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稲嶺誉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
稲嶺 誉
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県糸満市[1]
生年月日 (1980-10-21) 1980年10月21日(44歳)
身長
体重
166 cm
65 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 二塁手三塁手遊撃手
プロ入り 2002年 ドラフト8巡目
初出場 2003年10月3日
最終出場 2007年5月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

稲嶺 誉(いなみね ほまれ、1980年10月21日 - )は、沖縄県糸満市出身[1]の元プロ野球選手内野手、右投左打)、コーチ。現在は福岡ソフトバンクホークススカウトを務めている。横浜ベイスターズの元投手で現スカウトの稲嶺茂夫とは従兄にあたる[1]

経歴

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プロ入り前

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沖縄水産高では1番ショートとして後にホークスでもチームメイトとなった新垣渚とともにプレー[1]。3年生の時に第70回選抜高等学校野球大会第80回全国高等学校野球選手権大会に連続して出場[1]

高校卒業後は北海道網走市に所在する東京農大生物産業学部に進み、1年生からレギュラーとして活躍。全日本大学選手権に4度出場した。北海道六大学リーグでは首位打者3回、ベストナイン6回。大学通算打率.385、通算40盗塁。大学の同期に小森孝憲がいる。大学の卒業論文のテーマは『ガチョウの研究』であった。

2002年のドラフト8巡目で福岡ダイエーホークスに入団[1]

プロ入り後

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2003年は、ルーキーながら同年の日本シリーズにも出場した。

元々左打ちだったが、2005年両打ちに挑戦、しかし2006年からは再び左打ちに専念した。

2006年はシーズン打率.196ながら西武とのプレーオフでは1回戦で1-0の9回表に、3回戦でも1-0の7回表2死二、三塁のチャンスで代打に登場。1回戦は凡退したが、3回戦では同点適時打を放った。巨人小笠原内野手とは「顔が似ている」という理由で交流があり、2005年のオフには福岡県八女市で合同自主トレを行った。

守備では、主に二塁遊撃三塁を守ったが、2006年の秋季キャンプでは外野も練習していた。

2007年10月に戦力外通告を受ける。

引退後

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2007年12月、四国・九州アイランドリーグ福岡レッドワーブラーズのコーチに就任し、2008年の1シーズン務めた。

2009年1月からは、古巣福岡ソフトバンクホークスのファームスタッフに就任。その後2軍マネージャーを務めた。2014年からは二軍内野守備・走塁コーチ、翌2015年からは三軍内野守備・走塁コーチを務める[2]2016年からはスカウトを務める[3]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2003 ダイエー
ソフトバンク
2 8 8 2 2 0 0 0 2 0 1 0 0 0 0 0 0 3 0 .250 .250 .250 .500
2004 13 26 24 2 3 1 0 0 4 1 0 0 2 0 0 0 0 12 0 .125 .125 .167 .292
2005 41 54 45 9 10 4 1 0 16 4 5 1 3 1 5 1 0 10 0 .222 .294 .356 .650
2006 26 65 56 4 11 2 2 0 17 4 1 1 3 1 4 0 0 11 1 .196 .246 .304 .550
2007 10 10 9 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
通算:5年 92 163 142 17 26 7 3 0 39 9 8 2 9 2 9 1 0 39 1 .183 .227 .275 .502
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

記録

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背番号

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  • 60 (2003年 - 2007年)
  • 79 (2014年 - 2015年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、59ページ
  2. ^ 二軍監督及びコーチ人事について福岡ソフトバンクホークス公式サイト2013年10月28日配信
  3. ^ コーチの退団について福岡ソフトバンクホークス公式サイト2015年11月3日配信

関連項目

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外部リンク

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