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山添直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やまぞえ なおし

山添 直
生誕 1905年10月28日
日本の旗 日本 新潟県新潟市田中町
死没 (1993-05-01) 1993年5月1日(87歳没)
東京都世田谷区
死因 急性心不全
出身校 東京帝国大学経済学部経済学科
職業 実業家
山添武治
栄誉 運輸大臣表彰(1967年)
勲三等瑞宝章(1975年)
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山添 直(やまぞえ なおし、活動家名:松山 止才(止戈)、1905年明治38年)10月28日 - 1993年平成5年)5月1日)は、日本実業家小田急不動産第2代社長、元小田急電鉄専務取締役・顧問。

来歴・人物

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新潟県新潟市田中町(現 新潟市中央区田中町)の新聞経営者山添武治の次男として出生[1]

1922年大正11年)3月に新潟中学校を4年で修了[注 1]1925年(大正14年)3月に新潟高等学校を卒業、1928年昭和3年)3月に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業[1][注 2]

1928年(昭和3年)10月に全国農民組合新潟県連合会書記に就任[4]、12月に父が創業した新潟毎日新聞社労働争議を支援して、武治の後輩だった社長の小柳調平に抗議文を提出[5]1929年(昭和4年)1月に日本共産党に入党[6]、4月16日に同党に対する一斉検挙(四・一六事件)で浅沼喜実石田宥全と共に検挙され[7]、5月23日に新潟刑務所に送致された。1930年(昭和5年)1月15日に新潟地方裁判所公判が開廷すると[8]、2月2日に懲役7年を求刑され[9][注 3]、2月8日に治安維持法違反のため懲役6年の判決を言い渡された[11]

1930年(昭和5年)5月16日の東京控訴院での第二審[12]以後に保釈される[13]。このあと東京落合町(現 新宿区)や馬込町(現 大田区)の借家で、日本共産党労働者派(解党派)の水野成夫浅野晃村尾薩男田中稔男らと共同生活を送った[14]

1932年(昭和7年)7月に解党派が山添を除き自首して消滅すると[15]、山添は母の故郷である山形県鶴岡市荘内神社の社殿の床下や、兄の武が[注 4]住んでいた現在の東京都青梅市和田町の山奥の小屋[注 5]で、時効まで潜伏生活を送った[24]

東急入り

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1942年(昭和17年)2月に東京横浜電鉄に入社、1943年(昭和18年)11月に東急企画局自動車部業務課長心得に就任、1948年(昭和23年)5月に東急自動車専務取締役に就任、1949年(昭和24年)8月に箱根登山鉄道取締役経理部長に就任、1954年(昭和29年)5月に箱根登山鉄道専務取締役に就任。

小田急に転じる

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1955年(昭和30年)11月に小田急電鉄取締役に就任[25]1959年(昭和34年)2月に同常務取締役[26]1961年(昭和36年)11月に同専務取締役にそれぞれ就任[27]1962年(昭和37年)11月に相模鉄道取締役に就く[28]

1964年(昭和39年)12月に小田急不動産副社長に就任、1969年(昭和44年)5月に第2代取締役社長に就任[29]1975年(昭和50年)5月に社長を退任し取締役相談役となる。1977年(昭和52年)6月に取締役を退任し[30][31]、小田急電鉄顧問に就任[31]

小田原自動車工業取締役、小田急交通取締役、国際観光取締役、小田急観光取締役、箱根ロープウェイ取締役、箱根観光船社長[32]日本高速船社長、神奈川三菱ふそう自動車販売取締役、小田急百貨店取締役・顧問[33]なども務めた[29][34]

西武グループとの間で繰り広げられた輸送シェア争い(箱根山戦争)において小田急グループの箱根登山鉄道、箱根ロープウェイ、箱根観光船などの指揮を執り[35]裁判闘争でも中心になって活動した[36]

1993年平成5年)5月1日午後2時17分に東京都世田谷区上祖師谷至誠会第二病院急性心不全のため死去、告別式は東京都新宿区南元町千日谷会堂で執り行われた[37]

