トム・マギー
トム・マギー | |
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プロフィール | |
リングネーム |
トム・マギー ジョー・マッケンジー |
ニックネーム | メガ・マン |
身長 | 194cm - 198cm |
体重 | 110kg - 125kg |
誕生日 | 1958年7月1日(66歳) |
出身地 |
カナダ マニトバ州 ウィニペグ[1][2] |
スポーツ歴 |
パワーリフティング ボディビルディング |
トレーナー | ミスター・ヒト |
デビュー | 1985年 |
トム・マギー(Tom Magee、1958年7月1日 - )は、カナダ出身のパワーリフティング選手、プロレスラー。マニトバ州ウィニペグ出身(ブリティッシュコロンビア州バンクーバー出身ともされる[3])。
来歴
[編集]1981年にカナダのパワーリフティング王者となり[3]、1982年にはドイツのミュンヘンで行われたIPFの世界大会にて優勝[4]。ワールド・ストロンゲスト・マンのコンテストにも、1982年(2位)、1983年(4位)、1985年(5位)の3回に渡って出場[5]。ボディビルディングにおいても、1984年にミスター・ブリティッシュコロンビアのタイトルを獲得している[4]。
1985年、ミスター・ヒトにスカウトされ、同年10月にプロレスラーとしてカルガリーでデビュー[3]。1986年1月1日、全日本プロレスのリングで長州力と5分10ラウンド制の異種格闘技戦(実質マギーは既にプロレスラーであったが、パワーリフターという肩書になっていた)を行い、3ラウンド2分13秒、ラリアットからのピンフォールで敗退した。
1986年7月、WWFのTVショーに出場し、ダーク・マッチでブレット・ハートに勝利[6]。翌1987年1月より、メガ・マン(Mega Man)をニックネームにベビーフェイスの大型ルーキーとしてWWFに再登場。マグニフィセント・ムラコ、アイアン・マイク・シャープ、ロン・バス、タイガー・チャン・リーなどの中堅ヒールを相手に連勝を重ね[6]、次代のハルク・ホーガンとも目されたものの[4]、レギュラー参戦を果たすには至らなかった。
1988年3月、全日本プロレスに再来日して輪島大士やジョン・テンタと対戦[7]。1989年もWWFのハウス・ショーに単発出場したが、戦績は芳しくなかった[6]。
その後はマニトバ州ウィニペグをホームタウンに、アクション俳優として活動[5]。
得意技
[編集]- カナディアン・バックブリーカー
- がぶりの体勢からの通常型ではなく、相手を背後からクラッチして肩に担ぎ上げる独自のカナディアン・バックブリーカーをフィニッシュ・ホールドとしていた。
- ジャンピング・クローズライン
- ラウンドハウス・キック
脚注
[編集]- ^ “Tom Magee: General Information”. Wrestlingdata.com. 2024年7月24日閲覧。
- ^ “Tom Magee: Profile & Match Listing”. Internet Wrestling Database. 2024年7月24日閲覧。
- ^ a b c 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P82(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c “Wrestler Profiles: Tom Magee”. Online World of Wrestling. 2012年7月20日閲覧。
- ^ a b “Tom Magee - IMDb”. Internet Movie Database. 2012年7月20日閲覧。
- ^ a b c “Wrestlers Database: Tom Magee”. Cagematch.net. 2012年7月20日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Tom Magee in 1988”. Wrestlingdata.com. 2024年7月24日閲覧。
外部リンク
[編集]- Online World of Wrestling
- トム・マギーのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database