パスクアーレ・マリーノ
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
ウディネーゼ監督時代(2010年) | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Pasquale Marino | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1962年7月13日(62歳) | |||||
出身地 | マルサーラ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
マルサーラ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1979-1984 | マルサーラ | |||||
1984-1986 | アクラガス | |||||
1986-1989 | シラクーザ | 91 | (10) | |||
1989-1992 | バッティパリェーゼ | 44 | (2) | |||
1993-1994 | メッシーナ | 18 | (0) | |||
1994-1997 | カターニア | 48 | (5) | |||
通算 | 209 | (17) | ||||
監督歴 | ||||||
1997-1999 | ミラッツォ | |||||
1999-2000 | ラグーザ | |||||
2000-2002 | パテルノー | |||||
2000-2002 | フォッジャ | |||||
2004-2005 | アレッツォ | |||||
2005-2007 | カターニア | |||||
2007-2009 | ウディネーゼ | |||||
2010 | ウディネーゼ | |||||
2010-2011 | パルマ | |||||
2011-2012 | ジェノア | |||||
2013-2014 | ペスカーラ | |||||
2014-2016 | ヴィチェンツァ | |||||
2016-2017 | フロジノーネ | |||||
2017-2018 | ブレシア | |||||
2018-2019 | スペツィア | |||||
2019-2020 | パレルモ | |||||
2020 | エンポリ | |||||
2020-2021 | S.P.A.L. | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
パスクアーレ・マリーノ(Pasquale Marino, 1962年7月13日 - )は、イタリア・マルサーラ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
経歴
[編集]現役時代はほとんどをシチリア島のクラブで過ごした。引退後は監督として着実にキャリアを積み、ASパテルノー・カルチョをセリエDからセリエC1まで昇格させた。2002年からUSフォッジャを率いてセリエC2で優勝。続いて率いたACアレッツォをセリエBに残留させた。
2005-06シーズンよりカルチョ・カターニアの監督に就任。圧倒的な攻撃サッカーで1年でセリエA昇格を達成する。翌2006-07シーズン、カターニアは前半戦で躍進し、サポーター暴動によるホームゲーム没収により失速するも残留を達成した。同シーズンに森本貴幸を指導し、トップチームで起用した。
2007-08シーズンよりウディネーゼ・カルチョの監督に就任。アントニオ・ディ・ナターレ、ファビオ・クアリャレッラらを擁し、3-4-3システムによるスペクタクルなフットボールを展開、同シーズンはMFギョクハン・インレル、GKサミール・ハンダノヴィッチ、FWシモーネ・ペペらほとんど無名の新加入選手が躍動し、チームは7位に入りUEFAカップ出場権を獲得した。2008-09シーズンはUEFAカップとリーグ戦の両立に苦戦しつつも7位となった。2009年12月22日に成績不振により途中解任されるも、その後もチームは低迷し続けたため2010年2月20日に復帰して残留を達成。シーズン終了後に退団。
2010-11シーズンよりフランチェスコ・グイドリンと入れ替わる形でパルマFCの監督に就任[1]するも、2011年4月3日に成績不振により途中解任される。
2011年12月22日、前日のSSCナポリ戦に大敗して解任されたアルベルト・マレザーニの後任としてジェノアCFCの監督[2]に就任。2012年4月2日、成績不振によりわずか3ヶ月で解任された[3]。
2016年6月6日、セリエBに降格したフロジノーネ・カルチョの監督に就任することが発表された[4]。シーズンを終えリーグ3位へ導いたが、昇格プレーオフでカルピFCに敗れたことで辞任を表明した[5]。
2017年10月12日、セリエBにおいて降格圏に沈むブレシア・カルチョの指揮官に招聘された[6]。しかし翌年1月15日に解任され、ロベルト・ボスカーリャが呼び戻された[7]。
2018-19シーズンより、スペツィア・カルチョの監督に就任することが発表された[8]。
2019年6月7日、USチッタ・ディ・パレルモの監督に就任したが、不正経理問題のため7月12日に退任した。
チーム造りの特徴
[編集]USフォッジャ時代にズデネク・ゼーマンの影響を受けたとされ、3トップによる果敢な攻撃サッカーを理想とし、指導したクラブを次々と昇格・残留させている。
監督成績
[編集]- 2021年3月15日現在
クラブ | 国 | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 勝率 | ||||
ミラッツォ | 1997年7月1日 | 1999年7月1日 | 68 | 30 | 22 | 16 | 91 | 68 | +23 | 44.12 | |
