水野復斎
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水野 復斎(みずの ふくさい、1836年 - 1906年)は、名古屋の鋳物業。別名に平蔵[1]。
人物
[編集]名古屋城下鍋屋町において鋳物業を営むかたわら、学問に親しむ[1]。明治2年には尾張藩により取り立てられ、漢学一等助教、中学一等教授を務める[1]。森春濤・神波即山・植松茂岳・間島冬道らと交流を持つ[1]。
子息に鈴木鈴四郎[2]。復斎の旧蔵書は、息子の鈴四郎の手を経て、名古屋市立名古屋図書館に寄付され、鹿山文庫として保管されていたが、戦災により焼失した[2]。
宝泉院に眠る[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 1991, p. 559.
- ^ a b 名古屋市鶴舞中央図書館 1994, p. 10.
参考文献
[編集]- 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編『角川日本姓氏歴史人名大辞典23 愛知県』角川書店、1991年10月30日、492頁。ISBN 4-04-002230-0。
- 名古屋市鶴舞中央図書館 編『名古屋市鶴舞中央図書館七十年史 1923~1993』名古屋市鶴舞中央図書館、1994年3月。