ノート:老子道徳経
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「聖人はいつも私心を持つことがなく、国民全体の心を心として、衆知を集めて政治の決断を下す(聖人恒無心、以百姓之心為心)」(第四十九章) とありますが、この時代に国民国家の概念はありません。したがって、不適切な説明および訳だと考えられます。さらに、「~~全体の心を」誰の心とするのかの具体化が欠けています。ここでは「聖人自身の心」です。また、「衆知を集めて~」のくだりは原文にありません。その上、「民衆に知を与えること」は無為の思想と矛盾します。現代の民主主義の思考方法を古典に恣意に適用してはなりません。 以上は--Guicho w 2009年7月12日 (日) 15:17(UTC)のコメント
- わざわざ註で否定する必要もないと考え、コメントアウトいたしました。--ジャコウネズミ 2010年10月28日 (木) 12:30 (UTC)
「老子道徳経」を道教の中に位置付けて良いの?
[編集]「老子」のページにも書きましたが、老子道徳経を道教の中に組み付けるのはおかしいです。 まず老子道徳経あっての、道教です。 老子道徳経が道教を作ったのではなく、道教が勝手に老子道徳経を典籍として据えただけという見方が一般的です。 利用者名の基準厳しすぎるわボケ(会話) 2015年12月5日 (土) 12:39 (UTC)
- このコメントはノート:道教に書こうとしたものだったのでしょうか?麓(会話) 2015年12月6日 (日) 02:06 (UTC)
- ご指摘の通り、この位置づけは直したほうがいいと思います。下のカテゴリにもあるので、上の道教の表示は削除して、関連項目に道教を作成すればいいと思います。--Tokinokawa(会話) 2022年7月12日 (火) 19:54 (UTC) 関連項目を追記し、道教の表示を削除しました。--Tokinokawa(会話) 2022年7月31日 (日) 14:59 (UTC)
項目の追加について
[編集]伝来の次に編成という項目を付けたいと思います。
編成
[編集]古い写本では、上篇は「徳」、下篇は「道」の順序になっていた。この順序のほうが古い形であるという見解がある。(出典『老子』講談社1997年P124金谷治) ・・・
老子思想
[編集]老子思想の最後に、次の項目を追加したいと思います。
上篇にのみ特有の諸家への対抗意識
[編集]上篇にのみ特有の思想上の矛盾点
[編集]下篇を起点とする老子思想について
[編集]徳について
[編集]「建言」について
[編集]道について
[編集]世界観について
[編集]神観について
[編集]神の啓示としての「不言の教」について
人間観について
[編集]死について
・--Tokinokawa(会話) 2022年8月5日 (金) 01:27 (UTC) 本文に移行しました。--Tokinokawa(会話) 2022年8月22日 (月) 09:30 (UTC)