ラグーザ | 1999年7月1日 | 2000年7月1日 | 36 | 12 | 9 | 15 | 46 | 42 | +4 | 33.33 | |
パテルノー | 2000年7月1日 | 2002年7月1日 | 86 | 44 | 28 | 14 | 145 | 82 | +63 | 51.16 | |
フォッジャ | 2002年7月1日 | 2004年7月1日 | 78 | 34 | 23 | 21 | 118 | 103 | +15 | 43.59 | |
アレッツォ | 2004年7月1日 | 2005年2月27日 | 31 | 6 | 13 | 12 | 40 | 43 | −3 | 19.35 | |
アレッツォ | 2005年4月21日 | 2005年7月1日 | 8 | 4 | 1 | 3 | 8 | 7 | +1 | 50.00 | |
カターニア | 2005年7月1日 | 2007年6月1日 | 82 | 32 | 24 | 26 | 114 | 113 | +1 | 39.02 | |
ウディネーゼ | 2007年6月4日 | 2009年12月22日 | 111 | 46 | 27 | 38 | 155 | 145 | +10 | 41.44 | |
ウディネーゼ | 2010年2月21日 | 2010年5月28日 | 15 | 6 | 5 | 4 | 27 | 24 | +3 | 40.00 | |
パルマ | 2010年6月2日 | 2011年4月3日 | 33 | 8 | 12 | 13 | 32 | 44 | −12 | 24.24 | |
ジェノア | 2011年12月22日 | 2012年4月2日 | 15 | 3 | 4 | 8 | 23 | 34 | −11 | 20.00 | |
ペスカーラ | 2013年6月7日 | 2014年2月22日 | 29 | 11 | 7 | 11 | 37 | 37 | +0 | 37.93 | |
ヴィチェンツァ | 2014年10月30日 | 2016年3月14日 | 67 | 23 | 25 | 19 | 72 | 70 | +2 | 34.33 | |
フロジノーネ | 2016年6月6日 | 2017年5月29日 | 46 | 22 | 12 | 12 | 60 | 45 | +15 | 47.83 | |
ブレシア | 2017年10月11日 | 2018年1月16日 | 13 | 3 | 4 | 6 | 12 | 14 | −2 | 23.08 | |
スペツィア | 2018年6月20日 | 2019年5月30日 | 39 | 15 | 9 | 15 | 56 | 50 | +6 | 38.46 | |
パレルモ | 2019年6月7日 | 2019年7月12日 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | +0 | — | |
エンポリ | 2020年1月26日 | 2020年8月11日 | 18 | 9 | 4 | 5 | 27 | 22 | +5 | 50.00 | |
S.P.A.L. | 2020年8月12日 | 2021年3月16日 | 34 | 12 | 14 | 8 | 39 | 37 | +2 | 35.29 | |
合計 | 809 | 320 | 243 | 246 | 1,102 | 980 | +122 | 39.56 |
タイトル
[編集]選手時代
[編集]- バッティパリェーゼ
- セリエC2 : 1989-90
- カターニア
- セリエD : 1994-95
指導者時代
[編集]- パテルノー
- セリエD : 2000-01
- フォッジャ
- セリエC2 : 2002-03
脚注
[編集]- ^ Goal.com(2010-6-3) パルマ、マリーノ就任を発表(2010-6-3閲覧)
- ^ Goal.com(2011-12-23) ジェノア新監督にマリーノ氏(2011-12-23閲覧)
- ^ Goal.com(2012-4-2) インテルに敗れたジェノアが監督交代(2012-4-3閲覧)
- ^ “UFFICIALE: Frosinone, Pasquale Marino è il nuovo tecnico”. TuttoMercatoWeb.com (2016年6月6日). 2016年11月14日閲覧。
- ^ “Serie B, playoff: Frosinone-Carpi 0-1. Emiliani in nove, Letizia li porta in finale”. Repubblica.it (2017年5月30日). 2018年1月6日閲覧。
- ^ “Brescia, sarà Pasquale Marino il nuovo allenatore”. Corriere dello Sport (2017年10月12日). 2018年1月6日閲覧。
- ^ “Brescia, Cellino esonera Marino e richiama Boscaglia”. La Gazzetta dello Sport (2018年1月15日). 2018年6月30日閲覧。
- ^ “Serie B Spezia, Marino si presenta: «Voglio far divertire i nostri tifosi»”. Corriere dello Sport (2018年6月21日). 2018年6月30日閲覧。
- ^ “Empoli, altro cambio in panchina: via Muzzi, arriva Marino” (イタリア語). La Gazzetta dello Sport (2020年1月26日). 2020年5月31日閲覧。
外部リンク
[編集]- Pasquale Marino - manager profile Transfermarkt