槻木町
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つきのきまち 槻木町 | |
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廃止日 | 1956年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 槻木町、船岡町 → 柴田町 |
現在の自治体 | 柴田町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 柴田郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 41.13 km2 |
総人口 |
11,948人 (『宮城県町村合併誌』、1956年3月31日) |
隣接自治体 |
柴田郡:船岡町、村田町 名取郡:岩沼町 亘理郡:亘理町 伊具郡:角田町 |
槻木町役場 | |
所在地 | 宮城県柴田郡槻木町大字入間野字上町50[1] |
座標 | 北緯38度04分39秒 東経140度48分37秒 / 北緯38.07753度 東経140.81028度座標: 北緯38度04分39秒 東経140度48分37秒 / 北緯38.07753度 東経140.81028度 |
ウィキプロジェクト |
槻木町(つきのきまち)は、昭和31年(1956年)まで宮城県柴田郡の北東部にあった町。現在の柴田町北部(おおむね白石川北岸)にあたる。
地理
[編集]沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、入間野村・入間田村・海老穴村・上川名村・富沢村・成田村・小成田村・葉坂村・船迫村・四日市場村の計10か村が合併して槻木村が発足。村名は奥州街道の宿駅・槻木宿より命名。
- 明治37年(1904年)4月1日 - 町制施行し、槻木町となる。
- 昭和31年(1956年)4月1日 - 船岡町と合併し、柴田町となる。
行政
[編集]歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 相原逸平 | 明治22年(1889年)4月22日 | 明治32年(1899年)12月9日 | |
2 | 高橋市右ェ門 | 明治32年(1899年)12月27日 | 明治36年(1903年)8月21日 | |
3 | 黒沢源 | 明治36年(1903年)10月12日 | 明治37年(1904年)3月31日 |
歴代町長
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 黒沢源 | 明治37年(1904年)4月1日 | 明治40年(1907年)10月11日 | 村長より留任 |
2 | 大沼源太郎 | 明治41年(1908年)4月18日 | 明治45年(1912年)4月17日 | |
3 | 佐藤亀吉 | 明治45年(1912年)4月27日 | 大正5年(1916年)4月26日 | |
4 | 小室源吾 | 大正5年(1916年)10月6日 | 昭和5年(1930年)5月16日 | |
5 | 大沼理四郎 | 昭和5年(1930年)6月24日 | 昭和9年(1934年)6月23日 | |
6 | 渡辺太蔵 | 昭和9年(1934年)6月24日 | 昭和13年(1938年)6月23日 | |
7 | 北条伊平 | 昭和13年(1938年)6月24日 | 昭和17年(1942年)6月23日 | |
8 | 小室源吾 | 昭和17年(1942年)6月24日 | 昭和18年(1943年)8月17日 | 再任 |
9 | 大沼理四郎 | 昭和18年(1943年)8月18日 | 昭和19年(1944年)11月30日 | 再任 |
10 | 桜井綱 | 昭和19年(1944年)12月7日 | 昭和21年(1946年)11月20日 | |
11 | 加茂久治 | 昭和22年(1947年)4月8日 | 昭和26年(1951年)4月24日 | |
12 | 加藤政之助 | 昭和26年(1951年)4月25日 | 昭和27年(1952年)4月8日 | |
13 | 大沼金治 | 昭和27年(1952年)5月9日 | 昭和30年(1955年)5月20日 | |
14 | 神谷重雄 | 昭和30年(1955年)6月14日 | 昭和31年(1956年)3月31日 |
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ 『宮城県統計総覧 昭和28年 (調査資料)』宮城県企画部調査課、1956年、7-10頁。doi:10.11501/9547189 。2023年7月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958年)