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2007年2月20日 (火) 16:55時点における版

佐竹 義利さたけ よしとし1904年10月2日 - 1989年1月19日)は、日本実業家で、元東洋製作所社長。

佐竹東家(旧出羽国秋田藩佐竹氏の分家)当主・佐竹義準男爵の長男として東京都に生まれた。1930年東京帝国大学工学部航空工学科を卒業し、三菱航空機名古屋製作所に入社した。就職先に三菱系の企業を選んだのは妹の操子が三菱財閥の創業者一族・岩崎家に嫁いでいることが関係していたと思われる。操子の夫・岩崎彦弥太は元三菱本社副社長で、三菱の創始者・岩崎弥太郎は彦弥太の祖父にあたる。そして彦弥太の父・岩崎久弥は弥太郎の長男で三菱財閥の3代目総帥である。

三菱重工業、東洋機器製作所勤務を経て東洋製作所の社長に就任。その後同社会長を務めた。厚夫人は天文学者平山信の三女で、長女・斎子は斎藤寿一と、次女・紀子は小沢実と結婚した。

関連項目