日本製鉄室蘭シャークス
チーム名(通称) | 日本製鉄室蘭シャークス、室蘭シャークス、日鉄室蘭シャークス |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 |
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創部 | 1995年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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練習グラウンド | 日本製鉄室蘭球場 |
監督 | 比嘉泰裕 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 4回 |
最近の出場 | 2014年 |
最高成績 | 初戦敗退 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 3回 |
最近の出場 | 2013年 |
最高成績 | 2回戦敗退 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
チーム名(通称) | 新日本製鐵室蘭、新日鐵室蘭 |
---|---|
加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1939年 |
廃部 | 1994年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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練習グラウンド | 新日鐵室蘭球場 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 18回 |
最近の出場 | 1986年 |
最高成績 | 準優勝 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 11回 |
最近の出場 | 1992年 |
最高成績 | 4強 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
日本製鉄室蘭シャークス(にっぽんせいてつむろらんシャークス)は、北海道室蘭市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟している社会人野球の企業チームである。 1994年に前身である新日本製鐵室蘭硬式野球部が休部し、1995年に市民チームとして誕生する(登録上は、新日本製鐵室蘭とは別チーム)。
概要
[編集]1939年、日本製鐵の輪西製鐵所で『日本製鐵輪西硬式野球部』として創部。
1950年、日本製鐵の財閥解体に伴い、輪西製鐵所は富士製鐵が継承したため、チーム名を『富士製鐵輪西硬式野球部』に改称した。
1951年、輪西製鐵所が室蘭製鐵所と改称したため、チーム名を『富士製鐵室蘭硬式野球部』に改称した。
1956年の都市対抗野球で初出場し、1963年の都市対抗野球では準優勝となった。
1970年、富士製鐵と八幡製鐵が合併し新日本製鐵が発足したため、チーム名を『新日本製鐵室蘭硬式野球部』に改称した。
1994年、鉄鋼不況の影響から新日本製鐵がスポーツ支援体制の見直しを図り、同年シーズン限りで堺野球部、光野球部とともに当チームは休部することが決定した。そこで、当時キャプテンだった加藤徹をはじめとした有志たちがクラブチームの『室蘭シャークス』を立ち上げ、1995年から活動を開始した。初代監督には加藤が兼任で就任した。
クラブチームとなってからは、1996年に日本選手権に、2001年に都市対抗野球にそれぞれ初出場している。
2012年10月、新日本製鐵と住友金属工業が合併し新日鐵住金が発足した。これに伴い、新日本製鐵を源流とするクラブチームや広域複合企業チームの多くが冠スポンサーとして「新日鐵住金」の名称を使うようになった[注 1]。当チームも同社の公式サイトには少なくとも2013年6月までは『新日鐵住金室蘭シャークス』として掲載されていたが[1]、その間に日本野球連盟に対してチーム名称変更の届出は出されておらず、2013年10月までにサイト内の表記も『室蘭シャークス』に差し戻されたため[2]、チーム名の改称は行われなかった[注 2]。
2018年3月、日本野球連盟北海道地区連盟の評議員会でクラブチームから企業チームへの登録変更が発表され[3]、その後日本野球連盟から正式に発表された[4]。
2019年4月、母体である新日鐵住金が商号変更し日本製鉄が発足。これに伴い、チーム名を『日本製鉄室蘭シャークス』に改称した[5]。
設立・沿革
[編集]- 新日本製鐵室蘭(前身の富士製鐵室蘭、富士製鐵輪西、日本製鐵輪西を含む)
- 1939年 - 日本製鐵の輪西製鐵所で『日本製鐵輪西』として発足。
- 1950年 - 日本製鐵の解体に伴い富士製鐵が発足し、チーム名を『富士製鐵輪西』に改称。
- 1951年 - 輪西製鐵所が室蘭製鐵所に改称したため、チーム名を『富士製鐵室蘭』に改称。
- 1956年 - 都市対抗野球に初出場。
- 1963年 - 都市対抗野球で準優勝。
- 1970年 - 富士製鐵を八幡製鐵が合併し新日本製鐵が発足したため、チーム名を『新日本製鐵室蘭』に改称。
- 1974年 - 日本選手権に初出場。
- 1994年 - 新日本製鐵のスポーツ支援体制見直しにより休部。
- 日本製鉄室蘭シャークス(前身の室蘭シャークスを含む)
- 1995年 - クラブチームの『室蘭シャークス』が活動開始。
- 1996年 - 日本選手権に初出場。
- 2001年 - 都市対抗野球に初出場。
- 2018年 - 企業チームへ登録変更。
- 2019年 - チーム名を『日本製鉄室蘭シャークス』に改称。
主要大会の出場歴・最高成績
[編集]- 新日本製鐵室蘭(前身の富士製鐵室蘭、富士製鐵輪西、日本製鐵輪西を含む)
- 都市対抗野球大会 - 出場18回、準優勝1回(1963年)
- 社会人野球日本選手権大会 - 出場11回、ベスト4(1992年)
- JABA北海道大会 - 優勝3回(1979、1988、1991年)
- 日本製鉄室蘭シャークス(前身の室蘭シャークスを含む)
- 都市対抗野球大会 - 出場4回
- 社会人野球日本選手権大会 - 出場3回
主な出身プロ野球選手
[編集]- 新日本製鐵室蘭(前身の富士製鐵室蘭、富士製鐵輪西、日本製鐵輪西を含む)
- 干場一夫(投手) - 旭川鉄道局を経て、1950年に大阪タイガースに入団
- 稲川誠(投手) - 1962年に大洋ホエールズに入団
- 佐藤進(投手) - 1964年に国鉄スワローズに入団
- 谷木恭平(外野手) - 1972年ドラフト3位で中日ドラゴンズに入団
- 竹本由紀夫(投手) - 1980年ドラフト1位でヤクルトスワローズに入団
- 遠田誠治(内野手) - 1985年ドラフト6位で中日ドラゴンズから指名を受け、翌1986年シーズン終了後に入団
- 三井浩二(投手) - 休部に伴い新日本製鐵広畑に移籍し、2000年ドラフト2位(逆指名)で西武ライオンズに入団
- 日本製鉄室蘭シャークス(前身の室蘭シャークスを含む)
- 瀬川隼郎(投手) - 2014年ドラフト5位で北海道日本ハムファイターズに入団
元プロ野球選手の競技者登録
[編集]- 綿貫惣司(元:東京セネタース) - 監督→退団
- 秋光新二(元:大阪タイガース) - 投手→退団
- 鈴木駿也(元:福岡ソフトバンクホークス) - 投手(2015年 - 2020年)→退団
- 佐藤峻一(元:オリックス・バファローズ) - 投手(2017年 -2023年 )→投手コーチ(2024年 - )
- 瀬川隼郎(元:北海道日本ハムファイターズ) - コーチ兼投手(2018年 - 2022年)→投手コーチ(2023年)→退団
かつて在籍した選手・コーチ・監督
[編集]- 加藤徹(内野手) - 選手・監督として在籍。室蘭シャークス初代監督。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ かずさマジックが新日鐵住金かずさマジックに、硬式野球クラブ 東海REXが新日鐵住金東海REXに、新日鐵大分ベースボールクラブが新日鐵住金大分クラブにそれぞれ改称した。
- ^ なお、光シガールズもチーム名を改称しなかった。
出典
[編集]- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ 北海道ガスが社会人野球連盟加盟へ、道内の企業チーム2にスポーツ報知、2018年3月5日。
- ^ “チーム情報 2018年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2018年3月17日閲覧。
- ^ “チーム情報 2019年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2019年4月14日閲覧。
関連項目
[編集]- 社会人野球チーム一覧
- 都市対抗野球大会 (北海道勢)
- 日本製鉄室蘭製鉄所
- 日本製鉄グループの野球部(前身の新日本製鐵、住友金属も含む)
- 日本製鉄鹿島硬式野球部(旧:住友金属鹿島硬式野球部)
- 日本製鉄かずさマジック(旧:新日本製鐵君津硬式野球部)
- 日本製鉄東海REX(旧:新日本製鐵名古屋硬式野球部)
- 日本製鉄瀬戸内硬式野球部(旧:日本製鉄広畑硬式野球部)
- 日鉄ステンレス硬式野球部(旧:新日本製鐵光硬式野球部)
- 日本製鉄九州大分硬式野球部(旧:新日鐵住金大分硬式野球部)
- 新日本製鐵釜石硬式野球部 - 1988年に廃部。
- 新日本製鐵堺硬式野球部 - 1995年から休部し、2008年に廃部。
- 新日本製鐵八幡硬式野球部 - 2003年に廃部。
外部リンク
[編集]- MURORAN SHRAKS(現在更新中)
- 日本製鉄室蘭シャークス (@muroransharks) - X(旧Twitter)
- 室蘭シャークス (@muroran_sharks) - Instagram
- 日本製鉄室蘭シャークス(更新休止中)