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岡崎市

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おかざきし ウィキデータを編集
岡崎市
岡崎市旗 岡崎市章
市旗・市章とも1962年4月1日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
市町村コード 23202-5
法人番号 3000020232025 ウィキデータを編集
面積 387.20km2
総人口 381,268[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 985人/km2
隣接自治体 豊川市豊田市安城市西尾市蒲郡市新城市額田郡幸田町
市の木 ミカワクロマツ
市の花 フジサクラ
市の鳥 ハクセキレイ
岡崎市役所
市長 内田康宏
所在地 444-8601
愛知県岡崎市十王町二丁目9番地
北緯34度57分15.6秒 東経137度10分27.7秒 / 北緯34.954333度 東経137.174361度 / 34.954333; 137.174361 (岡崎市)座標: 北緯34度57分15.6秒 東経137度10分27.7秒 / 北緯34.954333度 東経137.174361度 / 34.954333; 137.174361 (岡崎市)
地図
市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

岡崎市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
乙川と岡崎市街地遠景
岡崎市中心部(康生地区)
乙川河川敷のキャンプ場
額田地区

岡崎市(おかざきし)は、愛知県のほぼ中央に位置する中核市中枢中核都市に指定されている。

三河国にあり、全国的には「八丁味噌」の産地として知られ[1]豊田市とともに西三河を代表する都市。人口は愛知県において豊田市に次いで3位である。

概要

研究教育施設や史跡が多く、市の規模に比して文教都市の色が濃い。中世鎌倉街道江戸時代東海道宿場町および城下町として栄え、歴史的に西三河地方の中心都市として機能してきた。足利氏族である細川氏仁木氏戸崎氏のほか、鳥居氏大久保氏土井氏の発祥地である。江戸幕府を開いた徳川家康や、その臣下で服部正成(服部半蔵)、老中青山忠成ら多くの三河武士たちの生誕地でもある。伝統地場産業には八丁味噌花火、石製品、額田の豆腐などが知られる。

中心部は旧額田郡で、明治時代初期には額田県の県庁所在地であった。一部に旧碧海郡の地域もある。

現代では名古屋衛星都市として歩んでおり、昼間人口比率は93.9%である[2]。ただし今も岡崎市には西三河を管轄する政治機関が集積しており、愛知県の西三河総合庁舎が置かれている[3]

また三菱自動車工業の岡崎製作所を持つ、県内有数の工業都市[4]でもある。

市名の発音

共通語では「おざき」と発音されるが、当市民をはじめとした地元民は、「川崎」と同じように「おかざき」と平板に発音する(JRの駅の行き先放送では「おざき」と発音されている)。人名()の場合は「おざき」と発音して区別する。岡崎が舞台となったNHK連続テレビ小説純情きらり』や大河ドラマ徳川家康』の中でも、放映開始当初は「おざき」と発音していたが、途中から平板な発音に改められた。2016年にはNHKにおいて平板な発音が「地元放送局アクセント」として正式に許容されるようになった[5]

地理

当市は愛知県の中央部にあり、中央高地に連なる美濃三河高原岡崎平野の接点に位置する。中京圏の中心都市名古屋市から約35キロメートルの距離にあり、市内を東西に国道1号、南北に国道248号及び国道473号が通っている[6][7]。また東名高速道路岡崎インターチェンジや、新東名高速道路岡崎東インターチェンジといった広域交通網の拠点のほか、主要地方道等の愛知県道も多くあり、市内各所で渋滞が発生している。鉄道は市内を東西に抜けるJR東海道本線及び名鉄名古屋本線と、岡崎駅から豊田市方面へ結び、名鉄三河線や、愛知高速交通東部丘陵線、JR中央本線と接続する愛知環状鉄道線の計3路線、16駅が設置されている。

面積は387.24平方キロメートルで豊田市、新城市に次ぎ愛知県内3位。太平洋側気候で、特に平野部は温暖で、冬でも雪が降ることはほとんどない[8][9]。また、市内に活断層や推定活断層は見つかっていない[10]

中央アルプス大川入山に発する矢作川が市内を南北に流れ、東西に流れる乙川など、市内に20本程流れる河川の全てが矢作川の支流である。市内にはこの豊富な水を利用した大規模工場や水田地帯が多くある。多数の河川により形成された沖積平野上に市の中心市街があり、市の東部は美濃三河高原を構成する山地となっている。最高峰は標高789mの本宮山であるが、平野部にも丘陵が点在しており、市内の標高差が700メートル以上ある変化に富んだ地形となっている。市域の約60%が森林であり、その豊かな自然環境から、自然公園法に基づき南部の桑谷山周辺が三河湾国定公園に、東部の本宮山及び巴山周辺が本宮山県立自然公園にそれぞれ指定されている[11]。また、市の中心部には岡崎城があり、城を中心とした岡崎公園は桜の名所として有名である。

岡崎市中心部周辺の空中写真。市街地の西を矢作川が南流する。1987年撮影の26枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

気候

1981年から2010年の30年の平年値で[12]、年平均気温は15.2℃、平均日最高気温は32.3℃、平均日最低気温は-0.8℃、年間降水量は1452mmである[12]

岡崎市の気象観測極値[13]
要素 観測値 観測年月日
最高気温 39.3℃ 2018年平成30年)7月23日
最低気温 -7.6℃ 1999年(平成11年)2月4日
日降水量 263.5mm 2008年(平成20年)8月29日
時間降水量 146.5mm 2008年(平成20年)8月29日

市内の町名

住宅地形成

隣接する豊田市にはトヨタ自動車の中枢機能があり、当市周辺にはトヨタ自動車関連企業が多いため、近年は住宅地を次々と造成しベッドタウンとしての性格が強くなりつつある。

人口

岡崎市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 219,092人
1975年(昭和50年) 243,156人
1980年(昭和55年) 271,243人
1985年(昭和60年) 294,406人
1990年(平成2年) 316,334人
1995年(平成7年) 332,136人
2000年(平成12年) 345,997人
2005年(平成17年) 363,807人
2010年(平成22年) 372,357人
2015年(平成27年) 381,051人
2020年(令和2年) 384,654人
総務省統計局 国勢調査より

2015年10月1日現在:381,031人(国勢調査結果速報)[14]

1921年の人口は約42,000人で、名古屋市豊橋市に次ぐ愛知県第3位、西三河最大の人口を有していた。「平成の大合併」では、岡崎市は人口の少ない中山間地域たる額田地区の併合にとどまった一方、三河では豊田市が、尾張では一宮市が複数の町村と合併し、大きく拡大した。その結果、2016年2月15日に公表された国勢調査結果では、名古屋市、豊田市に次いで、愛知県第3位の人口となった[15]。岡崎市の人口は381,031人であったが、2030年まで増加傾向が続くとの推計がなされている[14][15]。人口の分布としては、市域の4割を占める東部の山間地帯にあたる額田地区(旧額田郡額田町)の人口が8,551人と少なく、平野部に人口が集中している。

隣接する自治体

愛知県の旗 愛知県

歴史

原始・古代

真宮遺跡
真福寺

矢作川や乙川流域の肥大な平野部に位置し、温暖な気候のこの地域には、旧石器時代から人々が生活していた[16]。仁木八幡宮遺跡や美合の五本松遺跡等が旧石器時代の遺跡である。また額田地区の西牧野遺跡は旧石器時代から江戸時代にかけての複合遺跡である。国の史跡となっている六名真宮遺跡は、縄文時代から鎌倉時代までの土器片や遺構、土器棺などが多く発掘されている複合遺跡であり、官衙跡ともいわれる[17][18][19]

古墳時代には、当初安城周辺に比して小さな勢力しか存在しなかった。のちに大きな権力を有する豪族が現れ、4世紀後半には比較的大きな帆立貝形古墳である於新造古墳が西阿知和に作られ、4世紀末には、直径100メートル以上の、当時の三河地方では最大級となる甲山第1号墳が六供に作られた[20]。また景行天皇皇子である五十狭城入彦皇子墓として宮内庁から治定されている和志山古墳などの前方後円墳も現れ、ヤマト王権勢力下となっていたことが伺われる。同じく景行天皇皇子であるヤマトタケル東夷征伐に関わる伝承も、矢作神社の由緒など、市内に多く伝わる。飛鳥時代に入ると、6世紀に物部守屋の子・真福が願主となり三河最古寺院真福寺が築かれ[21]、7世紀には物部氏氏寺とされる巨大古代寺院北野廃寺が建立された。また同時期に岩津古墳群も作られた[17][22]702年(大宝2年)には、持統天皇壬申の乱の功労をねぎらうため村積山を訪れたが、同山山頂にも物部氏建立と伝わる村積神社が鎮座する[23]

