裸の島
裸の島 | |
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監督 | 新藤兼人 |
脚本 | 新藤兼人 |
製作 |
松浦榮策 新藤兼人 |
出演者 |
乙羽信子 殿山泰司 |
音楽 | 林光 |
撮影 | 黒田清巳 |
製作会社 | 近代映画協会 |
配給 | 近代映画協会 |
公開 | 1960年11月23日 |
上映時間 | 95分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『裸の島』(はだかのしま)は、1960年(昭和35年)11月23日公開の日本映画である。近代映画協会製作・配給。監督・脚本・製作は新藤兼人。モノクロ、シネマスコープ、95分。
経営危機にあった近代映画協会の解散記念作品として、キャスト4人・スタッフ11人で瀬戸内海にある宿禰島でロケを敢行、撮影期間1か月、500万円の低予算で製作[1]。孤島で自給自足の生活を行う4人の家族の葛藤を台詞を排し、映像美を追求することで傑作と称される域に高めた[2]。
作品はモスクワ国際映画祭グランプリを始め、数々の国際映画祭で受賞、世界60カ国以上で上映された。興行的にも成功し、近代映画協会は解散を免れた。
あらすじ
[編集]瀬戸内海に家族4人(夫婦と男の子2人)が住む、電気・ガス・水道がない周囲約500メートルの小島(広島県三原市にある宿禰島(すくねじま))があった。島には平地はほとんどなく、島の頂上辺りのわずかな平地に小屋を建て、ヤギやアヒルと共に住んでいる。島の斜面に春はムギ、夏はサツマイモを植え、生活の糧としていた。長男は小学2年生、次男は未就学であるが、両親を助け家事を手伝っている。夫婦の日課は、隣島まで小舟を漕いで、飲料と畑の作物のための水を汲みに行くことだった。隣島より桶に入れて櫓漕ぎ舟で運んだ水を、島の急斜面を天秤棒を担いで運び上げるのである。時には妻が誤って水をこぼしてしまうが、夫は容赦なく妻を平手打ちにする、それほど厳しい生活が毎日繰り返される。このように農業には条件の悪い土地であるが、夫婦所有の土地ではなく、地代として農作物を納めている。
ある日、子供たちが鯛を釣り上げた。家族4人が揃って笑顔を見せる。妻はよそ行きの衣装に着替え、家族全員で巡航船に乗って尾道の市街へ行き、鯛を売って普段では手に入らない日用品を買ったり、また外食を楽しむこともできた。
ある日、長男が高熱をだす。父が医者を探し、島まで連れてきたが、間に合わなかった。葬儀には僧侶と通学先の担任の先生と同級生が来て、遺体は島に埋葬される。
葬儀が終わり、家族にはまた日常の生活が繰り返される。しかし畑の作物に水をやっている時、妻は突然桶の水をぶちまけ、狂ったように作物を引き抜き始める。そして大地に突っ伏して号泣する。夫は妻の心情を思いやり、ただ見ているだけであった。ほどなく妻は落ち着きを取り戻し、水やりを再開する。この家族にはこの土地で生きてゆくほかなく、今日も明日もこの小島で生活してゆく。
スタッフ
[編集]キャスト
[編集]ロケ地
[編集]- 宿禰島
- 基本的に無人島。乙羽信子、新藤兼人が亡くなった際には遺骨の一部が散骨された。
- 2011年に、同作のファンであるハリウッド俳優のベニチオ・デル・トロが島を訪問した。デルトロは、過去にも米放映用ドキュメンタリーで新藤にインタビューしたことがある。
- 佐木島
作品の評価
[編集]カナダでは新藤の人気が非常に高く[3]、『裸の島』はカナダで最も上映回数の多い日本映画といわれている[3]。また『鬼婆』も映画の古典と評価されている[3]。第8回モントリオール世界映画祭では『地平線』が『海燕ジョーの奇跡』と共に日本から出品され、『地平線』のみコンペティション部門に出た[3]。新藤は同映画祭に出席したが、新藤の出席は映画祭の栄誉として歓迎された[3]。
受賞
[編集]- 1961年:キネマ旬報ベスト・テン 第6位
- 1961年:第11回ブルーリボン賞 企画賞(新藤兼人)
- 1961年:モスクワ国際映画祭 グランプリ、作曲賞(林光)
- 1962年:メルボルン国際映画祭グランプリ
- 1962年:英国アカデミー賞総合作品賞ノミネート
- 1963年:マンハイム映画祭グランプリ
- 1964年:リスボン映画祭銀賞
- ベルリン国際映画祭セルズニック銀賞
- エディンバラ国際映画祭銀賞
- 諸国友好のための親善映画祭グランプリ
- メキシコ国際映画祭名誉賞
- イタリア映画祭監督賞(新藤兼人)
- 宗教と人間の価値映画祭国際ダグ・ハマーショルド賞
ランキング
[編集]脚注
[編集]- ^ 新藤兼人監督の軌跡 裸の島
- ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、97頁。ISBN 9784309225043。
- ^ a b c d e クロード・R・ブルーエン/翻訳・大條成昭「モントリオール国際映画祭報告 『地平線』と『海燕ジョーの奇跡』の反響」『キネマ旬報』1984年11月上旬号、キネマ旬報社、90–91頁。