源泰清
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時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 承平6年(936年) |
死没 | 長保元年4月11日(999年5月28日) |
官位 | 従三位、左京大夫 |
主君 | 一条天皇 |
氏族 | 醍醐源氏 |
父母 | 父:有明親王、母:藤原暁子(藤原仲平の娘) |
兄弟 | 忠清、正清、泰清、守清、明救、昭子女王、馨子女王、藤原公季室 |
妻 | 藤原雅材の娘 |
子 | 頼節、頼貞、藤原行成室、藤原行成室 |
源 泰清(みなもと の やすきよ)は、平安時代中期の公卿。醍醐天皇の孫。兵部卿・有明親王の三男。官位は従三位・左京大夫。
経歴
[編集]弾正大弼・木工頭・播磨守・大蔵卿などを歴任する。讃岐守在官中に豊楽院造営を手掛け、その功労により永延2年(988年)従三位に叙せられて公卿となる。また、同時に左京大夫に任ぜられている。
長保元年(999年)近江守に任ぜられるが、同年4月11日に薨去。享年64。最終官位は従三位左京大夫兼近江守。
官歴
[編集]- 天延元年(973年) 6月20日:見木工頭[1]
- 時期不詳:従四位上
- 天元4年(981年) 6月3日:見前播磨守[2]
- 永観2年(984年) 10月17日:見大蔵卿[3]
- 寛和2年(986年) 3月21日:見讃岐守[4]
- 永延2年(988年) 正月29日:従三位(為讃岐守時、造豊楽院賞)、左京大夫[5]
- 長保元年(999年) 日付不詳:近江守[6]。4月11日:薨去(従三位左京大夫兼近江守)[7]