8世紀中頃に、新城(仁木)郷、鴨田郷、位賀(伊賀)郷、額田郷、麻津郷、六名郷、大野郷、駅家郷(山綱)の額田八郷及び碧海郡の駅家郷(宇頭)や谷部郷(本郷)、鷲取郷(北野)、河内郷(上和田下和田)、碧海郷(青野)などができた。また927年成立の延喜式では、三河国三として山綱駅家や宇頭の鳥捕駅などが挙げられている[17][24][25][26][27][28]

中世

上地八幡宮

古代の物部氏に代わり、中世になると藤原氏の勢力が当地でも伸長した。11世紀の平安時代後期に藤原南家藤原季綱が三河守になると、一部の領土等を譲り受けた兄弟の藤原季兼が岡崎に移り住み、開発領主として荘園開発を進め勢力を伸ばした。額田冠者を名乗った季兼の子藤原季範の三女由良御前は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の母であり、季範の養女(実孫)は、足利氏宗家初代当主足利義康の妻である[29][30][31][32]

鎌倉時代には三河は関東御分国となり、三河守を務めた、季範の養子で頼朝の弟の源範頼が、上地八幡宮を創建した。鎌倉街道沿いの明大寺の地には矢作東宿(矢作宿)が設置され栄えた。また、滝山寺は初代将軍源頼朝の従兄弟が住職を務めるなどし、幕府の庇護を受けた。13世紀に藤原季範の玄孫にあたる足利氏宗家第三代足利義氏が、承久の乱恩賞として額田郡を領有し、鎌倉幕府の三河守護等として矢作東宿に拠点を構えて以降、足利氏や、足利氏系氏族、足利氏家臣などが代々三河守護を務めた。足利氏系の細川氏及び仁木氏が現在の市内細川町及び仁木町にそれぞれ置かれたほか、吉良氏一色氏今川氏といった足利氏支流が西三河に分立されて足利氏の第二の拠点となった。1335年中先代の乱の混乱の中足利直義が甥の千寿王成良親王とともに矢作に逃れ、1336年矢作川の戦いでは、三河の足利一族が矢作東宿に集まった[32]

室町時代になると幕府御料所として栄え、多くの奉公衆が置かれた。また、義氏により本堂が建立された滝山寺や、将軍足利義満により建立された天恩寺等が幕府の庇護を受けた。幕府を二分する観応の擾乱が起きると、三河の足利一族の間でも争いがなされた。三河守護を務めていた高氏一族は乱でほぼ滅亡し、乱後に将軍足利尊氏から菅生郷の寄進を受けた高氏出身の尼僧明阿により、一族の菩提所として現籠田町総持尼寺が開かれ、門前町が発展した。特に15世紀の室町時代中期から大きな発展を見せ、三河守護仁木氏の守護代だった西郷氏が明大寺や龍頭山(現岡崎城)に城や砦を築くとともに、矢作川に北野から矢作にわたる堤防を作り、幾筋にも分流していた矢作川を、一筋の流れにまとめた[17][33][34][35][32]

戦国・安土桃山時代

三河一向一揆
日本百名城岡崎城

室町時代後期頃になると、六代将軍足利義教により三河守護一色義貫が殺され、代わって細川氏が守護に就いたものの、他地に先駆け内戦状態となった。

岩津城を本拠とした国人領主松平氏第三代松平信光は、保久城主山下氏を滅ぼしたのち、井ノ口の砦を拠点として発生した額田郡一揆を幕府政所執事伊勢貞親被官として平定し力を伸ばした。応仁の乱では、三河への復権を狙う一色氏を、三河守護細川成之とともに破り、戦国時代に岡崎城や安祥城を獲得し、南部まで勢力を伸ばした。

その後三河守護が置かれない状態となり、信光の後は、当初鴨田に分立されていた四代松平親忠が、井田野挙母城中条氏らを破り、鴨田の館跡に大樹寺を建立するなどした。五代松平長親は、三河に侵攻してきた今川氏親家臣の北条早雲を井田野で破ったとされる[32]

1524年(大永4年)、松平宗家七代松平清康が、山中城岡崎松平家を攻略し、安城岡崎を兼領する。そして明大寺の岡崎城から龍頭山の砦に拠点を移し、1531年(享禄4年)には龍頭山の砦を整備・拡張し、岡崎城(別名、竜城、竜ヶ城)とした。清康の死後、松平氏が今川氏の庇護下に入ると、市域は今川と織田の抗争の前線となり(小豆坂の戦い)、多くの城が作られた。

桶狭間の戦い今川義元が戦死した後、第九代松平元康は、大樹寺で住職に諭されたのち、生誕の地岡崎城に戻って旧家臣団を再編成し、やがて今川氏から独立、徳川家康と改名する。以後織田信長の盟友として勢力を拡大した。1564年(永禄7年)には、針崎町勝鬘寺等を拠点に起きた三河一向一揆を平定した[32]武田信玄の侵攻に備えるため、1570年(元亀元年)に家康の拠点が浜松城に移ったのちも、岡崎城は長男松平信康(徳川信康)が城主を務めるなどし、長篠の戦いでは、岡崎城から出発した家康らが、片寄の天恩寺を経て長篠城に向かった。また、本能寺の変に伴う伊賀越えの際には、畿内から逃れた家康が岡崎城に帰還した。

1590年(天正18年)、家康が関東移封により多くの三河武士とともに江戸に移ると、豊臣家臣・田中吉政が岡崎城に入った。吉政は家康に対する抑えとして城を拡張し、石垣や城壁などを用いた近世城郭にふさわしいものに整備したが、秀吉の死後家康に接近し、関ヶ原の戦いでは家康側についた。また、城下町の整備も積極的に行われ、岡崎の郊外を通っていた東海道が岡崎城下町の中心を通るように変更され、現在の岡崎城の原型が造られた。

近世

日本三大東照宮の1つ
滝山東照宮
東海道岡崎宿
当時、日本最長の矢作橋

江戸時代に入ると、岡崎藩が立藩され、徳川家康誕生の地として別格の扱いを受けるようになった。家康の死に際しては、大樹寺の住職が立ち会い、死後大樹寺に位牌が納められた。第3代将軍の徳川家光は家康への尊敬心が強かったとされ、滝山東照宮の創建、伊賀八幡宮及び六所神社の改築などを行い、現在いずれも国の重要文化財となっている。東海道沿線には岡崎宿藤川宿の2宿が置かれ、宿場町が栄えた。また、「五万石でも岡崎様は、お城下まで舟が着く」と謡われているように、矢作川と乙川の合流地点にある岡崎は水運の要衝であり、矢作川には当時としては日本最長の矢作橋が架けられる程であった。

岡崎藩初代藩主の本多康重は、東海道の整備、城下町の建設などに尽力し、「岡崎の27曲がり」といわれる多数のクランク状の道が整備された。これは、普段の生活では影響は無い曲がり角が、敵軍の急襲の際には進攻の妨げとなるように設計されたものである。また、江戸中期には矢作川沿いの農村で綿作が盛んに行なわれるようになり、三河木綿が特産品として生産されるようになった。

歴代岡崎藩主は全て名門譜代大名から選ばれ、老中を務めた水野忠之松平康福本多忠民など、江戸幕府の要職者を輩出した。歴代藩主が幕閣に入ったことや臨時課役による出費で、岡崎藩の財政は悪く、第6代藩主の水野忠辰が幽閉されるなど度々藩政の混乱を招いた[36]幕末に岡崎藩主を務めた本多忠民は、徳川家康の側近徳川四天王であった岡崎出身の本多忠勝本多氏宗家第15代であったが、戊辰戦争で徳川方には付かず明治新政府軍に与したため、脱藩浪士との対立が起きた。最後の藩主となった次の本多忠直は、明治維新後岡崎藩知事を務めた。

岡崎の地は岡崎藩の他にも、南部には三河中島藩や、大岡越前として有名な大岡忠相から始まる西大平藩が、北部には大給松平家が支配した奥殿藩がそれぞれ置かれ、奥殿藩第8代藩主の松平乗謨は老中や陸軍総裁を務めた。また、藩の他に、直轄領や幕府官僚の知行、徳川家菩提寺の大樹寺領を始めとした多数の寺社領が配置され、徳川家康出身地として広義の幕府領として扱われた[37][38]

近現代

昭和初期の本町通り
西康生通り
岡崎空襲後の岡崎市街
岡崎市中心市街地

明治の世になると、廃藩置県により岡崎藩が岡崎県となり、岡崎県、次いで額田県の県庁が置かれた。8世紀から伝わる伝統の三河木綿を引き継いだ水車動力のガラ紡、官営愛知紡績所が操業し、国鉄東海道本線名鉄岡崎市内線西尾線名古屋本線挙母線が開通し、岡崎の近代化を一層促進した。岡崎は西三河の中心都市として栄え、西三河中から学生が集まる愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)、愛知第二師範学校(現・愛知教育大学)、岡崎町立高等女学校(現・愛知県立岡崎北高等学校)なども置かれた[39]

