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初田佐一郎

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初田佐一郎(はつだ さいちろう、1905年2月18日 - 2001年3月18日)は、日本の実業家滋賀県出身。

人物

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滋賀県立膳所中学校(現膳所高等学校)を経て、和歌山高等商業学校(現和歌山大学)卒業後、鉄道省に入省。太平洋戦争中は陸軍司政官としてフィリピンに派遣された。その後、京阪バス株式会社常務取締役、株式会社京阪交通社社長、株式会社日本レンタカー京阪社長等を務める。財団法人大阪陸運協会常任理事、財団法人大阪陸運協会会長を歴任後、財団法人大阪陸運協会顧問京阪電鉄客員等を歴任した。著書には「生き残った者」洛陽社(1947年)等がある。

経歴

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  • 1930年 - 和歌山高等商業学校(現和歌山大学)卒業後、鉄道省に入省。
  • 1941年 - 陸軍司政官として、比島派遣。
  • 1950年 - 滋賀県陸運事務所長に就任。
  • 1952年 - 京阪バス株式会社取締役就任。
  • 1963年 - 京阪バス株式会社常務取締役就任。
  • 1964年 - 株式会社京阪交通社社長就任。
  • 1967年 - 財団法人大阪陸運協会常任理事就任。
  • 1970年 - 株式会社日本レンタカー京阪社長就任。
  • 1982年 - 財団法人大阪陸運協会会長就任。
  • 1985年 - 財団法人大阪陸運協会顧問、京阪電鉄客員就任。

著書

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  • 「生き残ったもの」洛陽社 1947年
  • 「八十年の旅路」1985年2月