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門司ゴルフ倶楽部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
門司ゴルフ倶楽部
Moji Golf Club
門司ゴルフ倶楽部
門司ゴルフ倶楽部の空中写真。
2009年4月29日撮影の4枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。 地図
所在地 日本の旗 日本
福岡県北九州市門司区大字吉志175番地番地
座標: 北緯33度51分48.39秒 東経130度57分9.71秒 / 北緯33.8634417度 東経130.9526972度 / 33.8634417; 130.9526972
概要
開業 1934年昭和9年)11月3日
運営 メンバーシップコース
設計 上田 治
運営者 社団法人 門司ゴルフ倶楽部
コース

OUT IN
HOLE PAR YARD HOLE PAR YARD
1 4 380 1 5 525
2 5 495 2 3 225
3 3 210 3 4 420
4 5 565 4 4 340
5 3 170 5 4 360
6 4 410 6 4 395
7 4 415 7 5 520
8 4 350 8 4 330
9 4 400 9 3 190
36 3395 36 3305

その他
公式サイト 門司ゴルフ倶楽部
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門司ゴルフ倶楽部(もじゴルフくらぶ)は、福岡県北九州市門司区にあるゴルフ場である。

概要

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昭和初期、門司市長商工会議所などが、「門司にもゴルフ場を」と動いたことに始まる[1]門司港は国際港で、大連青島台湾などから来た人たちが、小倉競馬場内の小さなゴルフ場の「北方リンクス」でプレーした[1]。総鎮守甲宗八幡宮神官が、ゴルフ場用地にと櫛毛山麓松ヶ江村吉志の山林を探してきた[1]

コース設計は、「廣野ゴルフ倶楽部」の役員・高畑誠一が、廣野ゴルフ倶楽部にいた上田治に設計をやらせた[1]1934年(昭和9年)11月3日、9ホールのコースが完成、仮開場された[1]。翌1935年(昭和10年)、クラブハウスが落成した、屋根は茅葺屋根の2階建てであった[1]

1943年(昭和18年)3月、軍命令でコースが閉鎖され、築城曽根両飛行場にを供出するため兵舎が建てられた[1]米軍第24師団長・マコーリー中将は荒れたコースの改修を行った[1]

1950年(昭和25年)7月、9ホールが復活した[1]1951年(昭和26年)頃より、9ホールの増設計画が開始され、1953年(昭和28年)3月5日、9ホール増設工事が着工された[1]。同年11月3日、9ホール(現・アウトコース)が完成し、18ホール規模のゴルフ場が正式開場された[1]1960年(昭和35年)6月、名物のクラブハウスの茅葺屋根が「防災上難点がある」と姿を消した[1]

上田の代表的な8コースで「上田治クラシック会」を結成している、地域を越えてお互いにゴルフを楽しみ、会員間の親睦交流をはかり、倶楽部運営の活性化の一助としている[2]。「門司ゴルフ倶楽部」(福岡県、1934年(昭和9年)開場)、「大阪ゴルフクラブ」(大阪府、1937年(昭和12年)開場)、「古賀ゴルフ・クラブ」(福岡県、1953年(昭和28年)開場)、「下関ゴルフ倶楽部」(山口県、1956年(昭和31年)開場)、「奈良国際ゴルフ倶楽部」(奈良県、1957年(昭和32年)開場)、「小野ゴルフ倶楽部」(兵庫県、1961年(昭和36年)開場)、「茨城ゴルフ倶楽部」(茨城県、1962年(昭和37年)開場)、「広島カンツリー倶楽部」(広島県、1963年(昭和38年)開場)[2]

所在地

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〒800-0114 福岡県北九州市門司区大字吉志175番地番地

コース情報

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  • 開場日 - 1934年11月3日
  • 設計者 - 上田 治
  • 面積 - 610,000m2(約18.4万坪)
  • コースタイプ - 丘陵コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,700ヤード、コースレート、メイン71.9、サブ69.8
  • フェアウェー - コウライ
  • ラフ - ノシバ
  • グリーン - 2グリーン、コウライ
  • ハザード - バンカー60、池が絡むホール5
  • ラウンドスタイル - 全組キャディ付、歩いてのラウンド、1組4人が原則、状況によりツーサム可
  • 練習場 - 10打席30ヤード
  • 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日、8月15日[3]

クラブ情報

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ギャラリー

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交通アクセス

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鉄道

道路

エピソード

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  • 「門司ゴルフ倶楽部」のコース設計をした上田治の設計図には、「下関要塞司令官検閲済」の捺印がある[6]
  • 「門司ゴルフ倶楽部」は、高畑誠一、上田治を介して「廣野ゴルフ倶楽部」と縁が深い[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「昭和9年、国際港「門司」に待望のゴルフ場が完成。上田治設計で「小廣野」と呼ばれた」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年3月23日閲覧
  2. ^ a b 「下関ゴルフ倶楽部」、上田治クラシック会、2021年3月23日閲覧
  3. ^ 「門司ゴルフ倶楽部」、ゴルフダイジェスト、2021年3月23日閲覧
  4. ^ 「門司ゴルフ倶楽部」、ゴルフホットライン、2021年3月23日閲覧
  5. ^ a b 「門司ゴルフ倶楽部」、交通アクセス、2021年3月23日閲覧
  6. ^ a b 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「昭和9年、国際港「門司」に待望のゴルフ場が完成。上田治設計で「小廣野」と呼ばれた」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年3月23日閲覧

関連文献

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  • 『ふるさと飛行 福岡県航空写真集』、「門司ゴルフ倶楽部」、福岡 西日本新聞社、1983年10月、2021年3月23日閲覧
  • 『ゴルフ場ガイド 西版』、2006-2007、「門司ゴルフ倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2006年5月、2021年3月23日閲覧
  • 『北九州地域における戦前の建築と戦後復興の建築活動に関する研究』「門司ゴルフ倶楽部」「門司ゴルフ倶楽部のレーモンドへの設計依頼の経緯」「門司ゴルフ倶楽部の建築」、尾道健二・内田千彰・開田一博執筆、北九州 北九州産業技術保存継承センター、2010年3月、2021年3月23日閲覧
  • 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「昭和9年、国際港「門司」に待望のゴルフ場が完成。上田治設計で「小廣野」と呼ばれた」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年3月23日閲覧
  • 『昭和戦後の西洋館 九州・山口・島根の〈現代レトロ建築〉』、「門司ゴルフ倶楽部クラブハウス」、森下友晴著、福岡 忘羊社、2015年2月、2021年3月23日閲覧

関連項目

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外部リンク

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