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佐竹義茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐竹 義茂(さたけ よししげ、文化8年(1811年) - 慶応4年7月8日1868年8月25日[1])は、佐竹氏一門の佐竹西家16代当主。久保田藩大館第10代所預。

父は西家佐竹義幹。正室は佐竹義術の娘武子。子は佐竹義遵。幼名は元千代。通称は近江。号鸞斎、此君斎。

経歴

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文化8年(1811年)大館城代佐竹義幹の子として生まれる。大館城代として藩主佐竹義睦に仕えた。嘉永7年(1854年)藩主義睦の将軍徳川家定への拝謁に同席する。安政6年(1859年)藩が幕府より松前警衛を命じられ、家臣を派遣する。慶応4年(1868年)死去。享年58。

書や和歌に秀でた文人でもあり、正室の北家義術の娘武子も歌人である。

脚注

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  1. ^ 『大館市史』第5巻(大館市教育委員会、1990年)p.107