1916年(大正5年)7月1日に市制を施行し、愛知県3番目、全国では67番目の市として岡崎市が誕生した。太平洋戦争時には岡崎海軍航空隊が置かれたことなどから、1945年(昭和20年)7月20日に空襲を受け、市街地の大部分が焼失した(岡崎空襲[17][40]。市内を走る路面電車の車庫が燃えたため、急遽京都から車両を調達したこともあった。また、資材供出のために西尾線は休止された。太平洋戦争末期には、全国4番目の高等師範学校として岡崎高等師範学校(現名古屋大学教育学部)が設置された。

戦後、休止中の西尾線のうち岡崎駅前 - 福岡町間が福岡線として再開したが、モータリゼーションの流れに押され1962年に名鉄岡崎市内線、挙母線とともに廃線となった。その後、国鉄岡多線が開通し、トヨタ自動車の自動車輸送やユニチカ岡崎工場向けの原料輸送が行われた。

1970年(昭和45年)に三菱自動車工業が北野町に大規模な開発センター兼工場を設置するなど、当市にも工業化の波が押し寄せてきた。それに伴い、康生地区への大型商業施設の進出も激化した。1971年(昭和46年)4月10日には「岡崎ショッピングセンター・レオ」(核店舗は松坂屋岡崎店)が、1972年(昭和47年)10月5日には「セントラルパークビル・セルビ」が、1973年(昭和48年)4月には「名鉄サンリバー」が完成。1977年(昭和52年)7月5日には「岡崎シビコ」(核店舗はジャスコ岡崎店)が開店した[41]。その後、商業の中心地は康生から移り分散したものの、今日にいたる間に西三河地方屈指の商圏が形成され、同地方随一の商業都市として発展した。

後に三河安城駅として結実した東海道新幹線新設期成同盟会による豊橋 - 名古屋間の新幹線停車駅誘致運動では岡崎市正名地区も候補にあがったが、都市部から離れていること、連絡する鉄道路線がない(並行して新交通システムを整備する予定だった)ことが欠点となり選定されなかった。[要出典]

市名の由来

岡崎という地名は、もともとは中世に明大寺町にあったとされる明大寺城や矢作宿が、竜美ヶ丘のある陵の出にあったことから名付けられたものとされる。その後、西郷氏により明大寺から菅生郷に城が移され、岡崎という地名が拡張されて用いられるようになったものと考えられる[42][30]。初めて岡崎という地名が確認できるのは、1484年作成の上宮寺「門徒次第之事」にある「オカサキ」との記述である。『三河国名所図会』には、「岡崎は享禄(1528年-1531年)以来の名號にして、其以前は菅生郷なり」、と記載されているため、1531年(享禄4年)に松平清康が龍頭山砦を岡崎城と命名した以降、使われていると思われる。

年表

古代

室町時代

  • 藤原季兼により、荘園開発が進められる。

鎌倉時代

  • 三河守護の足利義氏が、矢作東宿(岡崎市明大寺付近と推定)に守護所と額田郡公文所を設置する。
  • 1336年(建武2年) - 矢作川の戦い

戦国時代

  • 1452年(享徳元年) - 西郷稠頼、龍頭山砦を築く。
  • 1524年(大永04年) - 松平清康が、龍頭山砦(岡崎城)入城。
  • 1531年(享禄04年) - 松平清康、龍頭山砦を拡張して岡崎城とする。
  • 1542年(天文11年) - 徳川家康、岡崎城に生まれる、第一次小豆坂の戦い
  • 1548年(天文17年) - 第二次小豆坂の戦い。
  • 1601年(慶長06年) - 東海道五十三次が定められ、岡崎宿(岡崎城下)と藤川宿が置かれる。

江戸時代

  • 1615年(元和元年) - 岡崎藩が成立。
  • 1638年(寛永15年) - 深溝藩が藩庁を移転、中島藩となる。
  • 1672年(寛文12年) - 中島藩が下野烏山へ移封、廃藩となる。
  • 1707年(宝永04年) - 大給藩が藩庁を移転、奥殿藩となる。
  • 1748年(寛延元年) - 大岡忠相西大平藩を設立し、西大平陣屋が設けられる。
  • 1806年(文化03年) - 奥殿藩が藩庁を移転、田野口藩となる。

明治・大正

  • 1871年(明治04年) - 廃藩置県で額田県に属する。
  • 1872年(明治05年) - 額田県が廃止され、それ以降は愛知県に属する。
  • 1888年(明治21年)09月01日 - 岡崎駅が開業。
  • 1889年(明治22年)10月01日 - 町村制施行に伴い、額田郡30町村が合併し岡崎町が発足。
  • 1892年(明治25年)11月15日 - 岡崎商業会議所が設立される。県下で2番目、全国で16番目の設立であった[43]
  • 1902年(明治35年)09月23日 - 男川村の一部(大字欠)を編入。
  • 1906年(明治39年)05月01日 - 三島村乙見村の一部(大字稲熊、大字小呂)を編入。
  • 1914年(大正03年)10月01日 - 広幡町を編入。
  • 1916年(大正05年)07月01日 - 岡崎市市制施行(愛知県下3番目、全国67番目)。
  • 1918年(大正07年) - 当時の人口:38,803名。
  • 1923年(大正12年)08月08日 - 東岡崎駅が開業。

昭和・平成

令和

  • 2020年(令和2年)03月09日 - 岡崎市が51%出資する地域新電力会社「株式会社岡崎さくら電力」が設立[51]

市域の変遷

市域における自治体の変遷
明治22年以前 明治22年10月1日 明治23年 - 明治45年 大正1年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
額田郡 羽根村 岡崎村 岡崎村 岡崎村 昭和3年9月1日
岡崎市に編入
岡崎市 岡崎市 岡崎市 岡崎市
柱村
戸崎村
若松村
針崎村
和合村 美合村 美合村 美合村
岡村
保母村
大平村 男川村 男川村 男川村 男川村
丸山村
小美村
高隆寺村
洞村
欠村 明治35年9月23日
岡崎町に編入
岡崎町 大正5年7月1日
市制 岡崎市
岡崎市
三島村 三島村 三島村 明治39年5月1日
岡崎町に編入
岡崎横町 岡崎町 岡崎町
岡崎亀井町
岡崎久右衛門町
岡崎魚町
岡崎康生町
岡崎材木町
岡崎十王町
岡崎松本町
岡崎上肴町
岡崎伝馬町
岡崎田町
岡崎唐沢町
岡崎島町
岡崎投町
岡崎能見町
岡崎八幡町
岡崎板屋町
岡崎福寿町
岡崎門前町
岡崎祐金町
岡崎裏町
岡崎両町
岡崎連尺町
岡崎六地蔵町
岡崎籠田町
六供村
梅園村
八帖村
菅生村
中村
日名村 広幡村 明治28年5月13日
町制 広幡町
大正3年10月1日
岡崎町に編入
能見村
井田村
伊賀村
箱柳村 乙見村 乙見村 明治39年7月1日
合併 常磐村
常磐村 昭和3年9月1日
岡崎市に編入
田口村 常磐村 昭和30年2月1日
岡崎市に編入
板田村
大井野村
岩中村
小呂村
稲熊村
滝村 常磐村 常磐村
米河内村
安戸村
小丸村
新居村
蔵次村
大柳村
岩津村 岩津村 岩津村 明治39年7月1日
合併 岩津村
岩津村 昭和3年5月1日
町制 岩津町
八ツ木村
西阿知和村
東阿知和村
真福寺村
西蔵前村
東蔵前村
丹坂村
恵田村
駒立村
奥殿村 奥殿村 奥殿村
桑原村
川向村
宮石村
渡通津村
日影村
細川村 細川村 細川村
仁木村
奥山田村
大樹寺村 大樹寺村 大樹寺村
大門村
上里村
鴨田村
藪田村
百々村
福岡村 福岡村 明治26年11月8日
町制 福岡町
福岡町 福岡町
上地村
本宿村 本宿村 本宿村 本宿村 本宿村
上衣文村
大幡村
鶫巣村
鉢池村
竜泉寺村 龍谷村 龍谷村 龍谷村 龍谷村
桑谷村
才栗村 河合村 河合村 河合村 河合村
秦梨村
切越村
蓬生村
須淵村
岩戸村
茅原沢村
古部村
生平村
羽栗村 山中村 山中村 山中村 山中村
池金村
舞木村
山綱村
藤川村 藤川村 藤川村 藤川村 藤川村
市場村
蓑川村
桜形村 形埜村 形埜村 形埜村 形埜村 昭和31年9月30日
合併 額田町
平成18年1月1日
岡崎市に編入
鍛埜村
南大須
大高味村
井沢村
毛呂村
小久田村
切山村
亀穴村 宮崎村 宮崎村 宮崎村 宮崎村
石原村
明見村
中金村
大代村
雨山村
河原村
千万町村 巴山村 明治23年12月17日
改称 栄枝村
明治39年5月1日
宮崎村に編入
木下村
夏山村 明治39年5月1日
合併 豊富村
豊富村 豊富村
細光村 高富村 高富村
片寄村
滝尻村
淡淵村
鳥川村
樫山村 豊岡村 豊岡村
桜井寺村
牧平村
鹿勝川村
下衣文村
保久村 下山村(一部) 下山村(一部) 下山村(一部) 下山村(一部)
中伊村
外山村
一色村
冨尾村
碧海郡 合歓木村 阿乎美村 明治24年11月10日
分立 合歓木村
明治39年5月1日
合併 六ツ美村
六ツ美村 六ツ美村 昭和33年10月15日
町制 六ツ美町
昭和37年10月15日
岡崎市に編入
岡崎市
福桶村
高橋村
上青野村 明治24年11月10日
分立 上青野村
下青野村
在家村
下中島村 中島村 中島村
安藤村
高畑村
上和田村 糟海村 糟海村
法性寺村
牧御堂村
井内村
宮地村
赤渋村
中之郷村 明治29年6月11日
分立 中井村
土井村
下和田村 占部村 占部村
坂左右村
野畑村
定国村
国正村
中村
正名村
上三ツ木村
下三ツ木村
矢作村 矢作村 明治26年2月19日
町制 矢作町
明治39年5月1日
合併 矢作町
矢作町 矢作町 昭和30年4月1日
岡崎市に編入
岡崎市
坂戸村 中郷村 中郷村
島村
小望村
池端村
館出村
桑子村
西牧内村
富永村
新堀村
西本郷村 本郷村 本郷村
東本郷村
北本郷村
暮戸村
渡村 明治34年4月4日
分立 渡村
筒針村
西大友村 長瀬村 長瀬村
東大友村
中園村
舳越村
北野村
森越村
橋目村 (下記以外)
  • (茶臼)
  • (中茶臼)
  • (宮東)
  • (新居林)
  • (北茶屋浦)
  • (郷前)
昭和35年1月1日
安城市に編入
(安城市) (安城市)
尾崎村 志貴村 志貴村
柿碕村
宇頭茶屋村
宇頭村 岡崎市 岡崎市 岡崎市
小針村
上佐々木村 藤野村(一部) 明治24年8月8日
分立 志賀須香村
下佐々木村
東牧内村
河野村 昭和35年1月1日
安城市に編入
(安城市) (安城市)

