押小路家 (閑院流)
表示
押小路家 (堂上家) | |
---|---|
| |
本姓 | 藤原北家閑院流三条西庶流 |
家祖 | 押小路公音 |
種別 |
公家(羽林家) 華族(子爵) |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 |
山城国 東京府 |
支流、分家 | 前田家(武家) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
藤原北家閑院流の押小路家(おしこうじけ/おしのこうじけ)は、三条西家の庶流にあたる公家・華族。公家としての家格は羽林家、華族としての家格は子爵家。
概要
[編集]寛文年間(1661年 - 1673年)、三条西公勝の次男公音が創設した。公音の実父は堀尾泰長(三条西公紀)。養父の公勝は叔父。押小路の家名は、居住地名を由来とする。家禄130石。
家職を歌道とする三条西家の分家だが、漢詩の家柄として知られた。維新後、華族令施行により公亮に子爵が叙せられた。
系譜
[編集]- 実線は実子、点線(縦)は養子、点線(横)は婚姻関係。
三条西実条 | 前田玄以の娘 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
三条西公勝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
三条西実教 | 清水谷公栄 | 押小路公音1 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
実岑2 | 小倉公映 | 前田玄長 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
従季3[1] | 前田房長[2] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
実富4 | 前田清長 | 松平〈松井〉康定 | 前田富長 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
公岑[3] | 実茂5[4] | 植松雅恭 | 前田珍長 | 松平〈松井〉康英 | 前田長皓 | ||||||||||||||||||||||||||||||
公連6 | 前田長皓 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
実潔7[5] | 前田長義 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
公亮8 | 前田長徳[6] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
実英9 | 伊東泰丸 | 前田長禮[7] | |||||||||||||||||||||||||||||||||
公知10 | 前田長善 | 堀尾長興 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
- ^ 清水谷雅季の次男。
- ^ 旗本寄合・松平〈松井〉康郷の子。
- ^ 三条西実称の子。
- ^ 三条実起の次男。
- ^ 滋野井公敬の子。
- ^ 信濃諏訪藩主・諏訪忠粛の三男。
- ^ 肥前唐津藩主・小笠原長泰の子。表向きには旗本御小性組・小笠原頼母の子。
幕末の領地
[編集]国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』によると、幕末期の押小路家(堂上家)領は山城国綴喜郡内里村のうち130石であった。