栄典・表彰

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家族・親戚

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著作物

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著書

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  • 『折り折りの記』スタッフ・コア、1975年。

編書

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  • 『黒﨑研堂 庄内日誌 第一巻』久保威夫・田中正臣[共編]、酒井忠明[序]、黒崎研堂 庄内日誌刊行会、1984年。
  • 『黒﨑研堂 庄内日誌 第二巻』久保威夫・田中正臣[共編]、黒崎研堂 庄内日誌刊行会、1986年。

訳書

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1919年大正8年)6月、2年生の時、他人から投げられた石が左眼に当たって失明した[2]
  2. ^ 1925年(大正14年)4月に東京帝国大学に入学すると学生運動団体の新人会に入会し、1927年昭和2年)11月中旬から1カ月半の間、労働農民党東京府支部連合会の書記を務めた[3]
  3. ^ 山添直は公判廷で2時間にわたって日本共産党綱領について演説を行った[10]
  4. ^ 新潟師範学校で英語と経済を教えていたが[16]1929年(昭和4年)4月16日の四・一六事件で検挙され[17]12月に引っ越し[18]東京府立第九高等女学校で英語の講師を務め[19]、松山武の名前でジェームズ・ブライスの著書『近代民主政治』を和訳した[20]
  5. ^ 新潟中学校の先輩の弁護士・伴純(山添武とは少年時代からの友人)が建てて住んだ小屋で[21]坂口安吾も住んだことがある[22][23]

出典

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  1. ^ a b 自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』235頁。
  2. ^ 自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』235-236頁。
  3. ^ 自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』237-238頁。
  4. ^ 自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』238・240-241頁。
  5. ^ 自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』239・241-243頁。『新潟県史 通史編8 近代三』90頁。
  6. ^ 自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』239・241頁。
  7. ^ 新潟県史 通史編8 近代三』379頁。『新潟県史 資料編19 近代七 社会文化編』524頁。
  8. ^ 新潟縣年鑑 1931』77頁。『第二無產者新聞』第14号、3面。『日本勞働年鑑 第拾貮輯』556頁。
  9. ^ 新潟縣年鑑 1931』78頁。
  10. ^ 戰旗』第3巻第7号、169頁。
  11. ^ 自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』240-241頁。『日本勞働年鑑 第拾貮輯』556頁。
  12. ^ 日本勞働年鑑 第拾貮輯』556頁。『日本政治裁判史録 昭和・前』189頁。
  13. ^ 自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』243頁。
  14. ^ 民間傳承』第309号、4頁。『民間傳承』第311号、4頁。
  15. ^ 日本共産主義運動史』375頁。『共同研究 転向 1: 戦前篇 上』277頁。
  16. ^ 自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』215-216頁。
  17. ^ 新潟県史 資料編19 近代七 社会文化編』524頁。
  18. ^ 自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』220頁。
  19. ^ 自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』221頁。
  20. ^ 自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』217-218・222頁。
  21. ^ 自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』219頁。
  22. ^ 文藝』第4巻第1号、71-72頁。『坂口安吾全集4』244頁。『坂口安吾全集04』309頁。『風と光と二十の私と』61頁。
  23. ^ 風と光と二十の私と - 坂口安吾 - 青空文庫
  24. ^ 自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』243頁。『労働運動研究』第34号、17頁。『運動史研究 7』111頁。
  25. ^ 小田急五十年史』286頁。
  26. ^ 小田急五十年史』290頁。
  27. ^ 小田急五十年史』469頁。
  28. ^ 相模鉄道近代5年史』75頁。
  29. ^ a b 第廿五版 人事興信錄 下』「や」151頁。
  30. ^ 小田急五十年史』475頁。
  31. ^ a b 小田急75年史』77頁。
  32. ^ 小田急vs西武「箱根山戦争」が生んだ海賊船の50年 - 日本経済新聞
  33. ^ 新潟県年鑑 1991』696頁。
  34. ^ 第廿二版 人事興信錄 下』「や」111頁。
  35. ^ 新經濟』第20巻第7号、49頁。『新經濟』第21巻第7号、65頁。
  36. ^ 自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』245頁。
  37. ^ 新潟日報』1993年5月3日付朝刊、23面。『日本經濟新聞』1993年5月3日付朝刊、27面。
  38. ^ 「叙任、賞罰及び辞令」『運輸公報』第922号、270頁、運輸省大臣官房文書課、1967年7月11日。
  39. ^ 「叙位・叙勲」『官報』第14654号、7頁、大蔵省印刷局、1975年11月7日。
  40. ^ 現代 物故者事典 1991〜1993』626頁。『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』290頁。