行政

歴代市長

氏名 就任 退任 備考
1 千賀又市 1916年(大正05年)10月14日 1918年(大正07年)07月12日 任期中に死去
2-4 本多敏樹 1918年(大正07年)12月17日 1922年(大正11年)12月00
1922年(大正11年)12月06日 1926年(大正15年)12月00
1926年(大正15年)12月06日 1930年(大正15年)12月05日
5 小野庄造 1930年(昭和05年)12月12日 1931年(昭和06年)12月08日 辞職
6 小瀧喜七郎 1933年(昭和08年)01月16日 1935年(昭和10年)11月23日 辞職
7-9 菅野経三郎 1935年(昭和10年)12月23日 1939年(昭和14年)12月22日
1940年(昭和15年)02月22日 1944年(昭和19年)02月00
1944年(昭和19年)02月22日 1946年(昭和21年)11月01日 辞職
10-12 竹内京治 1947年(昭和22年)04月05日 1951年(昭和26年)04月04日
1951年(昭和26年)04月23日 1955年(昭和30年)04月22日
1955年(昭和30年)04月30日 1959年(昭和34年)04月29日
13-15 太田光二 1959年(昭和34年)05月02日 1963年(昭和38年)05月01日
1963年(昭和38年)05月02日 1967年(昭和42年)05月01日
1967年(昭和42年)05月02日 1971年(昭和46年)05月01日
16-18 内田喜久 1971年(昭和46年)05月02日 1975年(昭和50年)05月01日
1975年(昭和50年)05月02日 1979年(昭和54年)05月01日
1979年(昭和54年)05月02日 1980年(昭和55年)06月30日 辞職
19-23 中根鎭夫 1980年(昭和55年)08月17日 1984年(昭和59年)08月16日
1984年(昭和59年)08月17日 1988年(昭和63年)08月16日
1988年(昭和63年)08月17日 1992年(平成04年)08月16日
1992年(平成04年)08月17日 1996年(平成08年)08月16日
1996年(平成08年)08月17日 2000年(平成12年)08月16日
24-26 柴田紘一 2000年(平成12年)09月10日 2004年(平成16年)09月09日
2004年(平成16年)09月12日 2008年(平成20年)09月11日
2008年(平成20年)10月05日 2012年(平成24年)10月04日
27-28 内田康宏 2012年(平成24年)10月21日 2016年(平成28年)10月20日
2016年(平成28年)10月21日 現職

市組織

総合政策部 企画課、秘書課、広報課、地域創生課
財務部 財政課、行政経営課、市民税課、資産税課、納税課
総務部 総務文書課、人事課、契約課、情報政策課、庁舎車両管理室
市民生活部 自治振興課、安全安心課、防災課、市民課、
岡崎支所、大平支所、東部支所、岩津支所矢作支所六ツ美支所額田支所、消費生活センター
社会文化部 文化振興課、スポーツ振興課、男女共同参画課、国際課、市民協働推進課、
中央図書館美術博物館、岡崎地域文化広場、美術館、市民センター
福祉部 地域福祉課、総務課、障がい福祉課、長寿課、介護保険課、国保年金課、医療助成室、
福祉の村、こども発達支援センター、こども発達相談センター
保健部 保健企画課、生活衛生課、健康増進課、動物総合センター
こども部 こども育成課、家庭児童課、保育課
環境部 環境政策課、環境保全課、廃棄物対策課、ごみ対策課、
八帖クリーンセンター、中央クリーンセンター、総合検査センター
経済振興部 商工労政課、観光推進課、農務課、林務課、農業支援センター
都市整備部 都市計画課、まちづくりデザイン課、拠点整備課、乙川リバーフロント推進課、
市街地整備課、公園緑地課
土木建設部 事業調査課、土木管理課、道路維持課、道路建設課、河川課、農地整備課
建築部 建築指導課、建築課、施設保全課、住宅課
市民病院 岡崎市民病院看護専門学校
消防本部 消防本部
上下水道局 総務課、サービス課、水道工事課、水道浄水課、下水施設課、下水工事課
会計管理者 会計課
議会事務局 総務課、議事課
教育委員会事務局 総務課、学校給食センター、施設課、学校指導課、社会教育課、
総合学習センター少年自然の家、教育相談センター
監査委員事務局 監査委員事務局
農業委員会事務局 農業委員会

支所

名称 建物 住所
岡崎支所 岡崎市シビックセンター 羽根町字貴登野15番地
大平支所 大平市民センター 大平町字皿田6番地
東部支所 東部市民センター 山綱町字天神2番地9
岩津支所 岡崎市北部地域交流センター・なごみん 西蔵前町字季平45番地1
矢作支所 岡崎市西部地域交流センター・やはぎかん 矢作町字尊所45番地1
六ツ美支所 六ツ美市民センター 下青野町字天神64番地
額田支所 額田センター(2018年2月13日供用開始)[52] 樫山町字山ノ神21番地1

財政

2019年度(平成31年度)当初予算案[53]

会計名 予算額 前年度対比
一般会計 1,300億2,000万円 5.3%増
特別会計 689億7,521万2千円 6.3%増
企業会計 607億9,695万3千円 14.7%増
全会計 2,597億9,216万5千円 7.6%増

広域行政

市歌

作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰であり、1937年6月29日に発表、1962年4月には条例によって正式に市歌と定められた。あまり歌われる機会はない。

行政機構

  • 愛知県 西三河総合庁舎(明大寺本町一丁目4)
    • 西三河県民事務所
    • 西三河県税事務所[注 2]
    • 西三河農林水産事務所
    • 西三河教育事務所
    • 西三河建設事務所
    • 西三河福祉相談センター

議会

岡崎市議会

  • 定数:37人
  • 任期:2016年10月26日 - 2020年10月25日[54]
  • 議長:簗瀬太(自民清風会→無所属)
  • 副議長:加藤学(民政クラブ→無所属)
会派名 議席数 議員名(◎は代表)
自民清風会 12 ◎加藤義幸、内田実、小木曽智洋、野々山雄一郎、荻野秀範、磯部亮次、
神谷寿広、杉浦久直、鈴木静男、中根武彦、野本篤、山崎憲伸
民政クラブ 7 ◎柴田敏光、鈴木英樹、井村伸幸、三宅健司、井町圭孝、太田俊昭、加藤嘉哉
公明党 4 ◎畑尻宣長、野島さつき、井手瀬絹子、畔柳敏彦
チャレンジ岡崎・無所属の会 4 ◎杉山智騎、小田高之、江村力、柵木誠
自民創政会 3 ◎蜂須賀喜久好、原田範次、山崎泰信
無所属 6 簗瀬太、加藤学、大原昌幸、新免悠香、鈴木雅子、三浦康宏
計(欠員1) 36

