ホームストア
種類 | 株式会社 |
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略称 | ホームストア |
本社所在地 |
日本 〒064-8621 北海道室蘭市中島本町2丁目8-1 |
設立 | 1952年(昭和27年)5月14日 |
業種 | 小売業 |
事業内容 | スーパーマーケット |
代表者 |
横山清(代表取締役会長) 斎藤弘(代表取締役社長) |
資本金 | 1億円 |
主要株主 | アークス |
外部リンク | http://www.arcs-g.co.jp/gc/homestore/ |
特記事項:2008年(平成20年)3月1日にラルズに吸収合併されて消滅[1] |
株式会社ホームストアは北海道室蘭市に本社を置いたスーパーマーケットの「ホームストア」を展開していた企業。元は新日本製鐵グループで、後にアークスグループとなった。また、CGCグループの加盟企業であった。2008年にラルズへ吸収合併され、すべての事業をラルズが継承した。
概要・歴史
[編集]室蘭製鐵所の建設が始まった直後の1907年(明治40年)9月に「室蘭精米電灯所」を開設して職工や工夫に給与天引きで米の配給を行ったのが始まりである[2]。
その後、大正初期に瑞江1号社宅付近の既存建物の一角で倉庫掛が出張販売する形で、米や味噌醬油・砂糖・チリ紙・石鹸などの生活必需品の配給を月3回ほど行うようになった[3]。 1920年(大正9年)に面積51.75坪の「輪西分配所」(後の輪西店)として、専任の従業員を置いた初の常設店舗を開設した[3]。
その後、日本製鉄室蘭製鐵所となったことに伴い、「輪西購買会」へ改組され、米穀を含む食料品や衣料品、家庭用品、燃料などの生活必需品の多くを取り扱うと共に、鮮魚・野菜・果実など生鮮食品については特約店を指定して、給与天引きでの購入を可能としていた[3]。
知利別社宅の開設に伴って、1924年(大正13年)10月15日に「知利別配給所」を新設し、1925年(大正14年)4月1日に鮮魚・野菜・果実など生鮮食品を直営化した[3]。
1940年(昭和15年)4月16日に日本製鉄室蘭製鐵所福利課の設置に伴って購買会の同課が業務を継承し、配給所を正式名称として運営されるようになった[3]。
その後も社宅の増設に伴って、各地区ごとに配給所を開設していった[3]。
1945年(昭和20年)9月1日に給与天引きを廃止して現金販売のみに切り替えたのち、1947年(昭和22年)6月1日に従業員が予め現金を預けて購入する予納金制度での販売に切り替えられた[4]。
1950年(昭和25年)1月1日に鮮魚・野菜・果実など生鮮食品を直営から分離して「日鉄魚菜部」とし、1952年(昭和27年)6月1日に日鉄食品株式会社を設立して法人化した[4]。
当初は生鮮食品のみを取り扱っていた[5]。 1972年(昭和47年)2月に[6]生鮮食品以外を扱っていた[5]富士製鉄室蘭製鐵所厚生課配給掛の業務を継承して株式会社ホームストアと改称した[6]。 元々は新日本製鐵室蘭製鐵所の社宅街の中心に出店した[7]。新日本製鐵グループとして室蘭市、登別市で主に食品を扱うスーパーマーケットを展開した。
1991年(平成3年)7月1日にオリエントコーポレーションと提携して国際クレジットカードの「ホームカード」の発行を開始した[8]。
2000年(平成12年)12月に新日本製鐵グループの日鉄ライフより、ラルズ(初代、現在のアークス)が発行済み株式の90%を取得して子会社化(アークスグループ入り)した[9][10]。
アークスグループ入りした後は店舗のスクラップアンドビルドを進め、2003年(平成15年)に経営破綻した生活協同組合コープクレアのアーニス店跡にホームストアアーニス店[11](ホームストア登別中央店を移転)、2006年(平成18年)9月にホームストア新たかさご店(ホームセンターのホームセンターベストを閉店しホームストア高砂店を移転)[12]を開店させた。
2007年(平成19年)4月20日に開業したショッピングセンターMORUE中島[13]にホームストア運営のスーパーアークス中島店を核店舗として出店した[14]。MORUE中島は新日本製鉄グループの新日鉄都市開発が開発を行った。
2008年(平成20年)3月1日にラルズに吸収合併され[1]、法人は消滅した。合併直前の本社所在地は室蘭市中島本町2丁目8-1であった。[要出典]
吸収合併に伴い、運営していた6店舗〈「スーパーアークス」1店舗、「ホームストア」5店舗[15]〉はそのままラルズが継承した。
店舗
[編集]- 室蘭市と登別市で展開した。特に屋号が書かれていない店舗は「ホームストア」。
ラルズへ継承
[編集]- 室蘭市
- スーパーアークス中島店
- 新たかさご店[15]
- 売場面積655m2[21]
- アーニス店(中央町)
