ペドロ・ヒーゾ
基本情報 | |
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本名 |
ペドロ・アウグスト・ヒーゾ (Pedro Augusto Rizzo) |
通称 |
ザ・ロック (The Rock) 金網のビッグ・ベアー |
国籍 | ブラジル |
生年月日 | 1974年5月3日(50歳) |
出身地 |
ブラジル リオデジャネイロ州リオデジャネイロ |
所属 |
ファス・バーリ・トゥード ブラック・ハウス アメリカントップチーム ドージョーチャクリキ |
身長 | 185cm |
体重 | 111kg |
リーチ | 196cm |
階級 | ヘビー級 |
バックボーン | ムエタイ、ルタ・リーブリ(黒帯四段)、ブラジリアン柔術(黒帯) |
ペドロ・ヒーゾ(Pedro Rizzo、1974年5月3日 - )は、ブラジルの男性元総合格闘家、キックボクサー。リオデジャネイロ出身。ファス・バーリ・トゥード所属。
マルコ・ファスの一番弟子。スタンドでの打撃を得意とする、バーリトゥード時代から活躍していた強豪選手で、UFCでも3度にわたって王座に挑戦した。
来歴
[編集]アメリカ合衆国のWorld Vale Tudo Championshipで活躍後、UFCに参戦。
1998年10月16日、UFC初参戦となった地元開催のUFC Brazilでタンク・アボットと対戦。1RにKO勝ち。
1999年1月8日、UFC 20で元ヘビー級王者マーク・コールマンと対戦し、2-1の判定勝ち。
1999年11月14日、日本で開催されたUFC 23で高阪剛と王座挑戦者決定戦で対戦。3R後半にアッパーによるレフェリーストップでTKO勝ち。
2000年6月9日、UFC 26のUFC世界ヘビー級タイトルマッチで王者ケビン・ランデルマンに挑戦し、終始グラウンドで劣勢に立たされ、0-3の判定負けを喫しキャリア初黒星となった。
2000年9月22日、UFC 27でダン・スバーンと対戦。テイクダウンディフェンスと打撃で試合を優位に進め、1Rにローキックでギブアップを奪いTKO勝ち。
2001年2月23日、UFC 30でジョシュ・バーネットと対戦。打撃で優位に立ち回り、2Rにカウンターの右フックでKO勝利を収め無敗だったジョシュに初黒星を付けた。
2001年5月4日、UFC 31のUFC世界ヘビー級タイトルマッチで王者ランディ・クートゥアに挑戦。1Rは何度かテイクダウンを奪われ苦戦。中盤以降は終始打撃で圧倒したが0-3の判定負け。この判定が物議を醸したことで2001年11月2日のUFC 34で再戦が組まれるが、TKO負けを喫した。
2002年3月22日、UFC 36で後のヘビー級王者アンドレイ・アルロフスキーと対戦。ローキックやハイキック等の打撃で撹乱し、3RにジャブでKO勝ちを収めた。
2002年9月27日、UFC 39でガン・マッギーと対戦。マッギーの体格差を活かした猛攻に苦戦し、1R終了時にタオル投入でTKO負け。
2003年11月21日、UFC 45: Revolutionでの元王者リコ・ロドリゲス戦で収めた判定勝ちを最後にUFCを離脱した。
2003年12月31日のINOKI BOM-BA-YE 2003に出場予定であったが契約交渉の難航や、リングでの試合に対する準備不足などで実現しなかった。
約一年半後の2005年6月26日、PRIDE初参戦となったPRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDでセルゲイ・ハリトーノフと対戦し、サッカーボールキックからのパウンドでレフェリーストップTKO負け。
2006年2月26日、PRIDE.31でローマン・ゼンツォフと対戦し、カウンターの左フックでKO負け。
2007年3月9日、Art of War 1のIFAヘビー級王座決定戦でジャスティン・エイラーズと対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した[1]。
2007年9月1日、Art of War 3のIFAヘビー級タイトルマッチでジェフ・モンソンと対戦し、パンチ連打でTKO勝ちを収め、王座の初防衛に成功した。
2008年7月19日、Affliction: Bannedでジョシュ・バーネットと約7年半振りに再戦し、2ラウンドに左フックでKO負け。
2009年6月27日、Ultimate Chaosでギルバート・アイブルと対戦し、パウンドでKO負けを喫した[2]。
2010年8月14日に元UFC世界ヘビー級王者ティム・シルビアと対戦予定であったが、シルビアがマリウス・プッツナウスキーとの対戦で足を骨折した為中止となった。
2010年7月18日、Impact FC 2: The Uprising Sydneyでケン・シャムロックと対戦。1Rにローキックでダウンを奪い、パウンドでTKO勝ち。
