バルタザール4世・ド・ブルボン
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Balthazar IV バルタザール4世 | |
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バルタザール4世(右から2人目、2012年12月3日) | |
生誕 | 1958年7月29日(66歳) |
宗教 | キリスト教(カトリック教会) |
配偶者 | エリシャ・パチェコ |
子供 |
一覧参照
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親 |
父:サルヴァトール3世 母:マリー・マティルド・グリーン |
バルタザール4世・ナポレオン・ド・ブルボン(フランス語: Balthazar IV Napoléon de Bourbon、1958年7月29日 - )[1]は、インドの弁護士[2]。フランス・ブルボン家の末裔を称する「ブルボン・ボーパール家」の家長。
経歴
[編集]伝承によると、クレルモン伯ジャン・フィリップなるフランス王族(ブルボン朝の初代国王アンリ4世の甥[注 1])の子孫だという[2][4]。ジャン・フィリップの子孫であるサルヴァトール2世(イナヤット・マシー[5])はボーパール藩王国ナワーブのムハンマド・ハーンから重用され[5]、その子のバルタザール1世(シャーザード・マシー[5])とその孫のセバスティアン(バルタザール4世の高祖父)は宰相に任じられ、インド中部のボーパールにおいては名が知られた一族だった。1971年に貴族としての称号と特権を喪失した[4]。
ギリシャ王族であったミシェル・ド・グレースが、歴史小説『ル・ラージャ・ド・ブルボン』の中でバルタザール4世こそがフランス王家の最古流の末裔であると主張したことで、ブルボン・ボーパール家への関心が高まった。
2013年3月、ボーパールを訪問した在印フランス大使のフランソワ・リシエらとバロック音楽を鑑賞した[6]。
バルタザール4世は、フランスへの移住やフランス市民権の取得は考えていないという[7]。ブルボン家の血縁主張を検証するためにDNA鑑定を実施する意思があると定期的に語っているが、2016年現在実現していない[1]。
家族
[編集]エリシャ・パチェコと結婚し、フレデリック(duc de Shergar[1]、シェガール公?)、ミシェル、エイドリアンの2男1女を儲けた。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “L'énigme de la semaine. Un Bourbon chez les nababs”. Valeurs actuelles. (2016年8月2日) 2019年4月20日閲覧。
- ^ a b “Indiában él a francia trón legidősebb örököse”. Múlt-kor. (2007年3月8日) 2019年4月20日閲覧。
- ^ Bourbon-Bhopal - ウェイバックマシン(2015年2月15日アーカイブ分)
- ^ a b “'France for better ties with MP'”. Manchester Evening News. (2007年8月21日) 2019年4月20日閲覧。
- ^ a b c Shaharyar M. Khan (28 July 2000). The Begums of Bhopal: A History of the Princely State of Bhopal. I.B.Tauris. p. 62. ISBN 978-1860645280
- ^ “'France for better ties with MP'”. The Times of India. (2013年3月22日) 2019年4月20日閲覧。
- ^ “'King' of France wants to live in India”. The Times of India. (2007年3月5日) 2019年4月20日閲覧。
外部リンク
[編集]- Royal House of Bourbon-Bhopal (Bourbon.Bhopal) - Facebook