年取り魚
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年取り魚(としとりざかな)は大晦日、年越しの食事につける魚[1]。年越魚[2]、正月魚(しょうがつうお)ともいう[3]。
各地の年取り魚
[編集]魚は神事や祭事の供物として欠かせない縁起物であり、それを年越しの際に用意するという年取り魚の風習は、今日のような物流体制が整う遥か以前の時代から受け継がれてきたものである。かつて海沿いから離れた地域では、魚料理を口にできるのは正月くらいのものであったという[4]。低温流通技術が発達する以前は塩蔵品の塩サケ、塩ブリが用いられた[5]。
年取り魚としては、東日本ではサケ、西日本ではブリが多く用いられる。その境界線は糸魚川静岡構造線にほぼ一致するといわれ、その境界線上に位置する長野県では県を東西に2分し、東側の長野市ではサケ、西側の松本市ではブリと大雑把に混在している[1][4][6][7]。「栄える」に通じるサケ、出世魚のブリはいずれも縁起物として知られる[8][9]。
その他、青森県ではタラおよびたらこ、三陸では子持ちのナメタガレイを用いた煮物や汁物が用意される[6]。また、長野県佐久市では地元の特産品であるコイ(佐久鯉)を用いるよう、市が呼びかけたことがある[10]。
年取り魚に関連する作品
[編集]- 『ゐなかの四季』
- 文部省唱歌。母の手作りによる大根膾を「年越しざかな」(=年取りざかな)に、年末の一家団欒の風景を歌う。この「さかな」は「酒の肴」などで用いられる「肴」であるとされる[11]。作家の宮沢賢治は、『十月の末』の作中で登場人物にこの歌を歌わせている[12]。
脚注
[編集]- ^ a b “コトバンク 年取り魚”. 2016年12月16日閲覧。
- ^ “コトバンク サケ”. 2017年6月12日閲覧。
- ^ “コトバンク 正月魚”. 2016年12月8日閲覧。
- ^ a b “年取り魚の変遷と正月の魚食文化”. 紀文. 2016年12月16日閲覧。
- ^ 中澤弥子、「特別研究「調理文化の地域性と調理科学―行事食・儀礼食―」東海・北陸支部』『日本調理科学会誌』 2012年 45巻 5号 p.381-385, doi:10.11402/cookeryscience.45.381, 日本調理科学会
- ^ a b “お国柄を味わう年取り魚”. マルイチ産商. 2018年12月30日閲覧。
- ^ 野瀬泰申. “鮭とブリ 正月に食べるのはどっち?”. 日本経済新聞社. 2012年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月30日閲覧。
- ^ “あなたは「サケ派」それとも「ブリ派」?”. FLAネットワーク協会 (2014年12月). 2016年12月23日閲覧。
- ^ “新巻ザケと塩ブリ”. マルイチ産商. 2018年12月30日閲覧。
- ^ 「広報佐久 平成25年12月号」佐久市、2013年、56ページ。
- ^ 国民教育研究会編『形式の解説を主としたる国語教授日案 尋常小学4年前期』啓成社、1910年、50 - 70ページ。
- ^ 宮沢賢治. “十月の末”. 2017年6月12日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 三田コト、「年末年始の食事にみる食文化の伝承 : 短大生とその家族の食事から」『長野県短期大学紀要』 1997年 52巻 p.1-8, NAID 40002771349, 長野県短期大学
- 名倉秀子、大越ひろ、茂木美智子、元日の喫食料理に関する地域特性の分析」『日本家政学会誌』 2007年 58巻 12号 p.753-762, doi:10.11428/jhej.58.753, 日本家政学会
- 本間伸夫, 新宮璋一, 石原和夫 ほか、「東西食文化の日本海側の接点に関する研究(III) : 年取り魚と昆布巻」『県立新潟女子短期大学研究紀要』 1990年 27巻 p.75-82, NAID 120002602561, 県立新潟女子短期大学
- 中澤弥子, 佐藤晶子, 小木曽加奈 ほか、「長野県の正月と大晦日の行事食について」『日本調理科学会大会研究発表要旨集』 平成23年度日本調理科学会大会 セッションID: B1a-13, doi:10.11402/ajscs.23.0.113.0, 日本調理科学会