斎藤寿一
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斎藤 寿一(さいとう じゅいち、1931年 - 1992年12月31日[1])は、日本の版画家。その作風から「青のサイトウ」と呼ばれた[2]。
経歴
[編集]神奈川県川崎市に生まれる[4]。デビュー当時は春陽会で油彩画を出品したこともあるが、1958年から翌年にかけてフランスに滞在し、浜口陽三の紹介でパリにあったイギリスの銅版画家S.W.ヘイターの「アトリエ17」(Atelier 17)[注釈 1]に身を置き、技術を学んだ[1][2]。
帰国後の1960年に初の個展を開く[1]。1963年に画風を確立したとされる[2]。
1971年に和光大学人文学部助教授となり、1976年に教授に昇進した[1]。この間、彫刻(石彫や木彫)も学び、1972年には「立体絵画展」に作品を出展している[1]。
生涯、アトリエを川崎市に置いていた[2]。
1992年12月31日、呼吸器不全のため死去した[6][1]。
著作
[編集]- 『「銅版画の技法」~スライドによる』美術出版社、1966年
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f “斎藤寿一”. 三重県立美術館(所蔵品検索). 2024年3月16日閲覧。
- ^ a b c d 「斎藤寿一展 -青・風・宙の版画-」 - アイエム(川崎市市民ミュージアムの展覧会紹介、2007年)2024年3月17日閲覧。
- ^ “斎藤寿一版画展”. アトリエスズキ. 2024年3月16日閲覧。
- ^ “斎藤 寿一 : 作者名データ&作品一覧 | 所蔵作品検索システム | 茨城県近代美術館”. 茨城県近代美術館 - 所蔵作品検索システム. 2024年3月19日閲覧。
- ^ アトリエ17 - 現代美術用語辞典 1.0(artscape)
- ^ “斎藤寿一 (作家)”. 東京国立近代美術館. 2024年3月19日閲覧。