ラム・ナラヤン
ラム・ナラヤン | |
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演奏するナラヤン、2009年 | |
基本情報 | |
生誕 |
1927年12月25日(96歳) ウダイプル, メーワール藩王国, イギリス領インド帝国 |
ジャンル | ヒンドゥースターニー音楽 |
担当楽器 | サーランギー |
活動期間 | 1944–現在 |
共同作業者 | Abdul Wahid Khan, Chatur Lal, Brij Narayan |
公式サイト | Pandit Ram Narayan |
ラム・ナラヤン(ヒンディー語: राम नारायण; IAST: Rām Nārāyaṇ、1927年12月25日 - ) はヒンドゥー伝統音楽で使われるサーランギーを演奏し、国際的にも演奏活動しているインドの音楽家。
ナラヤンはウダイプルに生まれ、早くからサーランギーを演奏した。10代の頃はサーランギー奏者や伝統歌手の下で学び、旅をしながら演奏活動を続けた。
1944年、ラホール(当時は英領インド、現パキスタン)のインド国営放送付きの伴奏者として働いた。1947年のインド・パキスタン分離独立に伴いデリーに移り、そこで伴奏者としての活動に見切りをつけ、1949年にムンバイに移ってインド映画音楽に参加した。
1954年からソロ活動を始めたが、当初は人気がなく、1956年になってようやく成功した。それからはソロアルバムのレコーディングを始め、1960年代にはアメリカやヨーロッパにも演奏旅行した。2000年代になると、インド国外での演奏指導も行うようになった。2005年にインドの2等勲章であるパドマ・ビブーシャンを受章。
若き日
[編集]ラム・ナラヤンは1927年12月25日、イギリス領インド藩王国の一つメーワール藩王国の首都ウダイプルで生まれた[1]。
ナラヤンの高祖父バガージー・ビヤーヴァトはアンベール出身の歌手であり、曽祖父サガド・ダーンジー・ビヤーヴァトはのマハーラーナー(ウダイプルのマハーラージャ)の宮廷付歌手であった[2]。ナラヤンの祖父ハル・ラールジー・ビヤーヴァト、父ナートゥージー・ビヤーヴァトは農民であり歌手でもあった。ナラヤンの父Nathujiはディルルバーを演奏し、母も音楽好きであった[3]。
ナラヤンの母語はラージャスターニー語の一方言であり[4]、後にヒンディー語と英語を学んだ[5]。ナラヤンは6歳の時、家の顧問グルが置いていった小さなサーランギーに興味を持ち、父から奏法を教えられた[6][7]。ただし、当時のサーランギーは娼婦を思わせることもある楽器だったため、父はナラヤンをやや心配した[3]。1年後、ナラヤンの父はジャイプルのサーランギー奏者メヘブーブ・カーンの元に息子を通わせようとしたが、カーンがナラヤンの指使いがまるでなっていないと指摘したため[7]、息子の弟子入りは取りやめにして、まずは学校を出るように勧めた[6]。
ナラヤンは10歳になると、古いヒンドゥースターニー音楽の一つであるドゥルパドを、サーランギー奏者ウダイ・ラールを手本として勉強した[7][8]。ラールの死後、ナラヤンはマイハルの王宮で歌手を務めているラクナウ出身のマーダヴ・プラサードを訪ね[9][10]、プラサードと師弟の契りを結んだ[11]。プラサードはナラヤンにヒンドゥスターニー古典声楽の技法カヤールを教え、4年後、ナラヤンはウダイプルに戻った[8][9]。プラサードは後にナラヤンを訪ね、定住しての音楽活動ではなく、旅をしながらの演奏をするよう忠告しているが[9]、ナラヤンの家族は安定した生活を捨てることに賛成しなかった[10]。プラサードがラクナウで死ぬまで、ナラヤンは実家に住みながらインドの各地に演奏旅行を行った[9][12]。ナラヤンは一時期別の師からガンダ・バンダン(ganda bandhan)を習っているが、間もなくラホールに移動したためそれきりになっている[11]。
演奏活動
[編集]ナラヤンは1944年、映画スタジオでの仕事を探すためにラホールに向かったが、成功しなかった[9]。ナラヤンはただの歌手としてインド国営放送 (AIR)のオーディションを受けたが、音楽プロデューサーのジーヴァン・ラール・マットゥーがナラヤンの爪を見て彼がサーランギー奏者であることに気付き[9][13]、サーランギーを演奏できる歌手として採用した[9]。マットゥーはナラヤンのために住む部屋も用意し、ラーガの師としてカヤール歌手のアブドゥル・ワーヒド・カーンを紹介した。カーンは厳しい教師として有名であったが、サーランギーを習得しているナラヤンは短期間にこれをマスターした[14]。
1947年のインド分割の後、ナラヤンはパキスタンとなったラホールからデリーへと引越し、デリーのインド国営放送(AIR)で演奏活動を行い、曲や演奏スタイルのレパートリーを増やしていった[15]。1948年にはAIRデリーで活動を始めた歌手のアミル・カーンとユニットを組んだ[16][17]。カーンとのユニットでナラヤンは時々ソロパートを任されたことで、ソロ歌手としての活動を検討し始めた[18]。ナラヤンは歌手の単なる無名伴奏者としての活動を拒否し始めた[18]。それまで、サーランギーに限らず、弦楽器演奏は単なる歌手の伴奏に過ぎず、あるいは歌手が時々息を整える時間を稼ぐものでしかなかった[19]。単なる伴奏者に徹しないナラヤンに不平を言う歌手もいたが[18][20]、ナラヤンは歌手と互いを競い合いたいと主張した[19]。ナラヤンに賛同する歌手やタブラ奏者も多かった[20]。
ナラヤンは単なる伴奏者としての活動に見切りをつけ、フリーとして映画音楽やレコーディングの活動をするため、1949年にムンバイへと移った[15][21]。1950年にはイギリスのHMVでソロとして3曲のレコーディングを行い、1951年にはヴィラーヤト・カーンとのレコーディングも行っている[15][22]。ただし、あまり売れなかった[23]。一方、映画音楽での作曲と演奏は成功した[24]。その後15年間、ナラヤンはHumdard, Adalat, Milan, Gunga Jumna,[25] Mughal-e-Azam, Kashmir Ki Kali などの映画のために作曲し、歌った[26][27]。
