小池ヒロミチ
小池ヒロミチ | |
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出生名 | 小池 ヒロミチ |
生誕 | 1961年2月8日(63歳) |
出身地 | 日本埼玉県 |
ジャンル |
ロック J-POP 歌謡曲 |
職業 | ベーシスト、写真家 |
担当楽器 | ベース |
活動期間 | 1979年 - |
公式サイト | 小池ヒロミチOfficial Site |
小池 ヒロミチ(こいけ ひろみち、1961年2月8日 - )は、日本のベーシスト、写真家。埼玉県出身。ベーシスト、スタジオ・ミュージシャンとして活動。音楽事務所などには所属せず、フリーランスで活動している。既婚。
音楽家としての活動と同時に、写真家として1998年からライヴ写真を撮り始める。代建築物、風景および人物など撮影対象は多岐にわたり、それらの作品は公式ホームページ、ブログなどで発表している。2010年より山我祐生主催の写真家集団「CYCLONE PHTOGRAPHERS」に参加している。
人物
[編集]埼玉県生まれ。13歳のとき先輩の影響でベースを始める。埼玉県の県立高校へ進学、同級生3人(鎌田常治(G.Vo)、小池ヒロミチ(B、Vo)鈴木秀典(Drs、Vo))でバンド「毒蛾」を結成。在学中にテレビ番組『ぎんざNOW!』、『ロックおもしロック』に出演、グランプリを受賞。YAMAHA主催のコンテストEastWestにおいて入賞。それをきっかけにレコード会社数社よりスカウトの声がかかる。その頃バンド名を「ZERO」と改名する。
1979年、EPIC SONYより1stシングル「センチメンタル珊瑚礁(リーフ)」でデビュー。アルバム「ARE YOU READY?」、2ndシングル「ウィークエンドガール」をリリースするも約1年後、バンドを脱退。その後、ギタリスト今剛に師事、スタジオワークを学ぶ。サポート、セッションベーシストとして活動している。
2012年に、東京都中野区野方にライブバー“Booster's Bar”を開店。自身もミュージシャンとしてステージに立つ機会も多い。ベース教室も開き、後進に指導をしている。
演奏スタイル
[編集]指弾き、ピック弾きを楽曲によって使い分ける。楽曲によりスラップ奏法も用いる。なお自身のルーツはオフィシャルホームページ「弾いてみたシリーズ」で確認できる。
主な経歴
[編集]- 1979年 - EPIC SONYより「ZERO」のメンバーとしてプロデビュー。
- 1983年 - 1985年まで本田恭章のツアーに参加。
- 1988年 - 「BEE PUBLIC」(1986年デビュー)に第2期メンバーとして参加。
- 1989年 - 吉川晃司、布袋寅泰のユニット「COMPLEX」にツアーサポートとして参加[1]。
- 1994年3月 - WEAより1stシングル「PRIDE」でソロデビュー。 同年4月、1stアルバム「PRIDE」リリース。
- 1996年 - 吉川晃司のツアーサポートとして参加(2011年の「日本一心」ツアーまで一部の公演を除き全てのツアーに参加)。
- 1998年 - 原田喧太(G、Vo)、酒井麿(Drs)と「SUNNY CRUISER」を結成。自主制作にてアルバム「SUNNY CRUISER」をリリース。
- 1999年 - 林海象監督による映画『Lost Angels』(2000年7月15日公開)にSUNNY CRUISERメンバー全員出演(全編アメリカ合衆国ロケ作品)。
- 2000年 - 「SUNNY CRUISER」としての活動を休止。
- 2012年 - Fender Japanとエンドース契約(JB62/VSP/FJ30thを使用中)。
- 2013年 - SAMURAI ROCK BEGINNING TOURにベーシストとして参加。
主な参加アーティスト
[編集]- ピンクレディー
- 山根麻衣
- 本田恭章
- 杉真理
- 岡村靖幸
- 小比類巻かほる
- 白井貴子
- BEE PUBLIC
- 渡辺美里
- 甲斐よしひろ
- 花田裕之
- 松井常松
- 布袋寅泰
- COMPLEX
- 山下久美子
- 吉川晃司
- LOVE (歌手)
- 清木場俊介
- 及川光博
- Do As Infinity
- 奥野敦士
ほか、多数
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- coikesun (@coikesun) - X(旧Twitter)
- Booster's Bar - 小池ヒロミチが経営するライブバー
- Booster's Bar Staff (@boosters_bar) - X(旧Twitter)
- 小池ヒロミチBassLesson 低音義塾