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野崎昌一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
のざき まさかず
野崎 昌一
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 埼玉県浦和市(現:さいたま市
生年月日 (1955-07-11) 1955年7月11日(69歳)
最終学歴 慶應義塾大学
所属事務所 フジ・メディア・テクノロジー
職歴フジテレビアナウンサー〈1979年 - 2001年〉、広報局宣伝部長→経営管理局関係会社調整室業務部長→グループ事業推進局関係会社調整室業務部長→フジ・メディア・ホールディングス経営管理局投資管理部長→投資戦略部長→ネクステップ執行役員
活動期間 1979年 - 2001年(フジテレビアナウンサー)
2019年 - (フリー)
配偶者 独身(離婚歴あり)
公式サイト プロフィール
出演番組・活動
出演経歴 本文参照

野崎 昌一(のざき まさかず、1955年(昭和30年)7月11日 - )は、フジ・メディア・テクノロジー(旧東京フイルム・メート)所属のフリーアナウンサー。元フジテレビアナウンサー。元ネクステップ執行役員。

来歴・人物

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埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身。高校生時代にマンドリンクラブの卒業公演の司会を務め、周りからは好評だったが自分では納得出来ず、入学した慶應義塾大学では、喋りを勉強しようと放送研究会に入る[1]。父が銀行員だったということもあり同じく志望していたが、フジテレビのアナウンサー試験に合格し[1]、卒業後の1979年同社入社[1]2001年にアナウンス室から広報局広告宣伝部長に異動。アナウンサーとしての最後の実況は北海道での巨人戦であり、試合が長引き帰りの飛行機に間に合わなくなりそうだった森昭一郎に代わりサブで控えていた野崎の代打実況であった。2005年経営管理局関係会社調整室業務部長、2006年グループ事業推進局関係会社調整室業務部長を経て、フジ・メディア・ホールディングス経営管理局投資管理部長に異動。投資戦略部長を経て、2012年6月8日付で、フジ・メディア・ホールディングス製作子会社のネクステップ執行役員に就任。

長らくスポーツアナウンサーとして活動した。1987年よりフジテレビが全戦中継を開始したF1グランプリの記念すべき第1戦実況を担当[1]。その後もプロ野球中継などで活躍する傍ら、1988年の春の改編で、佐々木信也に替わる平日の「プロ野球ニュース」総合キャスターに起用された[1]。ちなみに入社後初めての仕事は、佐々木時代の『プロ野球ニュース』の提供読みである。2019年からはCSフジテレビNEXTのF1グランプリ中継に復帰し、BSフジのスーパーフォーミュラの実況も担当する(スーパーフォーミュラの実況については2021年を以て終了)。また、同時にフジテレビ子会社である東京フイルム・メート(現在のフジ・メディア・テクノロジー[2]にも所属する。

家族は、松田朋恵(元フジテレビアナウンサー)との間に長男・長女。その後、協議離婚。

アナウンサーとしての出演番組

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報道・情報番組

期間 番組名 役職 担当日
1980年4月2日 1984年9月26日 3時のあなた 司会 水曜日
1988年4月1日 1992年3月31日 プロ野球ニュース キャスター 平日
1994年10月3日 1995年9月29日 FNNニュース2:00 シフト勤務キャスター (交替制)

バラエティ番組・その他

脚注

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  1. ^ a b c d e DVDマガジン『プロ野球ニュースで綴るプロ野球黄金時代 Vol.10「昭和球場物語Part.2」』(ベースボール・マガジン社)p.30 - 31「野崎昌一インタビュー」より。
  2. ^ 前述の近藤、堺正幸福井謙二松尾紀子向坂樹興塩原恒夫小野浩慈田代優美、系列局の仙台放送に在籍していた浅見博幸の9人も野崎同様に所属。

外部リンク

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