(2019年11月12日現在)

愛知県議会

2019年愛知県議会議員選挙

  • 選挙区:岡崎市及び額田郡選挙区
  • 定数:5人
  • 投票日:2019年4月7日
  • 当日有権者数:340,330人(岡崎市307,951人、額田郡幸田町32,379人)[55]
  • 投票率:39.44%(岡崎市38.81%、額田郡幸田町45.46%)[55]
候補者名 当落 年齢 所属党派 新旧別 得票数
中根義高 46 自由民主党 32,373票
西久保長史 64 無所属 26,420票
新海正春 67 自由民主党 20,556票
園山康男 54 無所属 18,561票
鈴木雅登 48 無所属 16,717票
木全昭子 70 日本共産党 12,207票
横山あゆ美 58 諸派 4,887票

2015年愛知県議会議員選挙

  • 選挙区:岡崎市及び額田郡選挙区
  • 定数:5人
  • 投票日:2015年4月12日
  • 当日有権者数:325,138人(岡崎市295,159人、額田郡幸田町29,979人)[56]
  • 投票率:39.42%(岡崎市38.74%、額田郡幸田町46.13%)[56]
候補者名 当落 年齢 所属党派 新旧別 得票数
西久保長史 60 民主党 28,809票
中根義高 42 自由民主党 25,105票
園山康男 50 維新の党 17,926票
新海正春 63 自由民主党 17,683票
鈴木雅登 44 維新の党 17,080票
梅村順一 56 自由民主党 16,605票
楢原伸一 59 無所属 2,265票

2012年愛知県議会議員補欠選挙

  • 選挙区:岡崎市選挙区
  • 定数:2人
  • 投票日:2012年10月21日
  • 当日有権者数:292,680人
  • 投票率:57.50%
候補者名 当落 年齢 所属党派 新旧別 得票数
中根義高 40 自由民主党 64,827票
鈴木雅登 42 無所属 35,206票
梅村順一 54 自由民主党 30,186票
中川博登 34 無所属 25,680票

2011年愛知県議会議員選挙

  • 選挙区:岡崎市選挙区
  • 定数:4人
  • 投票日:2011年4月10日
  • 当日有権者数:289,052人
  • 投票率:44.39%
候補者名 当落 年齢 所属党派 新旧別 得票数
西久保長史 56 民主党 28,996票
内田康宏 58 自由民主党 27,279票
青山秋男 64 自由民主党 24,183票
園山康男 46 日本一愛知の会 23,874票
中根義高 38 自由民主党 21,621票

衆議院

  • 選挙区:愛知12区(岡崎市、西尾市
  • 任期:2017年10月22日 - 2021年10月21日
  • 投票日:2017年10月22日
  • 当日有権者数:444,298人(岡崎市308,928人、西尾市135,370人)[57][58]
  • 投票率:61.72%(岡崎市60.99%、西尾市63.36%)
当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
重徳和彦 46 無所属 149,587票 ×
青山周平 40 自由民主党 104,811票
宮地勲 63 日本共産党 14,378票

※青山は大見正の安城市長選挙出馬に伴う議員失職により、2019年2月5日に繰り上げ当選

国家機関

施設

警察

交番・駐在所

消防

消防署
  • 中消防署(朝日町3-4)
    • 北分署(井ノ口町字楼65)
    • 花園出張所(仁木町字川越254)
  • 東消防署(岡町字下河原25-4)
    • 南分署(中田町2-2)
    • 青野出張所(下青野町字宮東49)
    • 額田出張所(樫山町字山ノ神21-12)
    • 本宿出張所(本宿町字西片山30-1)
    • 形埜出張所(鍛埜町字中切22-6))
  • 西消防署(暮戸町字元社口42)

医療・福祉

  • 愛知県へき地医療支援機構(欠町栗宿18)

文化施設

交流施設

  • 産業人材支援センター
  • 桑谷キャンプ場
  • シャクナゲの里

公園

都市公園
自然公園

スポーツ施設

姉妹都市・提携都市

海外

2020年7月現在、岡崎市には日本国外に2つの「姉妹都市」、1つの「友好都市」がある[61]

姉妹都市
スウェーデンで姉妹都市提携先を探していたところ、駐日スウェーデン大使館からウッデバラ市を紹介されたのが始まり[62]花崗岩産地としての共通性がある[62]
英語圏での姉妹都市提携先を模索。両市のロータリークラブの交流や、中学生使節団のニューポートビーチ訪問を契機に交流が始まる[63]
友好都市
1985年(昭和60年)に呼和浩特市長がアジアロバ2頭を岡崎市に寄贈したのが契機[64]
フレンドシップ相手国

2005年に開催された愛知万博で、愛知県内の市町村(名古屋市を除く)が120の万博公式参加国をそれぞれ「一市町村一国フレンドシップ事業」として、フレンドシップ相手国として迎え入れた[65]

国内

2020年7月現在、岡崎市には日本国内の都市交流先として、2つの「親善都市」、2つの「ゆかりのまち」、1つの「観光交流都市」がある[61]

提携都市
太平洋戦争中、石垣島の大浜飛行場(戦後は石垣空港として使われた。沖縄の旧日本軍施設参照)に駐屯していた岡崎出身の海軍将兵たちが戦後「八重桜会」を結成、「戦争中お世話になったお礼に」として1964年(昭和39年)に大浜小学校に童話集を贈呈[66]。以後、八重桜会の仲介で岡崎市の奥殿小学校と石垣市の大浜・平真・明石小学校が姉妹校提携を行うなど交流が進み、自治体間の親善都市提携に至る[66]。提携当時、石垣市は米国統治下琉球政府)にあった。
岡崎市議会議員が福山市へ行政視察に赴いた際に、福山市議会議長から親善都市提携を提案される[67]。両市の間には「市制施行日が同じである」「面積・人口がほぼ等しい」「岡崎生まれの徳川家康と初代福山藩主・水野勝成が従兄弟である」「戦災復興都市である」「自然を保護し、緑を守り明るいまちづくりをめざしている」といった共通性やゆかりがあることが挙げられている[67]岡崎市立井田小学校福山市立鞆小学校の姉妹校提携、観光行事への相互参加などの交流が行われている[67]
江戸時代の名町奉行として知られる大岡忠相の縁。大岡家の知行地は茅ヶ崎市域にあったが、忠相が加増を受けて大名となり、西大平(岡崎市大平町)に陣屋を置いた(西大平藩も参照)[68]
江戸時代末期、奥殿藩松平乗謨(明治維新後に大給恒に改名)が本拠地を奥殿陣屋(岡崎市奥殿町)から龍岡城(提携当時は臼田町)に移した縁(龍岡藩も参照)[69]
岡崎に生まれた徳川家康にとって重要な戦いであった、関ヶ原の戦いの地であることから[70]。相互の祭事に特産品を出品するなどの交流がある[70]
2008年(平成20年)の東海北陸自動車道全線開通を控えて、金沢市から観光による交流実施の提案を受ける[71]。ともに城下町であり、徳川家康の孫である珠姫が加賀藩主前田利常の正室であることも歴史的な縁とする[71]
災害時相互応援協定

経済

カクキュー
まるや八丁味噌
丸石醸造
柴田酒造場
備前屋
イオンモール岡崎
アピタ岡崎北店
岡崎シビコ
ウイングタウン岡崎
オト リバーサイドテラス
岡崎信用金庫

工業

市外に本社がある企業

企業名 事業所名 所在地
アイシン・エィ・ダブリュ 岡崎工場 岡町
岡崎東工場 大幡町
愛知時計電機 岡崎工場 岡町
アンデン 岡崎工場 真福寺町
岩谷瓦斯 岡崎工場 大門
カネ美食品 岡崎工場 高橋町
刈谷紙器 岡崎工場 福桶町
川本製作所 岡崎工場 橋目町
ジェイテクト 岡崎工場 市場町
花園工場 真福寺町
スタンレー電気 岡崎製作所 牧平町
スリーボンドファインケミカル 岡崎工場 上衣文町
高木製作所 岡崎工場 牧平町
東海紙器 岡崎工場 羽栗町
東レ 岡崎工場 矢作町
豊田鉄工 額田工場 中伊西町
トヨトミ 額田工場 樫山町
豊臣機工 額田工場 樫山町
中川ヒューム管工業 岡崎工場 美合町
日清紡メカトロニクス 美合工機事業所 美合町
日本エステル 岡崎工場 日名北町
日本タッパーウェア 岡崎製作所 牧平町
FUJI 岡崎工場 恵田町
藤田螺子工業 岡崎工場 舞木町
マキタ 岡崎工場 合歓木町
マルヤス工業 岡崎工場 橋目町
日名工場 大門
三菱自動車工業 岡崎製作所[注 6] 橋目町
ユニチカ 岡崎事業所 日名北町

