松下功
表示
松下 功 | |
---|---|
生誕 | 1951年11月23日 |
出身地 | 日本東京都 |
死没 | 2018年9月16日(66歳没) |
学歴 | 東京芸術大学 |
ジャンル | 現代音楽 |
職業 | 作曲家 |
公式サイト | 松下功 公式ホームページ |
松下 功(まつした いさお、1951年11月23日 - 2018年9月16日) は日本の現代音楽の作曲家。
来歴
[編集]東京都出身。東京芸術大学、及び同大学院にて作曲を南弘明、黛敏郎に師事。1977年、日本音楽コンクール作曲部門入賞。
1979年、ドイツ政府学術交流会(DAAD)給費留学生としてベルリン芸術大学にて、尹伊桑に師事。
1985年、ドイツ・メンヒェングラートバッハ市国際作曲コンクール1位。1986年、入野賞受賞。
1988年から2003年まで、東京芸術大学音楽学部作曲科非常勤講師、1991年から99年まで尚美学園短期大学音楽学科助教授、1999年から2003年まで尚美学園大学情報芸術学部教授を歴任、また、2003年には「アジア音楽祭2003in東京」実行委員長、1999年から2004年にはアジア作曲家連盟会長を務めた。
東京芸術大学副学長(研究担当)・演奏藝術センター教授、社団法人日本作曲家協議会会長、アンサンブル東風代表などを務めた。 2005年にはガウデアムス音楽賞の審査員に選出された。芸大非常勤時代には、川島素晴、田村文生、大村久美子などを育てている。 2018年9月16日、急性大動脈解離により死去[1][2]。
主要作品
[編集]管弦楽
[編集]- ディフュージョン(1976年)(日本音楽コンクール受賞作品)
- アラバスター/3群のorch.(1977年)(ISCM音楽祭「世界音楽の日々」1982入選)
- 時の糸 II(1987年)(入野賞受賞作品/ISCM音楽祭「世界音楽の日々」1998入選)
- シンフォニック・ポエム「夢の航跡」(1989年)
- シンフォニック・ポエム「筑後」(1990年)
- グラン・アトール(1992年)
- 時の糸 III(1993年)
- 和太鼓協奏曲「飛天遊」(1993年)
- ヴィオラ小協奏曲「夢の調べに」(1995年)
- 信州民謡パラフレーズ(1998年)
- 幻想曲「通りゃんせ」(1999年)
- サウン協奏曲「ベルワッナサウン」(1999年)
- 交響曲「陀羅尼」(2002年)
室内楽
[編集]- レイヤー(1976年)
- アトール I(1982年)
- アトール II(1982年)
- 東風(1983年)
- 時の糸 I(1984年)(メンヒェングラードバッハ市作曲コンクール1位/ISCM音楽祭「世界音楽の日々」1993入選)
- エアスコープ I(1984年)
- エアスコープ II(1984年)
- ロロール(1985年)
- エアスコープ III(1986年)
- オプティカル・ポエム(1987年)
- オプティカル・タイム(1987年)
- オプティカル・ウェーブ(1992年)
- 五重奏曲~映画「屋根裏の散歩者」の音楽~(1992年)
- リリカル・タイム(1992年)
- 夢の時へ(1994年)
- 秋の葉音に(1994年)
- 時の調べに(1996年)
- 夢の想いに(1998年)
- 藤戸(1998年)
- 夢の調べに II(1999年)
- 風の宴(2000年)
- 響きの宴(2001年)
- マントラ(2001年)
- ダンマパダ(2001年)
- 葦の舞(2001年)
- フルート合奏曲(2002年)
- 交響曲「合掌」/聲明と室内オーケストラ(2004年)
- 2本の尺八のための協奏曲「天空の舞」(2007年)
吹奏楽
[編集]合唱
[編集]オペラ
[編集]- 信濃の国・善光寺物語(1997年)(長野オリンピック公式文化プログラム)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “松下功さん66歳=作曲家、東京芸大副学長”. 毎日新聞. (2018年9月17日) 2018年9月18日閲覧。
- ^ “作曲家の松下功さん死去 東京芸術大副学長”. 朝日新聞. (2018年9月17日) 2018年9月18日閲覧。