ナラヤンは1952年にアフガニスタン、1954年に中華人民共和国で演奏し、共に好評だった[28]。ナラヤンの初のソロコンサートは1954年、ジャハーンギール公会堂で行われたムンバイ音楽祭においてであった。ただし、ラヴィ・シャンカルやアリー・アクバル・カーンといった大物のソロコンサートの間の短い1コマに過ぎなかったため、あまり話題にならなかった[23][29]。1956年のムンバイ音楽祭では少数の聴衆に対しての演奏会を開き、好評を得た[16][29]。ナラヤンは1960年代に伴奏者の仕事を止めた[30]。当時はサーランギー独奏の需要はまだなかった[31]。しかし先にインド出身でシタール奏者のラヴィ・シャンカルが成功を収めていたこともあり、ナラヤンも間もなく成功したインド器楽家の1人になった[32]。1960年代から、ナラヤンはインド国外でのコンサートやレッスンを行うようになった[5]。西洋では、チェロやバイオリンと似た楽器としてサーランギーが受け入れられた[33]。その後は数十年間にわたり、インド、アメリカ、ヨーロッパで演奏し、レコーディングを行った[16][21]。1980年代になると、ナラヤンは1年の2,3ヶ月を西洋諸国の演奏旅行に費やした[28]。2000年代になると、演奏活動の回数が減った[34]。2009年、ナラヤンは娘のアルナと共に、ロイヤル・アルバート・ホールで行われた英国放送協会主催のBBCプロムスで演奏を行っている[35]。
作品
[編集]著書
[編集]- Sorrell, Neil; Narayan, Ram (1980). Indian Music in Performance: a practical introduction. Manchester University Press. ISBN 0719007569
参考文献
[編集]- ^ Bor, Joep (March 1, 1987). “The Voice of the Sarangi”. Quarterly Journal (Mumbai, India: National Centre for the Performing Arts) 15, 16 (3, 4; 1): p. 148.
- ^ Sorrell, Neil; Narayan, Ram (1980). Indian Music in Performance: a practical introduction. Manchester University Press. p. 11. ISBN 0719007569
- ^ a b Sorrell 1980, p. 13
- ^ Qureshi, Regula Burckhardt (2007). Master musicians of India: hereditary sarangi players speak. Routledge. p. 108. ISBN 0415972027
- ^ a b Qureshi 2007, p. 109
- ^ a b Sorrell 1980, p. 14
- ^ a b c Bor 1987, p. 149
- ^ a b Bor, Joep; Rao, Suvarnalata; Van der Meer, Wim; Harvey, Jane (1999). The Raga Guide. Nimbus Records. p. 180. ISBN 0954397606
- ^ a b c d e f g Bor 1987, p. 151
- ^ a b Sorrell 1980, p. 15
- ^ a b Sorrell 1980, p. 17
- ^ Sorrell 1980, p. 16
- ^ Bor 1987, p. 30
- ^ Sorrell 1980, p. 19
- ^ a b c Bor 1987, p. 152
- ^ a b c Neuhoff, Hans (2006). "Narayan, Ram". In Finscher, Ludwig (ed.). Die Musik in Geschichte und Gegenwart: allgemeine Enzyklopädie der Musik (German). Vol. 12 (2nd ed.). Bärenreiter. pp. 911–912. ISBN 3761811225。
- ^ Qureshi 2007, p. 116
- ^ a b c Sorrell 1980, p. 20
- ^ a b Sorrell 1980, p. 21
- ^ a b Sorrell 1980, p. 22
- ^ a b Qureshi 2007, p. 107
- ^ Chandvankar, Suresh (3 May 2004). “LP/EP Records”. Screen 23 July 2009閲覧。
- ^ a b Ghosh, Soma. “एक जुनून है सारंगी” [Sarangi is a passion] (Hindi). Yahoo! India. 19 July 2009閲覧。
- ^ Qureshi 2007, p. 17
- ^ Qureshi 2007, p. 119
- ^ Suryanarayan, Renuka (27 October 2002). “Sarangi maestro returns to where it began”. The Indian Express 16 April 2009閲覧。
- ^ “An Interview with Pandit Ram Narayan”. Official website. 2010年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月25日閲覧。
- ^ a b Sorrell 1980, p. 25
- ^ a b Sorrell 1980, p. 24
- ^ Bor 1987, p. 153
- ^ Neuman 1990, pp. 93, 263
- ^ Bor, Joep; Bruguiere, Philippe (1992). Masters of Raga. Berlin: Haus der Kulturen der Welt. p. 48. ISBN 3803005019
- ^ Roy, Ashok (2004). Music Makers: Living Legends of Indian Classical Music. Rupa & Co.. p. 206. ISBN 8129103192
- ^ Patil, Vrinda (9 December 2000). “Dying strains of sarangi”. The Tribune 8 March 2009閲覧。
- ^ Hewett, Ivan (17 August 2009). “BBC Proms 2009: Indian Voices – review”. The Daily Telegraph 17 August 2009閲覧。
外部リンク
[編集]- “https://ramnarayansarangi.com”. Official website. 2009年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月15日閲覧。 自動演奏付きなので注意。
- Ram Narayan - Allmusic