市内に本社がある企業

企業名 創業 所在地
葵商店 1957年2月 牧平町(本社)
大幡町(岡崎工場)
エラステック 1947年4月 岡町
太田油脂 1902年4月 福岡町
オチアイネクサス 1900年 真福寺町(本社)
矢作町(矢作工場)
オリバー 1967年8月 薮田
カクキュー 1645年 八帖町
川上酢店 1924年7月 日名本町
クラタ産業 1937年4月 羽栗町
栄屋乳業 1946年 東牧内町
三龍社 1897年6月 上六名町
CDS 1980年2月 舞木町
柴田酒造場 1830年 保久町
セキソー 1954年6月 日名北町(本社)
岡町(葵工場)
髙木化学研究所 1949年4月 大幡町
東海光学 1939年3月 恵田町
東レ・モノフィラメント 1963年4月 昭和町
豊興工業 1958年2月 鉢地町
豊田バンモップス 1947年9月 舞木町
永田や仏壇店 1901年 上六名
中村科学工業 1943年5月 北野町
丹羽鉄工所 1919年6月 渡町(本社)
中伊西町(額田工場)
備前屋 1782年 伝馬通(本社)
根石町(根石工場)
フタバ産業 1945年11月 橋目町(本社)
在家町(六ッ美工場)
高橋町(高橋工場)
ブラザー印刷 1951年2月 柱町
前田シェルサービス 1965年11月 池金町
丸石醸造 1690年 中町
マルサンアイ 1952年3月 仁木町
まるや八丁味噌 1337年 八帖町
三井ミーハナイト・メタル 1964年2月 岡町
三菱自動車エンジニアリング 1977年8月 橋目町
リコーエレメックス 1938年4月 井田町

石工団地

花崗町石屋町通りは日本の石材加工品の三大産地と謳われたが、効率化と粉塵・騒音問題の解決のため、1967年(昭和42年)3月、上佐々木町に岡崎石工団地(岡崎石工団地協同組合)が作られた。全国初の石工団地であった[73]1976年(昭和51年)には稲熊町に石の公園団地(協同組合岡崎石製品工場公園団地)が形成された[74]。イメージキャラクターは「石丸団吉」。

商業など

金融機関

マスメディア

新聞・雑誌社

放送局

テレビ放送は受信場所の地形に応じて瀬戸デジタルタワーまたは同市内(旧額田町の本宮山山頂)の豊橋中継局からの電波を受信している。なお、名鉄本宿駅付近では、本宿中継局の電波を受信している場合もある。

教育・研究機関

自然科学研究機構
愛知県立農業大学校
岡崎女子大学岡崎女子短期大学
愛知産業大学
愛知学泉大学

大学・短大

国立
私立

専修学校

高等学校

公立
私立

中学校

国立
公立
私立

小学校

国立
公立

特別支援学校

国立
公立

研究機関 

その他

交通

岡崎駅東口
東岡崎駅南口

市西部を中心に鉄道網、バス路線網が発達している。また、代表的な道路として市の中心部を国道1号が貫く。

鉄道

中心駅 : 東岡崎駅岡崎駅

市役所の最寄り駅 :東岡崎駅

JTB時刻表には、JR東海道本線 / 愛知環状鉄道愛知環状鉄道線 岡崎駅が本市の中心駅と記載される。しかし、名鉄名古屋本線 東岡崎駅の方が市の中心部に近く、市内一の交通結節点であるなど中核的な役割を担っている。東岡崎駅北口から市の中心地である康生町にかけて大手企業の支店が多数立地し、オフィス街を形成している。また、名鉄岡崎公園前駅と愛環中岡崎駅は隣接し、乗り換えが可能である。

市内には、下記の3社3路線の鉄道網が敷設されている。

東海旅客鉄道(JR東海)
CA 東海道本線:(幸田町) - 岡崎駅 - 西岡崎駅 - (安城市)
また、東海道新幹線豊橋駅 - 三河安城駅間で約 3.7km にわたって当市を通過している。
名古屋鉄道(名鉄)
NH 名古屋本線:(豊川市) - 本宿駅 - 名電山中駅 - (舞木信号場) - 藤川駅 - 美合駅 - 男川駅 - 東岡崎駅- 岡崎公園前駅- 矢作橋駅 - 宇頭駅 - (安城市)
愛知環状鉄道(愛環)
愛知環状鉄道線:岡崎駅 - 六名駅 - 中岡崎駅 - 北岡崎駅 - 大門駅 - 北野桝塚駅 - (豊田市)

廃線

バス

路線バス

市内完結の路線のほか、豊田市安城市西尾市に通じる路線がある。かつては中部国際空港への路線もあったが、2019年8月5日から休止中である。岡崎駅〜東岡崎駅や東岡崎駅~大樹寺の路線など、市の中心部や中心部に近い場所では豊富な便数が確保されている。一方、山間部などの利用の少ない路線では、路線維持のため市が補助金を給付している。
主な系統は以下の通り。

名鉄バス

岡崎営業所

  • 豊田市方面
    • 福岡町 - JR岡崎駅 - 名鉄東岡崎駅 - 大樹寺 - 三河上郷駅
      • ※ 路線名は「岡崎市内線」だが、豊田市に乗り入れている
    • 名鉄東岡崎駅 - 大樹寺 - 九久平 - 足助
    • 名鉄東岡崎駅 - 岡崎北高前/大樹寺 - 上米河内 - 大沼
名鉄東部交通(西尾営業所)
額田地域内交通(岡崎市)[75]
  • 下山地区線(ささゆりバス)(豊栄交通に運行委託)
    • 岡崎げんき館前・洞町・市民病院 - 豊田鉄工前 - 中伊 - 外山 - 保久 - 冨尾西 - 桃ヶ久保 - 北部診療所
  • 形埜地区線(乙川バス)(岡東運輸に運行委託)
    • 南大須・鍛埜線
      • 右回り:桜形 → 南大須公民館 → 小屋沢上 → 下部上 → 大山上 → 法味上 → 須渕橋 → 鍛埜 → 大林 → 栃本団地 → 北部診療所 → 桜形
      • 左回り:桜形 → 北部診療所 → 栃本団地 → 大林 → 鍛埜 → 須渕橋 → 法味上 → 大山上 → 下部上 → 小屋沢上 → 南大須公民館 → 桜形
    • 切山・小久田線
      • 桜形 - 北部診療所 - 井口 - 小楠 - 赤田和中 - 空屋敷辻 - 大沢 - 切山横手辻 - 木挽沢 - 大ゾレ - 上一色平
    • 毛呂・井沢線
      • 桜形 - 北部診療所 - 井口 - 下毛呂 - 毛呂中 - 上毛呂 - うつぎ - 竹沢連橋 - 井沢公民館 - 若林 - 本郷入口 - 本郷
  • 宮崎地区線(のってこバス)(西三交通に運行委託)
    • のってこ1号(大雨河地区)
      • 宮崎小学校 - 宮崎学区市民ホーム前 - 十王堂前 - ナカシバ電工前 - 雨山公民館 - 熱田神社 - 東河原口 - 東河原公民館前 - 高雲寺
    • のってこ2号(千万町地区)
      • 宮崎小学校 - 牧原バス停 - 宮崎学区市民ホーム前 - 明見バス停 - 木下公民館 - 小学校三叉路 - 千万町中 - 千万町上
  • 豊富・夏山地区線(ほたるバス)(岡東運輸に運行委託)
    • 鳥川線
      • 星野医院 - 額田支所前 - 豊富小学校 - ハズノモト - 下辻 - 小デノ沢 - 宮前 - 市道
    • 夏山・鳥川線
      • 星野医院 - 額田支所前 - 豊富小学校 - ハズノモト - 下辻 - 小デノ沢 - 宮前 - 市道 - 鬼沢公民館 - 寺野(公民館入口) - 夏山橋 - 平針(観音堂)

高速バス

東名ハイウェイバス

超特急・特急:東京駅 - 名古屋駅、急行:静岡駅 - 名古屋駅

ドリームとよた号

東京駅 - 名古屋駅

新宿ライナー三河・なごや号

新宿駅 - 名古屋駅

道路

美合PA
国道1号と龍城橋
高速道路
一般国道
主要地方道
一般県道
市内の道路通称名
主な林道
  • 桑谷蒲郡線
  • 大入線
  • 久保田釜石線
  • 古部才栗線
  • 寺野木下線
  • 桜形木下線
  • 鍛埜桜形線
  • 保母線
  • 小久田岩下線
  • 大重線
  • 源見線
  • 入道倉線
  • 上ノ平線
  • 戸沢線
  • 石原河原線
  • 宮西線
  • 中部線
  • 古貝津線
主な緑道
主な坂道

