足立亘
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 鳥取県米子市 |
生年月日 | 1968年1月8日(56歳) |
身長 体重 |
184 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1985年 ドラフト5位 |
初出場 | 1989年10月8日 |
最終出場 | 1994年5月20日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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足立 亘(あだち わたる、1968年1月8日 - )は、鳥取県米子市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。
来歴・人物
[編集]境高では2年生時から控え投手として起用され、1984年の夏の甲子園県予選準決勝では米子商業高に完投勝ち。決勝はエース安部伸一(三菱重工三原)が米子工業高を抑え夏の甲子園への出場を決める。1回戦で法政一高と対戦。安部が延長10回2死まで無安打と好投、しかし末野芳樹にサヨナラ本塁打を喫し敗退。この試合は右翼手として出場した[1]。2年秋からエースとなり秋季県大会を制覇。秋季中国大会に進むが、準々決勝(初戦)で関西高に0-1で敗退、翌1985年春の選抜出場を逃した。期待された3年夏は故障に苦しみ、県予選で鳥取商業高に4-7で敗れ、甲子園出場はならなかった。高校の1年上に二塁手の松田和久がいる。
1985年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから5位指名を受け入団。
ルーキーだった1986年、ウエスタン・リーグで7連勝を記録した[1]。同年秋の教育リーグでボー・ジャクソンを3打席連続三振に切って取り、注目された。1989年は1A・ペニンシュラ・パイロッツに野球留学した。同年10月に一軍へ上がる[1]。1991年には4月からローテーションの一角を担い3勝1セーブを記録、リーグ優勝に貢献した。同年の西武ライオンズとの日本シリーズでも最終戦の8回裏で1イニングだけではあるが登板している。翌1992年も序盤の4試合で先発するが、その後は故障もあって登板機会に恵まれなかった。
1993年10月、金銭トレードで日本ハムファイターズに移籍。1994年は4試合の登板に終わり、同年限りで現役を引退した。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | 広島 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 46 | 11.0 | 7 | 0 | 9 | 0 | 1 | 10 | 1 | 0 | 4 | 3 | 2.45 | 1.45 |
1990 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 10 | 3.0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 | |
1991 | 26 | 14 | 0 | 0 | 0 | 3 | 7 | 1 | -- | .300 | 382 | 90.1 | 72 | 10 | 52 | 1 | 4 | 82 | 1 | 0 | 43 | 38 | 3.79 | 1.37 | |
1992 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 77 | 16.1 | 13 | 0 | 15 | 0 | 1 | 12 | 2 | 0 | 11 | 10 | 5.51 | 1.71 | |
1994 | 日本ハム | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 51 | 10.0 | 12 | 0 | 6 | 0 | 3 | 6 | 2 | 0 | 9 | 9 | 8.10 | 1.80 |
通算:5年 | 38 | 20 | 0 | 0 | 0 | 4 | 11 | 1 | -- | .267 | 566 | 130.2 | 105 | 10 | 84 | 1 | 9 | 112 | 6 | 0 | 67 | 60 | 4.13 | 1.45 |
記録
[編集]- 初登板:1989年10月8日、対横浜大洋ホエールズ(横浜スタジアム)24回戦、3回裏に2番手で救援登板、5回無失点
- 初奪三振:同上、4回裏にカルロス・ポンセから
- 初先発:1989年10月17日、対横浜大洋ホエールズ25回戦(広島市民球場)、6回4失点(自責点3)で敗戦投手
- 初勝利:1991年6月1日、対ヤクルトスワローズ5回戦(柏崎市佐藤池球場)、5回裏に3番手で救援登板、4回無失点
- 初先発勝利:1991年8月11日、対阪神タイガース14回戦(広島市民球場)、8回2/3を1失点
- 初セーブ:1991年9月8日、対読売ジャイアンツ24回戦(東京ドーム)、9回裏に6番手で救援登板・完了、1回無失点
背番号
[編集]- 63(1986年)
- 22(1987年 - 1993年)
- 54(1994年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 足立亘 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube