コンテンツにスキップ

マニー・モリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マニー・モリ

エマニュエル“マニー”・モリEmanuel "Manny" Mori1948年12月25日 - )は、ミクロネシア連邦の政治家。2007年5月11日にミクロネシア議会により同国大統領に選出され同日就任、2015年まで4期8年務めた。学歴グアム大学卒業学位経営管理学士。ミクロネシア連邦大統領府のウェブサイトでは名前は"Emanuel(Manny) Mori"となっており、「マニー」は「エマニュエル」の短縮形とされているが日本の外務省のウェブサイトでは「エマニュエル・マニー・モリ」がフルネームとされている。

来歴

[編集]

チューク州の秋島(フェファン島)に生まれた日系人(4世)。曾祖父は、高知市出身で1892年に一屋商会(南洋貿易の商社)の商社マンとしてチューク諸島に渡り定住し、酋長を務めた森小弁[1]

春島(ウエノ島)にあるザビエル高等学校を卒業後、グアム大学で学び、経営管理学の学士号を取得し1973年に卒業した。

大学卒業後の1974年シティコープサイパン支店でアシスタントマネージャーになる。

1976年にシティコープを辞め、信託統治領社会保険局の長官補佐を務める。

1979年から1981年はチューク州の国税局に務め、1981年から1983年までミクロネシア開発銀行(FSM Development Bank)の検査官を務めた後、1997年まで同開発銀行の代表兼CEOを務めた。

1997年から1999年まではミクロネシア銀行(Bank of the FSM)の副総裁を務めた。

政治活動

[編集]
マニー・モリとナウルバロン・ワカ大統領(2013年アジア太平洋サミットにて撮影)

モリは、1999年7月1日にミクロネシア議会の補欠選挙に初当選した後、2001年2003年2005年及び2007年にも続けて再選を果たした。

2007年5月11日に行われたミクロネシア連邦大統領選挙で現職のジョセフ・J・ウルセマルを破り当選。同日、第7代大統領に就任した。

2014年11月来日。

政策

[編集]

外交

[編集]
日本

日本国連安保理常任理事国入りを支持している[2]

関連項目

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 南の島が沈んでゆく
  2. ^ 外務省:日・ミクロネシア首脳会談について” (2010年11月2日). 2010年11月3日閲覧。
  3. ^ 在ミクロネシア日本国大使館:モリ大統領、高知を訪問” (2008年8月10日). 2011年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月19日閲覧。

外部リンク

[編集]
先代
ジョセフ・J・ウルセマル
ミクロネシア連邦大統領
2007年 - 2015年
次代
ピーター・マーティン・クリスチャン