柳川真一
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柳川 真一 | |
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生誕 |
1889年7月17日 日本 島根県 |
死没 | 1965年5月15日(75歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
柳川 真一(やながわ しんいち、1889年(明治22年)7月17日[1] - 1965年(昭和40年)5月15日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]
経歴
[編集]1889年(明治22年)に島根県で生まれた[1]。陸軍士官学校第23期卒業[1]。1937年(昭和12年)11月に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、1938年(昭和13年)3月に第3国境守備隊長に着任[2]。1939年(昭和14年)3月に歩兵第110連隊長(第110師団)に転じ[2]、日中戦争に出動し[1]、京漢線沿線の守備に任じた[1]。1940年(昭和15年)9月24日に本郷連隊区司令官に転じた[2]。
同年12月2日に陸軍少将に進級し[2]、1941年(昭和16年)12月に第20歩兵団長(朝鮮軍・第20師団)に着任[1]。1943年(昭和18年)8月に朝鮮軍司令部附を経て[1]、1944年(昭和19年)1月10日に独立歩兵第2旅団長(北支那方面軍)に就任し、中国戦線に復帰[1]。石門を根拠地とし[1]、京漢線・石太線・石徳線・井崗炭鉱及び棉産地の守備並びに確保に務めた[1]。10月26日に陸軍中将に進級[2]、11月22日に第120師団長に親補され[1]、京城で守備に就いた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。