南豆馬車鉄道
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南豆馬車鉄道 | |
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概要 | |
現況 | 廃止 |
起終点 |
起点:大沢口 終点:武ヶ浜 |
運営 | |
開業 | 1918年9月2日 |
廃止 | 1957年4月11日 |
所有者 | 南豆馬車鉄道→南豆鉄道興業 |
路線諸元 | |
路線総延長 | 4.1 km (2.5 mi) |
軌間 | 762 mm (2 ft 6 in) |
停車場・施設・接続路線(廃止当時) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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南豆馬車鉄道(なんずばしゃてつどう)は、かつて静岡県に存在した馬車鉄道。
沿革
[編集]1917年7月28日に発起人小川隆太郎他35名に対し静岡県賀茂郡稲生沢村より下田町にいたる馬車軌道の敷設特許状が下付された。この馬車鉄道は稲生沢村の久原鉱業河津鉱業所(蓮台寺金山ともいう)から下田港桟橋まで金鉱石を輸送することを目的としており、株式の70%は久原鉱業が保有していた。1918年9月に開業し、鉱石輸送を主としていたが旅客輸送もしていた。路線の大半は稲生沢川に沿っていた。
1927年に昭和バス[1]が蓮台寺-下田間に定期バスを運行するようになると徐々に影響を受け1933年2月に旅客営業を休止し、1936年1月正式に廃止となり貨物輸送専用になった[2]。その後戦時下になると1943年金銀鉱山における企業整備により採掘は休止となり馬車鉄道も運行を休止した。戦後鉱山の再開とともに運行を開始したが採掘量も少ないため鉱物輸送はトラックに切り替えられ馬車鉄道はまた休止されることになった[注 1]。このため会社は旅館業に進出することになり南豆鉄道興業に社名変更をしたが1954年には東海観光株式会社に株式を取得されることになり経営陣も一新された。さらに保有していた軌道敷設特許権について運輸省から再開の意思が無ければ整理するよう勧められたので1957年4月に廃止手続きが完了した。廃線敷は下田温泉会社が購入し温泉用のパイプラインが敷設されている。
- 1917年(大正6年)
- 1918年(大正7年)9月2日:開業[6][5]。
- 1933年(昭和8年)2月1日:旅客営業休止。
- 1936年(昭和11年)1月22日:旅客営業廃止。
- 1943年(昭和18年):休止
- 1945年(昭和20年):再開
- 1946年(昭和21年)8月:休止[6]。
- 1952年(昭和27年):南豆鉄道興業に社名変更[7]。
- 1957年(昭和32年)4月11日:廃止許可[6]。
路線データ
[編集]- 路線距離(営業キロ):大沢口 - 武が浜間4.1km(2マイル57チェーン[4][6])
- 軌間:762mm
- 動力:馬
- 旅客数:23,481人(1930年)[8]
- 県内私鉄旅客数ランキング14位(1930年)[8]
輸送・収支実績
[編集]年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 客車 | 貨車 |
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1918 | 41,613 | 26,627 | 15,302 | 12,690 | 2,612 | 3 | 23 | |||
1919 | 54,145 | 78,161 | 46,576 | 41,035 | 5,541 | 3 | 23 | |||
1920 | 44,544 | 32,293 | 30,551 | 25,287 | 5,264 | 3 | 13 | |||
1921 | 41,849 | 33,127 | 22,036 | 17,644 | 4,392 | 3 | 10 | |||
1922 | 48,131 | 30,589 | 27,911 | 22,750 | 5,161 | 3 | 12 | |||
1923 | 45,168 | 60,416 | 33,801 | 29,992 | 3,809 | 3 | 12 | |||
1924 | 34,813 | 31,600 | 27,653 | 24,003 | 3,650 | 3 | 10 | |||
1925 | 30,150 | 20,592 | 18,794 | 18,842 | ▲ 48 | 226 | 1 | 10 | ||
1926 | 38,955 | 24,132 | 21,930 | 18,656 | 3,274 | 355 | 償却金1,280 | 273 | 1 | 10 |
1927 | 30,222 | 29,007 | 23,652 | 21,689 | 1,963 | 384 | 償却金828 | 273 | 1 | 10 |
1928 | 28,953 | 27,001 | 22,516 | 20,503 | 2,013 | 桟橋業422 | 償却金750 | 1 | 10 | |
1929 | 26,218 | 28,952 | 23,629 | 18,641 | 4,988 | 395 | 償却金2,500 | 1 | 10 | |
1930 | 23,481 | 28,355 | 20,810 | 16,504 | 4,306 | 桟橋業400 | 償却金1,850 | 3 | 10 | |
1931 | 20,189 | 17,523 | 13,275 | 11,223 | 2,052 | 桟橋業115 | 償却金383 | 1 | 6 | |
1932 | 12,436 | 17,587 | 12,054 | 9,110 | 2,944 | 償却金3,434 | 1 | 6 | ||
1933 | 9,613 | 7,591 | 5,657 | 1,934 | 償却金200 | 1 | 6 | |||
1934 | 11,033 | 8,436 | 6,202 | 2,234 | 桟橋業60 | 償却金750 | 6 | |||
1935 | 15,223 | 10,214 | 7,449 | 2,765 | 桟橋業60 | 償却金1,200 | 6 | |||
1936 | 18,484 | 報告書未整備 | 6 | |||||||
1937 | 20,930 | 13,239 | 9,963 | 3,276 | 償却金1,370 | 7 | ||||
1939 | 16,383 | 11,898 | 10,560 | 1,338 | ||||||
1941 | 17,533 | 18,696 | 17,238 | 1,458 | 償却金350 |
- 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両・運行形態
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脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『静岡県鉄道物語』125頁
- ^ 「南豆馬車鉄道沿革史」105頁
- ^ 「軌道特許状下付」『官報』1917年8月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 帝国鉄道協会 (1928)
- ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d 和久田 (1993)
- ^ 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』正誤表(2010年2月作成版) (PDF)
- ^ a b 今尾・原 (2010) (P23)
参考文献
[編集]- 帝国鉄道協会『帝国鉄道年鑑』 昭和3年版、帝国鉄道協会、1928年、513頁。
- 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年。ISBN 4-88548-065-5。
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 4 関東2、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790022-7。
- 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳』 7 東海、新潮社、2010年。ISBN 978-4-10-790041-8。
- 谷口良忠「南豆馬車鉄道沿革史」『鉄道ピクトリアル』1987年5月号
- 静岡新聞社編『静岡県鉄道物語』静岡新聞社、1981年、122-126頁
- 宮脇俊三 『鉄道廃線跡を歩く6』JTBキャンブックス、1999年、78-80頁
- 中川浩一「鉄道日記抄」『Romance Car』No.19 65-66頁(復刻アテネ書房、1983年)