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橘家圓三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

橘家 圓三郎(たちばなや えんさぶろう)は落語名跡。過去3代目まで存在しているが、現在は空位。3代目は上方落語家

三遊亭圓朝一門定紋「高崎扇」

他にも3代目笑福亭圓笑の門下に笑福亭圓三郎がいる。

  • 初代橘家圓三郎 - 本項にて記述。
  • 2代目橘家圓三郎 - 後の初代橘ノ圓
  • 3代目橘家圓三郎 - 本項にて記述。

初代

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初代 橘家たちばなや 圓三郎えんさぶろう
本名 林 三之助
生年月日 1828年11月
没年月日 1886年8月8日
出身地 日本の旗 日本
師匠 4代目三笑亭可楽
初代三遊亭圓朝
名跡 1. 三笑亭可久壽
2. 朝寝坊夢輔
3. 初代橘家圓三郎
活動期間 ? - 1886年
所属 三遊派

初代橘家 圓三郎1828年文政11年) - 1886年明治19年)8月8日)は幕末・明治期の落語家。本名:林三之助。

最初は天狗連で三之助ないし夢三郎を名乗っていたと言う。玄人としては幕末期4代目三笑亭可楽(爆弾の可楽)の門下になり三笑亭可久寿(可久壽)、元治ころに朝寝坊?夢輔、師匠可楽が幕府に爆弾を仕掛け後に捕縛され、佃島送りにされた明治5年ころに佃島で可楽が三遊亭圓朝に手紙で墾請した、承諾した圓朝は弟子として迎え入れ圓三郎の名を与えた。狭い寄席高座では腰を据えたまま踊る寄席踊りが重宝された。圓三郎はその踊りが名人だったという。後に寄席坐り踊りの祖と称される。

没後1898年に供養のために浅草土富店お祖師様の境内に師・圓朝の題字の「踊塚」が建立された。

坐り踊りと圓三郎の名は同門の朝治(後の初代橘ノ圓)が継承した。弟子には橘家三好(後の柳家三好、中田宗太郎)がいた。

3代目

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3代目 橘家たちばなや 圓三郎えんさぶろう
本名 山本 庄太郎
生年月日 1881年
没年月日 1920年1月7日
出身地 日本の旗 日本
師匠 7代目桂文治
三遊亭圓子
初代桂三輔
初代橘ノ圓
名跡 1. 桂團三郎(? - 1905年)
2. 三遊亭圓三郎(1905年 - 1908年)
3. 桂三笑(1908年 - 1912年)
4. 3代目橘家圓三郎(1912年 - 1920年)
活動期間 ? - 1920年
活動内容 落語
幇間
所属 桂派
三遊派
互楽派
吉原派

3代目橘家 圓三郎1881年明治14年) - 1920年大正9年)1月7日)は明治末・大正期の落語家。本名:山本庄太郎。

入門時期不明、明治30年代に7代目桂文治の門下で桂團三郎、1905年三遊亭圓子の門下で三遊亭圓三郎、1908年8月ころ九州で巡業中、初代桂三輔(後の初代桂ざこば)の門下で桂三笑で幇間に転身、1910年ころに大阪に戻り桂三升で互楽派に加入、1911年神戸吉原派の寄席に出演、1912年10月に初代橘ノ圓の門下で師の前名の3代目橘家圓三郎を襲名した。

得意ネタは「三枚起請」「佐々木裁き」「土橋万歳」そのほかにも電気踊りなどもやり吉原派の人気者になった。

出典

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  • 古今東西噺家紳士録
  • ご存じ古今東西噺家紳士録