2010年11月にはPWP「War on the Mainland」で王者ティム・シルビアへ挑戦予定であったが、ヒーゾのトレーニング中の怪我により中止となった[3]。
2012年6月21日、M-1 Globalで一週間前のオファーでエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した[4]。
2015年9月12日、Face to Faceでアンドリュー・フローレス・スミスと対戦し、ローキックで1RTKO勝ち[5]。試合後に引退を表明した。
人物・エピソード
[編集]- 幼少期からマルコ・ファスに教えを受け、格闘技の多くを学んだ。
- オランダのドージョー・チャクリキへムエタイ修行へ出向いており、その縁からピーター・アーツやレネ・ローゼ等のスパーリングパートナーを務めるなどK-1ファイターとも親交が深い。
- 指導にも力を入れており、アンデウソン・シウバやアンダーソン・ブラドック・シルバ等の多くのブラジル人ファイターの打撃コーチを務めている。
戦績
[編集]総合格闘技
[編集]総合格闘技 戦績 | ||||||
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43 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
32 勝 | 12 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 |
11 敗 | 7 | 0 | 4 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
○ | アンドリュー・フローレス・スミス | 1R終了時 TKO(ローキック) | Face to Face 12: Rizzo vs. Flores | 2015年9月12日 |
× | 石井慧 | 5分3R終了 判定0-3 | IGF GENOME26 | 2013年5月26日 |
× | エメリヤーエンコ・ヒョードル | 1R 1:24 KO(左フック→パウンド) | M-1 Global: Fedor vs. Rizzo | 2012年6月21日 |
○ | ケン・シャムロック | 1R 3:33 TKO(ローキック→パウンド) | Impact FC 2: The Uprising Sydney | 2010年7月18日 |
○ | ゲーリー・グッドリッジ | 2R終了時 TKO(棄権) | Washington Combat: Battle of the Legends | 2010年5月15日 |
○ | ジェフ・モンソン | 5分3R終了 判定3-0 | Bitetti Combat 4 | 2009年9月12日 |
× | ギルバート・アイブル | 1R 2:10 KO(パウンド) | FFI: Ultimate Chaos | 2009年6月27日 |
× | ジョシュ・バーネット | 2R 1:44 KO(左フック) | Affliction: Banned | 2008年7月19日 |
○ | ジェフ・モンソン | 3R 2:40 TKO(パンチ連打) | Art of War 3 【IFAヘビー級タイトルマッチ】 |
2007年9月1日 |
○ | ジャスティン・エイラーズ | 5分3R終了 判定3-0 | Art of War 1 【IFAヘビー級王座決定戦】 |
2007年3月9日 |
× | ローマン・ゼンツォフ | 1R 0:25 KO(左フック) | PRIDE.31 Dreamers | 2006年2月26日 |
× | セルゲイ・ハリトーノフ | 1R 2:02 KO(パウンド) | PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND | 2005年6月26日 |
○ | リコ・ロドリゲス | 5分3R終了 判定3-0 | UFC 45: Revolution | 2003年11月21日 |
○ | トレイ・テリグマン | 2R 4:25 TKO(ドクターストップ) | UFC 43: Meltdown | 2003年6月6日 |
× | ウラジミール・マティシェンコ | 5分3R終了 判定0-3 | UFC 41: Onslaught | 2003年2月28日 |
× | ガン・マッギー | 1R終了時 TKO(タオル投入) | UFC 39: The Warriors Return | 2002年9月27日 |
○ | アンドレイ・アルロフスキー | 3R 1:45 KO(スタンドパンチ連打) | UFC 36: Worlds Collide | 2002年3月22日 |
× | ランディ・クートゥア | 3R 1:38 TKO(パウンド) | UFC 34: High Voltage 【UFC世界ヘビー級タイトルマッチ】 |
