足達兼一郎
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足達兼一郎 あだち けんいちろう | |
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生年月日 | 1914年3月24日 |
出生地 | 日本 山形県鶴岡市 |
没年月日 | 1980年2月11日(65歳没) |
出身校 | 中央大学法学部卒業 |
前職 | 鶴岡市助役 |
称号 |
従六位 勲八等 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1962年8月28日 - 1970年8月13日 |
足達 兼一郎(あだち けんいちろう、1914年(大正3年)3月24日 - 1980年(昭和55年)2月11日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第9代市長。栄典は、従六位・勲八等。
略歴
[編集]- 1914年(大正3年)3月24日 - 足達準蔵の長男として鶴岡(現・鶴岡市)に生れる。
- 1931年(昭和6年) - 山形県立鶴岡中学校(山形県立鶴岡南高等学校)卒業(同窓生に白井重麿がいた。)
- 中央大学法学部卒業
- 川口市役所勤務
- 1940年(昭和15年) - 鶴岡市役所勤務
- 庶務課長
- 税務課長
- 1956年(昭和31年) - 鶴岡市助役就任
- 1962年(昭和37年) - 鶴岡市長に当選(以後2期連続当選)
- 原敬句碑建設委員会が発足(発起人:尾形六郎兵衛)し会長
- 1963年(昭和38年)10月17日 - 原敬句碑建立除幕式に出席(碑文には9月17日)
- 1967年(昭和42年) - 山形県の企画局長をしていた白井重麿を招いて助役とする。
- 1970年(昭和45年)8月 - 同職任期満了
- 1980年(昭和55年)2月11日 - 死去。余目町の下朝丸墓地に墓がある。
叙位・叙勲
[編集]参考文献
[編集]公職 | ||
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先代 松木侠 |
鶴岡市長 第9代:1962年 - 1970年 |
次代 白井重麿 |