歌田千勝
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歌田 千勝(1894年(明治27年)1月14日[要出典] - 1962年(昭和37年)8月20日[1])は、日本の内務官僚、陸軍司政長官。
経歴
[編集]山梨県出身[1]。東京帝国大学法学部法律学科(独逸法選修)を卒業し内務省に入省。
山形、石川、静岡、広島、各県の書記官と警察部長を歴任し、
1936年3月19日に内閣総理大臣秘書官兼内務書記官に就任した。
その後、大阪府総務部長、内閣紀元二千六百年祝典事務局長、陸軍司政長官等を勤めた。
経歴
[編集]- 1920年(大正9年)東京帝国大学法学部法律学科(独逸法選修)卒業[2]
- 群馬県属
- 1922年(大正11年)3月15日 - 任 三重県警視[3]
- 1923年(大正12年)10月29日 - 任 広島県理事官[4]
- 1924年(大正13年)12月20日 - 任 地方事務官[5]
- 1930年(昭和5年)12月27日 - 任 山形県書記官[6]、補 学務部長[7]
- 山形県図書館協会長[要出典]
- 1931年(昭和6年)11月9日 - 補 山形県警察部長[8]
- 1932年(昭和7年)
- 1935年(昭和10年)1月19日 - 任 広島県書記官[13]、補 広島県警察部長[14]
- 1936年(昭和11年)3月19日 - 任 内閣総理大臣秘書官兼内務書記官[15]
- 1937年(昭和12年)
- 1943年(昭和18年)3月31日 - 任 陸軍司政長官[19]
- 1946年(昭和21年)7月6日 - 厚生大臣官房勤務を命ず[20]
栄典
[編集]- 位階
- 1922年(大正11年)4月20日 - 従七位[21]
- 1924年(大正13年)11月15日 - 正七位[22]
- 1926年(大正15年)9月1日 - 従六位[23]
- 1929年(昭和4年)6月1日 - 正六位[24]
- 1937年(昭和12年)4月15日 - 正五位[25]
- 1940年(昭和15年)7月1日 - 従四位[26]
- 勲章等
- 1934年(昭和9年)6月21日 - 勲六等瑞宝章[27]
- 1937年(昭和12年)7月5日 - 勲五等瑞宝章[28]
- 1938年(昭和13年)1月14日 - 勲四等瑞宝章[29]
- 1940年(昭和15年)
- 1941年(昭和16年)4月28日 - 旭日中綬章[32]
- 1944年(昭和19年)8月15日 - 勲二等瑞宝章[33]
- 外国勲章佩用允許
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 「歌田 千勝氏(広田元首相秘書官、陸軍司政長官)」『毎日新聞』1962年8月21日、11面。
- ^ 『官報』第2398号「彙報—学事—学生卒業」1920年7月29日。
- ^ 『官報』第2884号「叙任及辞令」1922年3月16日。
- ^ 『官報』第3358号「叙任及辞令」1923年11月1日。
- ^ 『官報』第3701号「叙任及辞令」1924年12月22日。
- ^ 『官報』第1201号「叙任及辞令」1929年12月29日。
- ^ 『官報』第1205号「叙任及辞令」1931年1月8日。
- ^ 『官報』第1461号「叙任及辞令」1931年11月11日。
- ^ 『官報』第1553号「叙任及辞令」1932年3月7日。
- ^ 『官報』第1554号「叙任及辞令」1932年3月8日。
- ^ 『官報』第1650号「叙任及辞令」1932年7月1日。
- ^ 『官報』第1655号「叙任及辞令」1932年7月7日。
- ^ 『官報』第2413号「叙任及辞令」1935年1月21日。
- ^ 『官報』第2416号「叙任及辞令」1935年1月24日。
- ^ 『官報』第2763号「叙任及辞令」1936年3月20日。
- ^ 『官報』第3032号「叙任及辞令」1937年2月13日。
- ^ 『官報』第3036号「叙任及辞令」1937年2月18日。
- ^ 『官報』第3135号「叙任及辞令」1937年6月17日。
- ^ 『官報』第4864号「叙任及辞令」1943年4月1日。
- ^ 『官報』第5979号「叙任及辞令」1943年12月17日。
- ^ 『官報』第2914号「叙任及辞令」1922年4月22日。
- ^ 『官報』第3674号「叙任及辞令」1924年11月20日。
- ^ 『官報』第4216号「叙任及辞令」1926年9月11日。
- ^ 『官報』第846号「叙任及辞令」1929年10月24日。
- ^ 『官報』第3084号「叙任及辞令」1937年4月16日。
- ^ 『官報』第4066号「叙任及辞令」1940年7月26日。
- ^ 『官報』第2726号「叙任及辞令」1936年2月5日。
- ^ 『官報』第3154号「叙任及辞令」1937年7月9日。
- ^ 『官報』第3310号「叙任及辞令」1938年1月18日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ 『官報』第4086号「叙任及辞令」1940年8月19日。
- ^ 『官報』第4291号「叙任及辞令」1941年5月1日。
- ^ 『官報』第5634号「叙任及辞令」1945年10月22日。
- ^ 『官報』第4917号「叙任及辞令」1943年6月5日。