2001年11月2日 |
× | ランディ・クートゥア | 5分5R終了 判定0-3 | UFC 31: Locked and Loaded 【UFC世界ヘビー級タイトルマッチ】 |
2001年5月4日 |
○ | ジョシュ・バーネット | 2R 4:21 KO(右フック) | UFC 30: Battle on the Boardwalk | 2001年2月23日 |
○ | ダン・スバーン | 1R 1:33 ギブアップ(ローキック) | UFC 27: Ultimate Bad Boyz | 2000年9月22日 |
× | ケビン・ランデルマン | 5分5R終了 判定0-3 | UFC 26: Ultimate Field Of Dreams 【UFC世界ヘビー級タイトルマッチ】 |
2000年6月9日 |
○ | 高阪剛 | 3R 1:12 TKO(スタンドパンチ連打) | UFC 23: Ultimate Japan 2 | 1999年11月14日 |
○ | トレイ・テリグマン | 1R 4:29 KO(右ストレート) | UFC 20: Battle for the Gold | 1999年5月7日 |
○ | マーク・コールマン | 15分1R終了 判定2-1 | UFC 18: The Road to the Heavyweight Title | 1999年1月8日 |
○ | タンク・アボット | 1R 8:07 KO(右ストレート) | UFC Brazil: Ultimate Brazil | 1998年10月16日 |
○ | リチャード・ハード | 1R 13:12 ギブアップ(パンチ連打) | World Vale Tudo Championship 3 【WVCスーパーファイト王座決定戦】 |
1997年1月19日 |
○ | ヴァーノン・"タイガー"・ホワイト | 1R 6:30 KO(キック) | World Vale Tudo Championship 2 【決勝】 |
1996年11月10日 |
○ | ミハエル・ティエロイ | 1R 0:18 V1アームロック | World Vale Tudo Championship 2 【準決勝】 |
1996年11月10日 |
○ | ニコラウス・ニコラウス | 1R 1:49 ギブアップ(パウンド) | World Vale Tudo Championship 2 【1回戦】 |
1996年11月10日 |
○ | エリック・ラバイユ | 1R 2:57 TKO(パンチ連打) | IMA: Battle of Styles | 1996年10月26日 |
キックボクシング
[編集]キックボクシング 戦績 | ||||||
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34 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
31 勝 | 30 | 1 | 0 | 1 | 0 | |
2 敗 | 2 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | ロイド・ヴァン・ダム | 2R終了時(タオル投入) | Nikko T. Press Productions: Battle of the Best | 1997年5月11日 |
○ | ロブ・ファン・エスドンク | 3R終了時(タオル投入) | Nikko T. Press Productions: Battle of the Best | 1997年5月11日 |
○ | オーランド・ブライエンバーグ | 3R終了 判定3-0 | Nikko T. Press Productions: Battle of the Best | 1997年5月11日 |
× | マイケル・トンプソン | 3R 1:19 TKO(左瞼負傷) | K-1 HERCULES | 1995年12月9日 |
獲得タイトル
[編集]- World Vale Tudo Championship 2 優勝(1996年)
- 第2代WVCスーパーファイト王座(1997年)
- IFAヘビー級王座(2007年)
脚注
[編集]- ^ - MONSON READY FOR TWO FIGHTS IN TWO WEEKS MMA Weekly 2007年8月15日
- ^ 【Ultimate Chaos】微妙な一戦……、アイブル大勝 MMAPLANET 2009年6月28日
- ^ “ペドロ・ヒーゾ「ティム・シルビアに勝てばUFCに復帰できる」”. 2020年8月5日閲覧。
- ^ ヒョードル、84秒KO勝ちでMMA引退:6.21 ロシア バウトレビュー 2012年6月22日
- ^ “ペドロ・ヒーゾが総合格闘技からの引退を表明”. 日刊スポーツ (2015年9月15日). 2020年11月2日閲覧。