ノート:悟り#アジア全域に広まったインド的な概念以外の除去の提案
- ノート:荘子 (書物)#現在の本項目の新興宗教関係の記載について
- 利用者‐会話:Tokinokawa#言葉を濁さない表現のお願い
- 利用者‐会話:Tokinokawa#宣伝行為はおやめください
- ノート:ナザレのイエス
- ノート:パウロ#編集提案:終末信仰の確立と構成変更案_2020年4月
- ノート:人生の意義#GLA
- ノート:プシュケー
- ノート:実践哲学
依頼者のコメント
宗教記事は活発な編集者も少なく、問題が広範かつ深刻であるため、ブロック依頼を視野に入れてのコメント依頼となります。新宗教の信者が宗教の記事を中立的に編集をするというのは難しいのだと思いますが、そうであるなら編集しないという選択を取っていただけないでしょうか。--呉野(会話) 2024年10月8日 (火) 13:44 (UTC)
- 返信 (利用者:Tokinokawaさん宛) :コメントいただきありがとうございます。Tokinokawaさんのコメントは、下の節に移動しておりますので、今後もそちらに記入してください。
- 失礼ですが、「そのようにしたい」というのは、どうなさるおつもりということでしょうか?今後Wikipediaで活動しないつもりということですか?それとも、宗教系以外の記事で活動を継続するということでしょうか?
- Tokinokawaさんは活動を始められた当初から、GLAの教義を他の記事に反映しないよう注意を受け、注意された際にあっさり引いていらっしゃいますが、しかし今日まで問題が継続しています。ということは、
- 指摘された問題点はよくわからないが、とりあえず引いた。わからないまま活動は継続した。
- 指摘された問題点は理解していると考えており、改善したつもりだが、できていなかった。(つまり問題点は理解していない)
- 指摘された問題点は理解しているが、それこそがWikipediaで活動する目的であり、改めるつもりはないため、その場を穏便に済ませるためにとりあえず引いた。
- のどれかということになり、「了解しました。」とおっしゃられても、問題を理解しているのかいないのか、どういうつもりなのか他の利用者にはわからず、問題が解決したということにはなりません。いただいたコメントだけだと、同じことが再発するという推定が妥当だと思います。
- ノート:荘子 (書物)#現在の本項目の新興宗教関係の記載についてで、常陸のクマさんさんに対して、「異論はありません。なお、ノート:荘子、ノート:老子、ノート:老子道徳経、ノート:道 (哲学)においても同様な編集提案がなされていますので、そちらのほうも処置していただけたらと思います。」と返信されていますが、ご自身が起こした問題であるにもかかわらず、相手に丸投げになっており、対応は誠意に欠けると感じました。チェックや修正の対応は非常に、非常に手間がかかり、他の利用者のリソースを奪っているということを理解してください。
- 今まで注意されたことを理解していたか。
- 理解していたなら、なぜ今日まで問題が継続したのか。
- 理解していないなら、なぜ何が問題なのか質問したり、理解できるまで編集しないといった対応を取らなかったのか。
- 今後どうするつもりなのか、具体的に。
- こちらご説明ください。よろしくお願いいたします。--呉野(会話) 2024年10月9日 (水) 12:24 (UTC)
Tokinokawaさんのコメント
- 了解しました。そのようにしたいと思います。--Tokinokawa(会話) 2024年10月9日 (水) 00:34 (UTC)
皆様のコメント
- コメント Tokinokawa さんは、キリスト教やイスラーム教などの啓示宗教に関連する記事(ナザレのイエス, 唯一神, 絶対的一神教, ムスハフ解釈本, ナスフ, ウスマーン版ムスハフ (冊子本)など)を新規に立ち上げたり、大幅加筆されていますが、いずれの記事においても、かなり問題があります。
- 第1の問題は、啓示そのものや聖書それ自体に基づいて独自の見解を発表していることです。たとえば 唯一神 の「ユダヤ教」節の第3パラグラフ。すべて聖書それ自体が出典です。さらに「~とされる」という言い回しを用いており、客観性のある説であるが出典を適切に示せていないだけなのか、客観性を装っているだけなのか、にわかに判断できません。言い換えれば、検証の労力を読者やウィキペディア日本語版コミュニティに強いています。
- 第2の問題は、出典を偽装したり、曲解したり捩じ曲げて解釈した結果を記載したりしていることです。たとえば、Tokinokawa さんは、ウスマーン版ムスハフ (冊子本) の「タフスィール」節の冒頭部分に、『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年P64 を出典としましたが、当該書籍の64頁にはこのようなことは記載されていません。ナスフ の「法学の用語としてのナスフ」節の第3パラグラフ、『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年P32 を出典とされていますが、当該書籍の32頁では「絶対的聖典の中に矛盾があった場合」の話など一切していません。
- 以上2点の問題点が、わたしの指摘した部分だけでなく、記事全体にわたってみられます。「史的イエスについて書くべき」という合意が成立している「ナザレのイエス」の項では合意に反する大幅加筆を続け、記事全体の品質が劣化しました。Tokinokawa さんには、ウィキペディアにおける自説の開陳をやめてほしいです。それと、出典の偽装をやめてほしいです。「ナザレのイエス」の項の 2020年5月20日 の書き込みで、おーたさんという人からも要望されていますが、すべての大幅加筆を差し戻していただきたいです。検証が大変すぎるからです。--ねをなふみそね(会話) 2024年10月11日 (金) 10:53 (UTC)