大炊御門冬信
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時代 | 南北朝時代 |
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生誕 | 延慶2年(1309年) |
死没 | 観応元年/正平5年6月28日(1350年8月1日) |
別名 | 随心自由院 |
官位 | 従一位、内大臣 |
主君 | 後醍醐天皇→光厳天皇→光明天皇→崇光天皇 |
氏族 | 大炊御門家 |
父母 | 父:大炊御門冬氏、母:吉田経長の娘 |
兄弟 | 氏忠、冬信、家信、覚信 |
妻 | 西園寺実衡の娘 |
子 | 信忠、宗実、冬宗 |
大炊御門 冬信(おおいのみかど ふゆのぶ)は、南北朝時代の公卿。内大臣・大炊御門冬氏の子。官位は従一位・内大臣。大炊御門家10代当主。
経歴
[編集]正中2年(1325年)は、正四位下に叙爵してから累進し、嘉暦元年(1326年)には従三位となり公卿に達する。元徳元年(1329年)春宮大夫となるも、元弘元年(1331年)には辞職し、同年権大納言に転じる。正慶元年/元弘2年(1332年)に正二位に進むも、翌年には従二位に戻され、再び権中納言に就任した。
建武2年(1335年)には再び正二位に昇った。建武4年/延元2年(1337年)に権大納言に任じられ、暦応元年/延元3年(1338年)に再度春宮大夫となるも翌年辞す。康永2年/興国4年(1343年)左近衛大将・大納言となり、貞和元年/興国6年(1345年)には内大臣となるも翌年には辞職。貞和5年/正平4年(1349年)には従一位となった。観応元年/正平5年(1350年)に薨去。享年42。