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高林敏巳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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高林 敏巳(たかばやし としみ、1905年9月26日 - 1993年7月26日 )は、日本経営者三井金属鉱業社長を務めた。静岡県浜松市出身[1]

来歴・人物

旧制静岡県立榛原中学校、旧制第八高等学校を経て、1928年東京帝国大学工学部鉱山学科を卒業し、同年に三井鉱山に入社[1]1951年三井金属鉱業に転じ、1952年に取締役に就任し、1956年に常務を経て、1958年11月に副社長に就任し、1964年5月には社長に昇格した[1]1970年4月に会長に就任し、1974年5月までに務めた[1]経済団体連合会日本経営者団体連盟各常任理事も務めた[1]

1965年10月に藍綬褒章を受章し、1976年11月に勲一等瑞宝章を受章した[1]

1993年7月26日呼吸不全のため死去[2]、87歳没。

脚注

  1. ^ a b c d e f 興信データ株式會社 1985, た227頁.
  2. ^ 1993年 7月29日 日本経済新聞 朝刊 p39

参考文献

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第33版 下』興信データ、1985年。