コンテンツにスキップ

飯田三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

飯田 三郎(いいだ さぶろう、1912年大正元年)12月20日 - 2003年平成15年)4月24日)は、昭和期作曲家北海道根室市出身。

経歴

[編集]

初め、独学で作曲を学ぶ。根室商業学校卒業後上京し、作曲を池内友次郎、指揮を山田和男に師事する。

同じ根室出身で、根室商業学校の先輩でもある作詞家高橋掬太郎と組み、「啼くな小鳩よ」「ここに幸あり」などの楽曲を作った。故郷を愛し、交響組曲「北国讃歌」等の根室に関連する曲を数多く作った。

1973年、ミサ曲が認められ、ローマ法王庁より褒状を授与される。

根室市総合文化会館1階には飯田三郎資料展示室がある(2022年11月26日に根室市図書館から移転)[1]

代表曲

[編集]

クラシック作品

[編集]
自ら指揮した録音がキングレコードよりCD化されたことがある。演奏:ロイヤルフィル(国内の臨時編成楽団)、合唱:東京ソフィア混声合唱団三味線千藤幸蔵

映画音楽

[編集]

大衆歌謡

[編集]
  • 『啼くな小鳩よ』(1947年1月)[作詞:高橋掬太郎、歌:岡晴夫
  • 『かりそめの恋』(1949年9月)[作詞:高橋掬太郎、歌:三条町子
  • 『東京悲歌』(1951年11月)[作詞:高橋掬太郎、歌:三条町子]
  • 『ワンダフル娘』(1952年9月)[作詞:上田たかし、歌:江利チエミ
  • 『ここに幸あり』(1956年5月)[作詞:高橋掬太郎、歌:大津美子
  • 『山陰の道』(1956年11月)[作詞:高橋掬太郎、歌:若原一郎
  • 『丘にのぼりて』(1957年9月)[作詞:高橋掬太郎、歌:若原一郎]
  • 『夜霧の滑走路』(1958年7月)[作詞:横井弘、歌:三船浩
  • 『小樽の赤い灯が見える』(1961年3月)[作詞:内村直也、歌:三船浩]
  • お嬢さん』(1961年1月)[作詞:三島由紀夫、歌:中原美紗緒
  • 北海流れ節』(1978年)[作詞:小町まさあき、歌:三橋美智也

その他

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 根室の飯田三郎資料室26日オープン 生誕110年で文化会館に移転”. 北海道新聞 (2022年11月24日). 2022年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月24日閲覧。

外部リンク

[編集]