当市では1983年昭和58年)に坂道の愛称を募集した[76]の多い地形である。

  • 伊賀浄水坂(いがじょうすいざか)
  • 井田坂(いだざか)
  • 沢蟹坂(さわがにざか)
  • 茶臼坂(ちゃうすざか)
  • 道城坂(どうじょうざか)
  • 灯台坂(とうだいざか)
  • 努力坂(どりょくざか)
  • 蛭坂(ひるざか)
  • 法丈坂(ほうじょうざか)
  • みかえり坂(みかえりざか)
  • みのざか(みのざか)
  • 耳取坂(みみとりざか)
  • 六地蔵坂(ろくじぞうざか)

「岡崎」ナンバー

従来、自動車ナンバープレートは、管轄する自動車検査登録事務所ごとに表示される地域名が決まり、当市を含む西三河自動車検査登録事務所管内では「三河」ナンバーが使用されていた。

国土交通省が2004年11月、新たな地域名表示ナンバープレート、いわゆるご当地ナンバーの導入についての要綱を取りまとめたことを受け、当市・額田郡幸田町・額田郡額田町の3市町は、2005年2月24日から3月6日に「岡崎」ナンバー導入に関するアンケートを実施した。結果、賛成意見が約7割に上ったため、国土交通省に申請することになった。

同年7月29日に認可が下り、2006年10月10日より当市および額田郡幸田町に使用の本拠の位置を置く自動車に対して交付されるナンバープレートには「岡崎」と記されることになった。

観光

文化財

建築物

国の重要文化財
名称 棟名 所有者名 指定年月日 所在地
滝山寺三門 滝山寺 1901年(明治34年)3月27日 滝町
滝山寺本堂 1904年(明治37年)2月18日
妙源寺柳堂 妙源寺 1903年(明治36年)4月15日 大和町
大樹寺多宝塔 大樹寺 1904年(明治37年)2月18日 鴨田町
信光明寺観音堂 信光明寺 1904年(明治37年)2月18日 岩津町
天恩寺仏殿 天恩寺 1907年(明治40年)5月27日 片寄町
天恩寺山門
八幡宮本殿 上地八幡宮 1926年(大正15年)4月19日 上地町
八幡宮本殿 土呂八幡宮 1931年(昭和06年)1月19日 福岡町
伊賀八幡宮 本殿、幣殿、拝殿 伊賀八幡宮 1933年(昭和08年)1月23日 伊賀町
透塀
御供所
随身門
神橋
鳥居
六所神社 本殿、幣殿、拝殿 六所神社 1935年(昭和10年)5月13日 明大寺町
神供所
楼門
滝山東照宮 本殿 滝山東照宮 1953年(昭和28年)11月14日 滝町
拝殿、幣殿
中門
鳥居
水屋
旧額田郡公会堂
及物産陳列所
公会堂 岡崎市 1999年(平成11年)12月1日 朝日町
物産陳列所
国の登録有形文化財
登録名称 所有者名 登録年月日 所在地
八丁味噌本社事務所 合資会社八丁味噌 1996年(平成08年)12月20日 八帖町
八丁味噌本社蔵(史料館)
本光寺山門 本光寺 2007年(平成19年)10月2日 上青野町
本光寺本堂
岡崎信用金庫資料館
(旧岡崎銀行本店)
岡崎信用金庫 2008年(平成20年)3月7日 伝馬通
旧石原家住宅主屋 不詳 2011年(平成23年)7月25日 六供町
旧石原家住宅庭門
旧石原家住宅土蔵
旧愛知県第二尋常中学校講堂 岡崎市 2013年(平成25年)3月29日 針崎町
旧愛知県岡崎師範学校武道場 国立大学法人愛知教育大学 2013年(平成25年)12月24日 六供町
日本福音ルーテル岡崎教会教会堂[注 7] 宗教法人日本福音ルーテル教会 2013年(平成25年)12月24日 伝馬通
旧本多家住宅主屋 岡崎市 2014年(平成26年)10月7日 欠町
善立寺玄関 善立寺 2015年(平成27年)11月17日 祐金町
善立寺山門
善立寺七面堂
善立寺本堂
愛知県立岡崎高等学校正門門柱 愛知県 2017年(平成29年)6月28日 明大寺町
愛知県立岩津高等学校正門旧門柱 愛知県 2017年(平成29年)6月28日 東蔵前町
愛知県指定有形文化財
指定名称 所有者名 指定年月日 所在地
大樹寺伽藍
(三門、総門、裏二門、鐘楼、大方丈)
大樹寺 1955年(昭和30年)6月6日 鴨田町
淇篆庵並水屋 明願寺 1979年(昭和54年)6月13日 伊賀町
市景観重要建造物
指定名称 指定年月日 所在地
岡崎城天守 2013年(平成25年)4月17日 康生町
六供配水場配水塔 2013年(平成25年)5月31日 六供町
旧石原家住宅 2013年(平成25年)8月30日 六供町
旧野村家住宅(米屋) 2013年(平成25年)8月30日 藤川町
カクキュー八丁味噌 2014年(平成26年)10月30日 八帖町
まるや八丁味噌 2014年(平成26年)10月30日 八帖町
本光寺 2015年(平成27年)4月8日 上青野町
アイチ味噌溜店舗 2015年(平成27年)7月24日 本宿町
善立寺 2017年(平成29年)10月31日 祐金町
岡崎信用金庫資料館 2017年(平成29年)10月31日 伝馬通
日本福音ルーテル岡崎教会教会堂 2018年(平成30年)9月1日 伝馬通
十王堂 2019年(平成31年)3月1日 藤川町
まるや八丁味噌土蔵 2020年(令和2年)3月30日 八帖町

絵画・彫刻・工芸品等

指定名称 指定別 種別 所有者名 指定年月日 所在地
絹本著色善光寺如来絵伝 重要文化財 絵画 妙源寺 1918年(大正07年)4月8日 大和町
絹本著色法然上人絵伝 重要文化財 絵画 1918年(大正07年)4月8日
絹本著色親鸞上人絵伝 重要文化財 絵画 1918年(大正07年)4月8日
絹本著色光明本尊 重要文化財 絵画 2014年(平成26年)8月21日
絹本墨画淡彩如意輪観音図 重要文化財 絵画 大樹寺 1954年(昭和29年)3月20日 岡崎市美術博物館
大方丈障壁画岡田為恭筆 重要文化財 絵画 1954年(昭和29年)3月20日 鴨田町
絹本著色山越阿弥陀如来像 県指定文化財 絵画 1955年(昭和30年)6月6日 岡崎市美術博物館
絹本著色当麻曼荼羅絵 県指定文化財 絵画 1955年(昭和30年)6月6日 岡崎市美術博物館
絹本著色二十五菩薩来迎図 県指定文化財 絵画 1955年(昭和30年)6月6日 岡崎市美術博物館
木造阿弥陀如来坐像 県指定文化財 彫刻 1984年(昭和59年)2月27日 鴨田町
木造勢誉上人坐像 県指定文化財 彫刻 1984年(昭和59年)2月27日 鴨田町
大樹寺文書 県指定文化財 書跡 1984年(昭和59年)3月30日 岡崎市美術博物館
木造観音菩薩・梵天・帝釈天立像 重要文化財 彫刻 滝山寺 1981年(昭和56年)6月9日 滝町
木造狛犬 県指定文化財 彫刻 1957年(昭和32年)1月12日
錫杖 県指定文化財 工芸品 1958年(昭和33年)3月29日
孔雀文磬 県指定文化財 工芸品 1958年(昭和33年)3月29日
木造菩薩面(付4点) 県指定文化財 工芸品 1985年(昭和60年)7月12日
木造毘沙門天立像 県指定文化財 彫刻 2020年(令和2年)2月7日[78]
蒔絵曲禄 県指定文化財 工芸品 2020年(令和2年)2月7日[78]
太刀 銘正恒 附 糸巻太刀拵 重要文化財 工芸品 滝山東照宮 1914年(大正03年)4月17日 岡崎市美術博物館
太刀 銘長光 附 糸巻太刀拵 重要文化財 工芸品 1924年(大正13年)4月15日
木造慈恵大師坐像 重要文化財 彫刻 真福寺 1941年(昭和16年)11月6日 真福寺町
塑像仏頭 県指定文化財 彫刻 1983年(昭和58年)3月7日
鉦鼓用引架 重要文化財 工芸品 昌光律寺 1962年(昭和37年)6月21日 伊賀町
僧月僊作品群 県指定文化財 絵画 1955年(昭和30年)6月6日
木造兜跋毘沙門天立像 重要文化財 彫刻 庚申講 2002年(平成14年)6月26日 鹿勝川町
色紙阿弥陀経 重要文化財 書跡 満性寺 2004年(平成16年)6月8日 菅生町
絹本著色善光寺如来絵伝 県指定文化財 絵画 1957年(昭和32年)1月12日
絹本著色法然上人絵伝 県指定文化財 絵画 1957年(昭和32年)1月12日
絹本著色太子講讃孝養の図 県指定文化財 絵画 1957年(昭和32年)9月6日
木造南無仏太子像 県指定文化財 彫刻 1958年(昭和33年)3月29日
絹本著色持鉢釈迦如来画像 県指定文化財 絵画 萬松寺 1957年(昭和32年)9月6日 岡崎市美術博物館
根来塗払子 県指定文化財 工芸品 1958年(昭和33年)3月29日
藍染繍衣陣羽織 県指定文化財 工芸品 1958年(昭和33年)6月21日
白麻二十五条袈裟 県指定文化財 工芸品 1958年(昭和33年)6月21日
唐絹萌黄七条甲袈裟 県指定文化財 工芸品 1958年(昭和33年)6月21日
県指定文化財 工芸品 桜井寺 1960年(昭和35年)6月2日 桜井寺町
木造阿弥陀如来坐像 県指定文化財 彫刻 称名寺 2014年(平成26年)8月1日 藤川町

