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柳川真一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柳川 真一
生誕 1889年7月17日
日本の旗 日本 島根県
死没 (1965-05-15) 1965年5月15日(75歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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柳川 真一(やながわ しんいち、1889年明治22年)7月17日[1] - 1965年昭和40年)5月15日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]

経歴

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1889年(明治22年)に島根県で生まれた[1]陸軍士官学校第23期卒業[1]1937年(昭和12年)11月に陸軍歩兵大佐に進級し[2]1938年(昭和13年)3月に第3国境守備隊長に着任[2]1939年(昭和14年)3月に歩兵第110連隊長(第110師団)に転じ[2]日中戦争に出動し[1]、京漢線沿線の守備に任じた[1]1940年(昭和15年)9月24日本郷連隊区司令官に転じた[2]

同年12月2日に陸軍少将に進級し[2]1941年(昭和16年)12月に第20歩兵団長(朝鮮軍第20師団)に着任[1]1943年(昭和18年)8月に朝鮮軍司令部附を経て[1]1944年(昭和19年)1月10日に独立歩兵第2旅団長(北支那方面軍)に就任し、中国戦線に復帰[1]。石門を根拠地とし[1]、京漢線・石太線石徳線・井崗炭鉱及び棉産地の守備並びに確保に務めた[1]10月26日に陸軍中将に進級[2]11月22日第120師団長に親補され[1]京城で守備に就いた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 福川 2001, 743頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 297頁.
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」193頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026