松本喜一
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まつもと きいち 松本 喜一 | |
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生誕 |
1881年8月12日 埼玉県秩父郡 |
死没 | 1945年11月13日(64歳没) |
国籍 | 日本 |
職業 | 官僚・教育者 |
著名な実績 | 帝国図書館長 |
松本 喜一(まつもと きいち、1881年8月12日 - 1945年11月13日[1])は、埼玉県秩父郡出身[2]の官僚・教育者。東京高等師範学校教授、帝国図書館長を歴任。
経歴
[編集]第二高等学校を経て、1906年に東京帝国大学文科大学哲学科を卒業[3]。山口県萩中学校教諭[4]、群馬県師範学校教諭、茨城県女子師範学校長、茨城県師範学校長を経て、1921年に東京高等師範学校教授[5]。1921年には田中稲城の後任として帝国図書館長事務取扱に就任した[6]が、図書館界との関りがなかった松本が就任したことで反対の声も上がっている[7]。
1923年1月11日、田中の後任として帝国図書館長(2代目)に就任[8]。1926年から1927年にはアメリカ・ドイツ・イギリスの図書館を視察している。在任時には納本規定の整備を働きかけたり、書庫や閲覧室などの庁舎の増築を行っている[7]。1928年には日本図書館協会理事長に就任し、1930年には社団法人化の推進に反感を持たれたために辞任したが、1931年に理事長に復帰して1939年まで在任した[7]。1945年11月13日、帝国図書館長在職中に死去した[1]。後任には岡田温が就任している。後世の図書館界では批判的に言及されることが多い[7]。
脚注
[編集]- ^ a b 内閣 (1945年11月20日). “故帝国図書館長松本喜一外一名位階追陞の件(叙位裁可書・昭和二十年・叙位巻二十九・臨時叙位)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 国立公文書館. 2023年12月1日閲覧。
- ^ 野原剛堂『秩父案内記』時聲社、1925年10月28日、151頁。NDLJP:919057/114。
- ^ 『東京帝国大学一覧 従明治39年至明治40年』東京帝国大学、1907年、(206)頁。NDLJP:813182/318。
- ^ 『官報』第7948号、明治42年12月20日、p.549
- ^ 『東京高等師範学校第一臨時教員養成所一覧 自大正11年4月至大正12年3月』東京高等師範学校、1923年、68の41頁。NDLJP:958686/173。
- ^ 印刷局 編『職員録追録 大正11年9月号』1922-09-15、139頁。NDLJP:986617/77。
- ^ a b c d 日本図書館文化史研究会『図書館人物事典』日外アソシエーツ、2017年、p.251
- ^ 『帝国図書館一覧』帝國図書館、1926年9月1日、3頁。NDLJP:11447350/7。
参考文献
[編集]- 岡田温 「松本先生を思ふ」『図書館雑誌』第40巻2号、1946年7月
- 元帝国図書館長'松本喜一著作一覧
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 高藤太一郎 |
茨城県師範学校長 1919年 - 1921年 |
次代 根岸福弥 |
先代 柿山清 |
茨城県女子師範学校長 1916年 - 1919年 |
次代 三井政善 |
その他の役職 | ||
先代 林癸未夫 今井貫一 |
日本図書館協会理事長 1931年 - 1939年 1928年 - 1930年 |
次代 高柳賢三 林癸未夫 |