依田敬勝
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依田 敬勝(よだ としかつ、1767年〈明和4年〉 - 1809年2月25日〈文化6年1月12日〉, Yoda Manzō Toshikatsu, 13th head of the Musō Jikiden Eishin-ryū)は、土佐藩士、日本の武道師範。無双直伝英信流居合術第13代宗家[1]。字は「萬蔵」[2]。
来歴
[編集]生い立ち
[編集]明和4年(1767年)、北川勝良(又兵衛)の次男として土佐国高知城下(現・高知県高知市)に生まれ、のち依田貴道(勇蔵)の養子となる[2]。
天明7年3月(1787年4月下旬~5月上旬)、養父跡目高(三人扶持八石・御留守居組)を相続。禄は小身だが、無双直伝英信流第12代宗家・林益之丞政誠門下の中で最も居合に秀で、伝書を受けた[3]。
寛政8年(1796年)、友人が切腹をする際、介錯役をつとめる。太刀筋は見事で、寸分狂いの無い手裁きであったが、自身は「刀柄が塗の柄で、冷汗のために手の内が滑り危かった」として、以後は塗りの柄を一切用いなかった[4]。
文化6年1月12日(1809年2月25日)死去。享年43歳[4]。
墓は高知県高知市中高見(つえの上方南、武藤墓地北上、板坂墓地下[4])
昭和49年(1974年)8月、高知県居合道連盟によって「無双直伝英信流居合術第13代宗家」の標柱が墓所に建立された[4]。
萬蔵の伝書は、林弥太夫政敬が受けた[3]。
家族
[編集]著名な門人
[編集]補註
[編集]参考文献
[編集]- 『江戸期の土佐における居合関係史』
- 『土佐武道史話』平尾道雄著、高知新聞社、1961年
- 『土佐 武道と仇討ち 平尾道雄選集(第4巻)』平尾道雄著、高知新聞社、1980年
- 『師伝芥考・土佐の英信流』岩田憲一著、1984年(昭和59年)
- 『土佐の墓(2)』山本泰三著、土佐史談会、1987年(昭和62年)
- 『御侍中先祖書系圖牒』旧山内侯爵家蔵(高知県立図書館寄託文書)
- 『板垣精神』一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 編纂、2019年、ISBN 978-4-86522-183-1 C0023
関連項目
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