名所・旧跡

主な史跡
主な城郭
主な寺院
主な神社

観光スポット

奥山田のしだれ桜
東公園動物園

文化

祭事・催事

1月〜3月
4月〜6月
7月〜9月
10月〜12月
  • 矢作神社秋の大祭(10月1日、2日)
  • 夏山八幡宮火祭り(10月)
  • 造形おかざきっ子展(10月下旬)
  • 秋の市民まつり(11月上旬)
  • 岡崎ジャズストリート(11月、第1土・日曜日)
  • おかざきマラソン(11月)

名品・郷土料理

スポーツチーム

男子
名称 競技種目 所属リーグ 本拠地 運営会社・団体 設立
マルヤス工業フットボールクラブ サッカー JFL 名古屋市港サッカー場
豊田市運動公園岩田運動公園
マルヤス工業 1968年
三菱自動車岡崎硬式野球部 野球 JABA
社会人野球
三菱大府グランド 三菱自動車工業 1993年

出身著名人

徳川家康

武将・歴史上の人物

政界

財界

法曹・官吏

学界・教育界

文化人

スポーツ選手

音楽家

芸能人

アナウンサー

その他

マスコットキャラクター

オカザえもん

オカザえもん(2014年4月6日)

オカザえもんは、愛知県日進市出身の現代美術作家・斉と公平太の作品。「あいちトリエンナーレ2013」のプレイベント「岡崎アート&ジャズ2012」の出品作品である。イラストと着ぐるみ、2つのキャラクターが存在する。2012年10月31日に行われた同イベントの内覧会で初めて公の場に姿を現す[87]

2013年4月1日、岡崎市から「岡崎アート広報大臣」に委嘱された(任期は1年間)[88]。同年7月10日には「ご当地キャラ総選挙2013」の中部地区予選で1位となった[89]。同年8月6日には決勝大会で全国2位となった[90]。2013年11月24日、「ゆるキャラグランプリ2013」において、全国22位となった[91]

市内業者が作る関連商品については、作者の承諾により著作権料は発生しない[92]。その効果もあって多くの商品が生み出されるようになった。売れ行きも好調で、2013年12月に市内郵便局で限定発売された「オカザえもん切手シート」は1日で完売した[93]。また同年12月22日、日本経済新聞が発表した「ゆるキャラスイーツ・ベスト10」で、康生地区の和菓子屋が製造した「オカザえもんどら焼き」が全国5位に選ばれた[94]

2014年3月31日、岡崎アート広報大臣を退任。オカザえもんが1年間の間に岡崎市内に及ぼした経済波及効果は約42億5千万円、新聞や雑誌への掲載による広告効果は約6億6千万円であったことが退任式で発表された[95]。2016年4月2日、市から再び「岡崎アート広報大臣」に委嘱された。

広報・公聴関係

映像・ラジオ広報事業

脚注

注釈

  1. ^ 矢作町は碧海郡に属し、特にその西端では安城市などとのつながりが強く、住民の運動によって[46]境界が変更された。
  2. ^ 西三河南部の県税を管轄する本所であるが、軽油引取税、産業廃棄物税、ゴルフ場利用税については傘下の安城間税課が取り扱っている。
  3. ^ 「岡崎市福祉会館・緑の家」として1978年4月1日に作られた建物に現在、一般社団法人岡崎パブリックサービスと岡崎保護区保護司会が入っている。
  4. ^ 三河地方全域の商業・法人登記の申請事務を行なっている。
  5. ^ 三河地方全域の裁判員の参加する刑事裁判が行なわれている。
  6. ^ 橋目町にある三菱自動車工業の工場は、2016年10月1日、「名古屋製作所岡崎工場」から「岡崎製作所」に改称した[72]
  7. ^ 日本福音ルーテル岡崎教会教会堂は、信徒伝道者・建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により1953年に建てられた[77]
  8. ^ 8月第1土曜日の前日に開催されていたイベント「岡崎観光夏まつり五万石おどり・みこし」は、市の財政緊縮策により2012年は中止された。翌2013年から新イベント「岡崎城下 家康公夏まつり」にとってかわった。
  9. ^ 1923年(大正12年)1月9日付の『名古屋新聞』はこう書き記した。「今の岡崎市は何をとる事が出来るのかと考へて見ると昔乍らの名物八丁味噌だけが矢作川の流れと共に(中略)わづかに其の俤(おもかげ)を止めてドテヤキは八丁味噌に限りそしてドテヤキは流石に岡崎がうまいと有難い賞讃を博している位なものしか思ひ出せぬ」[82]

出典

  1. ^ みそ健康づくり委員会編『みそ文化誌』全国味噌工業協同組合連合会、社団法人中央味噌研究所、2001年4月1日、275頁。 
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  3. ^ 西三河県民事務所 - 愛知県”. www.pref.aichi.jp. 2020年5月6日閲覧。
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  7. ^ 「1. 本市の概況」岡崎市
  8. ^ 「岡崎市の人口」岡崎市
  9. ^ 「1. 本市の概況」岡崎市
  10. ^ 「岡崎市の地形」岡崎市
  11. ^ 「岡崎市の概況」岡崎市
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  16. ^ 「1-3 岡崎市の沿革」岡崎市
  17. ^ a b c d e 「市のあゆみ」岡崎市
  18. ^ 「西牧野遺跡」愛知県
  19. ^ 「愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第174 集西牧野遺跡」愛知県埋蔵文化財センター
  20. ^ 岡崎市美術博物館 副館長 荒井信貴「「岡崎」のなかった頃の岡崎学 - 古墳時代〜古代の西三河 - 」
  21. ^ 「寺院紹介」真福寺
  22. ^ 「1-3 岡崎市の沿革」岡崎市
  23. ^ 「奥山田しだれ桜」岡崎市観光協会
  24. ^ 「こうた豆知識 」幸田町
  25. ^ 「駅家郷(古代)」角川日本地名大辞典(旧地名編)
  26. ^ 「谷部郷(古代)」「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
  27. ^ 日本地理志料―古代地名辞書 (1966年)
  28. ^ 大日本地名辞書
  29. ^ 『張州雑志』巻三十四所収「大宮司系譜」
  30. ^ a b 「浄瑠璃姫と岡崎 〜桜と姫に守られて〜」岡崎商工会議所
  31. ^ 「沿革」岡崎市
  32. ^ a b c d e 第1章 岡崎市の歴史的風致形成の背景(PDF:11MB)岡崎市歴史的風致維持向上計画
  33. ^ 「1-3 岡崎市の沿革」岡崎市
  34. ^ 「沿革」岡崎市
  35. ^ 「愛知県のできごと」浜島書店
  36. ^ 「岡崎藩」『藩名・旧国名がわかる事典』、『日本大百科全書』
  37. ^ 1994年9月 国道1号本宿地区東海道ルネッサンス事業委員会・郷土史本宿研究会「本宿町案内板説明文」本宿町
  38. ^ 「愛知県のできごと」浜島書店
  39. ^ 「岡崎の歴史と文化〜明治・大正・昭和〜」愛知学泉大学 教授 岡田洋司
  40. ^ 「1-3 岡崎市の沿革」岡崎市
  41. ^ a b c d e 『新編 岡崎市史 現代 5』新編岡崎市史編さん委員会、1985年12月28日。 
  42. ^ 「Q.岡崎の名前の起源、成り立ち、簡単な歴史紹介をしていただけませんか。」岡崎市
  43. ^ 岡崎商工会議所のあゆみ岡崎商工会議所
  44. ^ a b c 過去の主な災害 (PDF) 岡崎市市長公室防災危機管理課、2010年3月19日
  45. ^ 市制施行100周年記念式・市長式辞 (平成28年7月1日) | 岡崎市ホームページ
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参考文献

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  • 『激動の90年 日本と岡崎 1912年〜2003年詳細年表』 情報文化社、2004年。

関連項目

外部リンク