森田斌
表示
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県 |
生年月日 | 1935年4月27日 |
没年月日 | 2011年6月17日(76歳没) |
身長 体重 |
172 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1962年 |
初出場 | 1962年 |
最終出場 | 1963年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
| |
コーチ歴 | |
| |
この表について
|
森田 斌(もりた さかん、1935年4月27日 - 2011年6月17日)は、埼玉県出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
来歴・人物
[編集]川越工業高から東芝へ入社するが退社し、中央大学に進学。中大には1年下に小栗秀夫、若生照元(大洋)両投手がおり、外野手としての出場が多かった。東都大学リーグでは、同期の桑田武らと共に1958年春季で5年ぶりの優勝に貢献。同年の大学全日本選手権では、決勝で立大に惜敗し準優勝。大学卒業後は川崎トキコを経て、1962年に大洋ホエールズへ入団。2年目の1963年に21試合登板で2勝を挙げるが、その後は登板機会に恵まれず1964年限りで現役を引退[1]。
引退後は大洋の二軍投手コーチ(1965年, 1967年 - 1968年)・二軍投手コーチ補佐(1966年)を務め[1]、在任中は東大出身プロ野球選手第1号で1年目の新治伸治を指導。新治の左肩が早く開き、球の出所が打者に分かりやすい癖を二人三脚で徹底的に矯正[2]。
2011年6月17日、白血病のため神奈川県横浜市の病院で死去。満76歳没[1]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1962 | 大洋 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 1 | 0.0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- |
1963 | 21 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | -- | -- | .400 | 198 | 46.2 | 42 | 3 | 18 | 1 | 2 | 12 | 0 | 0 | 21 | 14 | 2.70 | 1.29 | |
通算:2年 | 22 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | -- | -- | .400 | 199 | 46.2 | 42 | 3 | 19 | 1 | 2 | 12 | 0 | 0 | 21 | 14 | 2.70 | 1.31 |
背番号
[編集]- 28 (1962年 - 1964年)
- 51 (1965年 - 1968年)
脚注
[編集]- ^ a b c “元大洋投手コーチの森田斌氏が白血病で死去”. スポーツニッポン. 2011年6月18日閲覧。
- ^ 【7月25日】1965年(昭40) 東大卒初のプロ、「南氷洋に行ったつもりで」1年目に初白星