参考文献

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  • 『自由民権の家族史 新潟・山添武治家の近現代』横山真一[著]、伊東祐之・高島千代[校訂]、日本経済評論社、2022年。
  • 「山添直」『現代 物故者事典 1991〜1993』626頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、1994年。
  • 「山添直」『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』290頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2020年。
  • 「山添直」『第廿二版 人事興信錄 下』「や」111頁、人事興信所[編]、人事興信所、1964年。
  • 「山添直」『第廿五版 人事興信錄 下』「や」151頁、人事興信所[編]、人事興信所、1969年。
  • 「山添直氏」『新潟日報』1993年5月3日付朝刊、23面、新潟日報社、1993年。
  • 「山添直氏」『日本經濟新聞』1993年5月3日付朝刊、27面、日本経済新聞社、1993年。
  • 『新潟縣年鑑 1931』横井天華[著]、新潟県年鑑社、1931年。
  • 『新潟県年鑑 1991』新潟日報社[編]、新潟日報社、1990年。
  • 『新潟県史 通史編8 近代三』新潟県[編]、新潟県、1988年。
  • 『新潟県史 資料編19 近代七 社会文化編』新潟県[編]、新潟県、1983年。
  • 『民間傳承』第309号、4-5頁、「ものぐさ手帖(八五) 水野成夫のこと(一四)」浅野晃[著]、六人社、1977年。
  • 『民間傳承』第311号、4-5頁、「ものぐさ手帖(八六) 水野成夫のこと(一五)」浅野晃[著]、六人社、1977年。
  • ローザの日に新潟の公判」『第二無產者新聞』第14号、3面、第二無産者新聞社、1930年。
  • 「娑婆の同志に送る鬪爭歌」『戰旗』第3巻第7号、169-171頁、山添直[著]、戦旗社、1930年。
  • 日本勞働年鑑 第拾貮輯大原社会問題研究所[編]、同人社書店、1931年。
  • 『日本政治裁判史録 昭和・前』我妻栄林茂辻清明団藤重光[編]、第一法規出版、1970年。
  • 『日本共産主義運動史』山本勝之助・有田満穂[著]、世紀書房、1950年。
  • 共同研究 転向 1: 戦前篇 上思想の科学研究会[編]、平凡社東洋文庫 817〉、2012年。
  • 『労働運動研究』第34号、労働運動研究所、1972年。
  • 運動史研究 7』運動史研究会[編]、三一書房、1981年。
  • 「風と光と二十の私と」『文藝』第4巻第1号、70-85頁、坂口安吾[著]、河出書房、1947年。
  • 「風と光と二十の私と」『坂口安吾全集4』242-265頁、坂口安吾[著]、筑摩書房ちくま文庫 さ4-4〉、1990年。
  • 「風と光と二十の私と」『坂口安吾全集04』308-324頁、坂口安吾[著]、柄谷行人関井光男[編]、筑摩書房、1998年。
  • 「風と光と二十の私と」『風と光と二十の私と・いずこへ 他十六篇』59-85頁、坂口安吾[著]、岩波書店岩波文庫 緑182-3〉、2008年。
  • 『新經濟』第20巻第7号、新経済社、1960年。
  • 『新經濟』第21巻第7号、新経済社、1961年。
  • 『相模鉄道近代5年史』相模鉄道株式会社[編]、相模鉄道株式会社、1962年。
  • 『小田急五十年史』小田急電鉄株式会社 社史編集事務局[編]、小田急電鉄株式会社、1980年。
  • 『小田急75年史』小田急電鉄株式会社 社史編集事務局[編]、小田急電鉄株式会社、2003年。

関連文献

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