洞山良价
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洞山良价 | |
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元和2年 - 咸通10年3月8日 (807年 - 869年4月23日) | |
『仏祖正宗道影』(1880年)の木版画 | |
諡号 | 悟本大師[1] |
生地 | 越州諸曁県 |
宗派 | 中国曹洞宗 |
寺院 | 洞山普利院(江西省宜春市宜豊県)[2] |
師 | 五洩霊黙・南泉普願・潙山霊祐・雲巌曇晟 |
弟子 | 曹山本寂・雲居道膺[3] |
著作 | 『宝鏡三昧』[4]・『洞山語録』 |
洞山良价(とうざん りょうかい)は、中国唐代の禅僧。諡は悟本大師。俗姓は兪[1]。越州諸曁県の出身[1]。五家七宗の一つ、曹洞宗の開祖[1]。
高弟に曹山本寂(840年-901年)がおり、宗派の名は洞山とこの曹山から一字ずつとって当初は「洞曹宗」を名乗ったというのが通説の一つだが、諸説異論ある[3](中国における曹洞宗参照)。[3]
略歴
[編集]幼少のころより仏門に入る[5]。村院の師について学んだが、『般若心経』を唱えたとき、六根の釈義について問いつめるなど頭角を現したので、五台山の高僧である五洩霊黙のもとへ遣わされ[1]、21歳のとき受戒した。
のち南泉普願にも薫陶を受け [1]、潙山霊祐にも師事 [1]。最後に雲巌曇晟(うんがん どんじょう、782年-841年)を師と仰いだが、『人天眼目』によればこのとき「三種滲漏」などの真髄[6]を相伝した。[1][5][6]
武宗による会昌の廃仏(843年-845年)が起きたが、大過なくやりすごした[注釈 1]。晩年に筠州洞山(江西省宜春市宜豊県)を開いて[8]禅門の一院を創設(当初は広福寺、功徳寺、崇先隆報寺などの名だったが、宋代初頭以降、普利院と称した[9][10][2])。ここで『宝鏡三昧(宝鏡三昧歌)』を作した[4]。門徒は500~1000人に達したという[4][2]。
洞山が提唱したかたちの五位は、「正偏(しょうへん)五位」と称される[11]。その思考を知る資料『洞山語録』がある[3]。南陽慧忠の説いた「無情説法(生命を持たない、人でないものが人と同じように説法をしているという教え)」を追い求める過程で、川に映った自分の姿を見て大悟を得たとされ、「洞山過水」として禅画の画題となっている[12]。
伝記
[編集]注釈
[編集]参考文献
[編集]- ^ a b c d e f g h 鎌田茂雄 (Shigeo Kamata)『中国仏教史辞典 (Chūgoku Bukkyō shi jiten)』(snippet)東京堂出版、1981年、272頁。ASIN B000J7UZNG 。
- ^ a b c 中村元 (Hajime Nakamura); 石田瑞麿 (Mzumaro Ishida)『新・佛教辞典 (Shin Bukkyō jiten)』(snippet)誠信書房、1980年。ISBN 9784414105018 。
- ^ a b c d 増永霊鳳 (Reihō Masunaga)「曹洞宗」『世界百科事典(Sekai hyakka jiten)』第13巻、Heibonsha、722頁、1969年(原著1968年)。
- ^ a b c 金岡秀友 (Shūyū Kanaoka)『仏教宗派辞典 (Bukkyō shūha jiten )』(snippet)東京堂出版、1974年、130頁。ISBN 978-4490100792 。
- ^ a b c 山折哲雄 (Tetsuo Yamaori)『仏教用語の基礎知識』(preview)角川学芸出版、2000年、71頁。ISBN 9784047033177 。
- ^ a b 大本山永平寺大遠忌事務局『道元禅師七百五十回大遠忌記念出版, 永平寺史料全書: 禅籍編』(snippet) 3巻、大本山永平寺、2005年 。
- ^ Dongshan Liangjie / 2008年12月11日版,"Persecution.. it had little effect"
- ^ 岩本, 裕 (Yutaka Iwamoto)『日本仏教語辞典』(snippet)平凡社、1988年 。, page=96
- ^ 金岡, 秀友 (Hidetomo Kaneoka)『宋代禅宗史の研究: 中国曹洞宗と道元禅 石井修道』(snippet)大東出版社、1987年。ISBN 9784500004836 。
- ^ 謝軍; 范銀飛; 劉斌 (2000) (snippet). 江西省志. 方志出版社,. p. 130, p.62
- ^ 古田紹欽 (Shōkin Furuta)「五位」『世界百科事典(Sekai hyakka jiten)』第7巻、Heibonsha、697頁、1964年。
- ^ 影山純夫『禅画を読む』淡交社 2011年、ISBN 9784473037268 pp.41-44
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