津軽親足
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津軽親足自画像(感随寺蔵) | |
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 天明8年8月29日(1788年9月28日) |
死没 | 嘉永2年7月30日(1849年9月16日) |
改名 | 安彦、三十郎(幼名)→親足 |
戒名 | 大常院殿果徳円明大居士 |
墓所 | 東京都台東区上野の津梁院 |
官位 | 従五位下甲斐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 陸奥黒石藩主 |
氏族 | 黒田氏→津軽氏 |
父母 | 父:黒田直亨、養父:津軽典暁 |
兄弟 |
黒田直英、黒田直方、黒田直清、親足、 泉七郎、九十郎、巳津弥、鳥居成純室、 杉浦正僖正室 養兄弟:黒田直弘 |
妻 | 正室:松平資承娘・歌子 |
子 |
承保 養子:順承 |
津軽 親足(つがる ちかたり)は、江戸時代後期の大名。陸奥国黒石藩初代藩主。官位は従五位下・甲斐守。元は4000石の旗本。歌道に優れていたと言われている。
略歴
[編集]天明8年(1788年)8月29日、上総国久留里藩主・黒田直亨の四男として江戸にて誕生。文化2年12月4日(1806年)、縁戚関係にあった津軽典暁の養嗣子となって家督を継いだ。この時、先々代当主でこの当時は本家弘前藩主であった津軽寧親(典暁の父、母が黒田直純(直亨の養父)の娘)より偏諱を受け、親足と改名した。
文化6年(1809年)4月5日に寧親の計らいで6000石加増されて1万石の大名となり、弘前藩の支藩である黒石藩を立藩した。文政8年(1825年)11月5日、家督を養嗣子の順徳(後の順承)に譲って隠居し、嘉永2年(1849年)7月晦日に江戸で死去した。享年62。
系譜
[編集]父母
正室
- 歌子、清光院 ー 松平資承の娘
子女
- 津軽承保(次男)
養子