- 登別中央ショッピングセンター・アーニス内[11]。生活協同組合コープクレアのクレアアーニス店が入居していたが[11]、2003年(平成15年)2月6日の同生協の破産・閉店[22]に伴い、後継店舗として出店した[11]。
閉店した店舗
[編集]- 室蘭市
- 本輪西仮営業所(1946年(昭和21年)2月10日開設[4])
- 本輪西第1営業所(室蘭市本輪西町142[23])
- 本輪西第2営業所(室蘭市本輪西町22-3[23])
- 本輪西第2営業所魚菜部(室蘭市本輪西町271[23])
- 輪西第3営業所(室蘭市輪西町218[23])
- 化学分店(室蘭市高砂町1-19-7[6])
- 緑ヶ丘店
- 室蘭市高砂町に所在した。現在は閉店。[要出典]
- 知利別店(室蘭市知利別町140-1[18])
- 売場面積495m2[18]
- 初期の店舗で、後にホームセンターベストに業態転換した。
- はまなす店(登別市富岸町字富岸2-51[6])
- 道南バス「はまなす団地」バス停付近にあった。[要出典]
脚注
[編集]- ^ a b “アークスグループのラルズとホームストア、3月に2社合併”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2008年1月11日)
- ^ 『室蘭製鉄所50年史』 富士製鉄室蘭製鉄所、1958年7月21日。pp712
- ^ a b c d e f 『室蘭製鉄所50年史』 富士製鉄室蘭製鉄所、1958年7月21日。pp713
- ^ a b c d e f g h i j 『室蘭製鉄所50年史』 富士製鉄室蘭製鉄所、1958年7月21日。pp714
- ^ a b 『新室蘭市史 第3巻』 室蘭市、1985年11月25日。pp508
- ^ a b c d e f g h i 『日本職員録 第14版 下』 人事興信所、1972年。ppほ1
- ^ 大住芳夫 片桐誠士 佐藤茂行 武山弘 “室蘭市の流通機構と行商機能”. 北海道商工経済研究 第3号 (北海道立総合経済研究所) (1965年3月).pp30
- ^ “NEWS LETTER掲示板”. 月刊消費者信用 1991年7月号 (金融財政事情研究会) (1991年7月).pp91
- ^ “ラルズ、新日鉄系食品SMのホームストアを買収”.日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年10月20日)
- ^ “ラルズ、ホームストアを子会社化、規模メリット生かす”.日本食糧新聞(日本食糧新聞社).(2000年10月30日)
- ^ a b c d e “アーニスのクレア跡 ホームストアが出店 「空き店舗」で思惑一致 元従業員の雇用期待も”. 北海道新聞(北海道新聞社). (2003年3月19日)
- ^ a b c d e “ホームストア高砂店を移転 知利別「ベスト」跡に”.北海道新聞(北海道新聞社).(2006年7月15日)
- ^ a b c “大型SC「モルエ中島」開業 室蘭に新施設 セールで混雑”.北海道新聞(北海道新聞社).(2007年4月21日)
- ^ a b “SC「モルエ中島」の中核施設 スーパーアークス出店 ホームストアが新業態”.北海道新聞(北海道新聞社).(2007年2月11日)
- ^ a b c d “ラルズ、室蘭・苫小牧など10店舗でレジ袋有料化”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社).(2008年6月30日)
- ^ a b “SC情報”. ショッピングセンター 1974年9月号 (日本ショッピングセンター協会) (1974年9月1日).pp62
- ^ “ホームストア 輪西店きょう閉店 25日「ぷらっと」で再開”.北海道新聞(北海道新聞社).(2012年10月17日)
- ^ a b c d 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp132
- ^ “ホームストア 港北店|株式会社 ラルズ”. www.arcs-g.co.jp. 2023年11月10日閲覧。
- ^ “室蘭の「ホームストア港北店」2023年11月10日リニューアルオープン”. 北海道リアルエコノミー (2023年10月18日). 2023年11月10日閲覧。
- ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp139
- ^ “暮らし 金曜ねっと コープクレア破たんから1年 職安通い続く元従業員も 不便さ嘆く高齢者 空き店舗周辺 宙に浮く店舗跡 買い手なく活用法も未定”.北海道新聞(北海道新聞社).(2004年2月6日)
- ^ a b c d e f g 総理府統計局 『会社企業名鑑 昭和40年版』 日本統計協会、1965年12月。pp1136