西山正行
にしやま まさゆき 西山 正行 | |
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『新評』第14巻第8号(1967年)掲載肖像 | |
生誕 |
1921年10月12日[1] 日本 福岡県[2] |
死没 | 2004年1月18日(82歳没)[2] |
職業 | 実業家、馬主 |
肩書き |
西山興業グループ創業者 株式会社西山牧場創業者 |
子供 | 西山 茂行 |
西山 正行(にしやま まさゆき、1921年10月12日[1] - 2004年1月18日[2])は、日本の実業家、馬主、競走馬生産者。
経歴
[編集]1955年6月、自らの手により会社を創立。1968年10月、西山興業株式会社に社名を変更した。
西山の運営する西山興業は多角経営であり、1960年代前半当時でも不動産業、ゴルフ場経営(埼玉県さいたま市西区の大宮国際カントリークラブ他)、レストランやリゾートホテル(千葉県館山市の館山グランドホテル他)、高級クラブ「シロー」(現在閉店)等を経営していた。
1966年10月に自身の手により西山牧場を創業。牧場面積は約400haと当時としては日本最大の面積を誇る牧場であった。創業直後から現在に至るまで日本の競馬界へ多数の競走馬、種牡馬、繁殖牝馬を送り出した。
西山は一時期には繁殖牝馬だけでも250頭前後に達する数を所有し、生産競走馬も最盛期には年間約200頭にまで達していた。これは当時社台グループ、メジロ商事(現在会社解散)に次ぐ勢力であった。
1990年代に入ると西山は少数精鋭で行く事に方針を転換し、繁殖牝馬を大幅に削減していった(ただしこの頃になると、後述する病気の問題もあり、牧場の実務は息子の茂行が事実上取り仕切っていた)[3]。
自身はオーナーブリーダーでもあり、1973年に初めて中央競馬でリーディングブリーダーになった実績を持っている。これは1963年から続いていた社台ファームの11年連続リーディング・ブリーダーを阻止した事で注目を浴びた。地方競馬でも1982年から1986年まで5年連続リーディング・ブリーダーの実績を残している。
1994年9月には西山牧場と共に税務調査の申告漏れもあったが、西山は修正に応じていた。その後東京馬主協会相談役も歴任した。一方で1992年よりパーキンソン病を患っており、セイウンスカイでクラシック二冠を制した1998年には既に自力で歩行することが困難なほど衰弱していた[3]。
2004年1月18日、パーキンソン病から来る心不全により死去。82歳没。
馬主活動
[編集]日本中央競馬会(JRA)に登録されていた馬主として知られた。勝負服の柄は黄、紫三本輪、白袖、冠名は「ニシノ」「シロー[注 1]」「マルサ」「チヨノ」「アマノ」「セイウン」「セント」「ブランド」などを多様なものを用いた。このうち「ニシノ」「セイウン」は、現在も息子の西山茂行が使用し、また勝負服の柄も引き継がれている。
主な所有馬
[編集]- カブトシロー
- タイホウシロー
- リキアイオー
- キタノリキオー
- ニシノチェニル
- ニシノエトランゼ
- プレジデントシチー
- アイアンシロー
- ニシノフラワー
- ニシノライデン
- セイウンスカイ
- パラダイスクリーク
- ブランドアート
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