伊達村福
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伊達村福(大安寺蔵) | |
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
生誕 | 安永4年2月22日(1775年3月23日) |
死没 | 天保元年9月18日(1830年11月3日) |
改名 | 小源吾(幼名)、景福(初名)、村福 |
別名 | 将監 |
墓所 | 岩手県奥州市の大安寺 |
主君 | 伊達重村、斉村、周宗、斉宗 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 水沢伊達家 |
父母 | 伊達村儀、石川村俊娘 |
兄弟 | 村善、村福、村賢 |
妻 |
伊達村常娘・良 片倉村典娘 |
子 | 宗衡 |
伊達 村福(だて むらやす)は、江戸時代中期から後期にかけての武士。陸奥国仙台藩一門第三席・水沢伊達家10代(留守氏27代)当主。
生涯
[編集]安永4年(1775年)2月22日、水沢伊達家8代当主・伊達村儀の次男として水沢にて誕生。幼名は小源吾。
天明7年(1787年)11月、兄・村善の死去により13歳で家督相続する。村善の当主時と同じく、小源吾に代わり、母方の叔父で涌谷伊達家9代当主・伊達村常が家政を後見した。
天明8年(1788年)8月1日、仙台藩7代藩主・伊達重村に初めて拝謁し、その一文字を拝領して初名の景福(かげやす)から村福に改名する。寛政8年(1796年)、8代藩主・斉村(重村次男)が急死し、その長男である周宗が1歳で9代藩主となる。文化元年(1804年)、一門として幼い周宗に代わり仙台で藩政を代行することとなる。
文化9年(1812年)2月、家督相続して新藩主となった周宗の弟・斉宗と共に江戸城に登城し、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。
文政3年(1820年)5月、隠居して家督を嫡男・宗衡に譲る。天保元年(1830年)9月18日死去。享年56。
系譜
[編集]出典
[編集]- 『水沢町誌』