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パット・ヘネン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パット・ヘネン
パット・ヘネンとバリー・シーン
グランプリでの経歴
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
活動期間 1976 - 1978
チーム スズキ
レース数 17
チャンピオン 0
優勝回数 3
表彰台回数 12
通算獲得ポイント 164
ポールポジション回数 0
ファステストラップ回数 0
初グランプリ 1976 500cc イタリア
初勝利 1976 500cc フィンランド
最終勝利 1978 500cc スペイン
最終グランプリ 1978 500cc イタリア
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パット・ヘネンPat Hennen, 1953年4月27日 - 2024年4月7日)は、アメリカ合衆国アリゾナ州フェニックス出身の元オートバイレーサー。アメリカ人として初めてロードレース世界選手権で優勝したライダーである。

経歴

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ヘネンのレースキャリアは、若いころに家族と共に移り住んだ北カリフォルニアダートトラックレースに出会ったところから始まった。そこで注目を集めたヘネンはスズキファクトリーチームに迎えられ、グランプリへの参戦を開始する。そして1976年、ヘネンは初出場ながらフィンランドで1勝を挙げ、500ccクラスでランキング3位を得た。このフィンランドの勝利が、アメリカ人がグランプリで初めて勝った瞬間であった。この時の勝利が余りにも予想外であったため、フィンランドのオーガナイザーは表彰式で流すべきアメリカ国歌のテープを用意していなかった[1]

1977年シルバーストンで行われたイギリスGPで1勝を挙げたヘネンは、前年に続いてランキング3位となった。ヘネンはまた、グランプリのシーズンオフにニュージーランドで開催されていたマールボロ・シリーズに参戦し、スズキのTR500、TR750、RG500といったマシンで3シーズン連続チャンピオンに輝いている(1974-75、1975-76、1976-77の3シーズン)。マールボロ・シリーズは5シーズンに渡って開催されたが、ヘネンはそのうちの3シーズンでタイトルを獲ったのである。

そして1978年、グランプリの合間を縫って出場したマン島TTレースでのクラッシュによって、前途有望と思われていたヘネンのレースキャリアは突然終わりを迎えることになった[2]。その日も好調で20分台後半のコースレコードを叩き出したヘネンは、150mph(約240km/h)の高速で縁石に突っ込んだのである。その時何が起きたのかは今もってはっきりとは分かっておらず、噂では鳥にぶつかったのではないかと言われている[2]。その時のクラッシュによってヘネンは頭部に重傷を負い、奇跡的に一命を取りとめたものの、その後遺症によりレースから引退せざるを得なかった。

現在ヘネンはカリフォルニアサンマテオに住んでおり、2007年にはAMAモーターサイクル殿堂入りを果たした。

2024年4月7日に肺癌で死去。70歳没[3]

ロードレース世界選手権での戦績[4]

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クラス マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 ポイント 順位 勝利数
1976 500cc スズキ FRA
-
AUT
-
ITA
5
IOM
-
NED
2
BEL
8
SWE
-
FIN
1
CZE
-
GER
3
46 3位 1
1977 500cc スズキ VEN
3
AUT
-
GER
2
ITA
-
FRA
10
NED
3
BEL
3
SWE
10
FIN
-
CZE
4
GBR
1
67 3位 1
1978 500cc スズキ VEN
2
SPA
1
AUT
-
FRA
2
ITA
2
NED
-
BEL
-
SWE
-
FIN
-
GBR
-
GER
-
51 6位 1

脚注

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外部リンク

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