1971年のABAプレーオフ
シーズン | 1970–71 | ||
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出場チーム数 | 8 | ||
優勝 | ユタ・スターズ (1回目) | ||
準優勝 | ケンタッキー・カーネルズ (1回目のファイナル出場) | ||
セミファイナリスト | |||
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1971年のABAプレーオフは、アメリカン・バスケットボール・アソシエーション (ABA) の1970-1971シーズン後のポストシーズン・トーナメントである。本大会では、ABAファイナルで西地区優勝のユタ・スターズが東地区優勝のケンタッキー・カーネルズを4勝3敗で破り、幕を閉じた。
ディビジョン セミファイナル | ディビジョン ファイナル | ABAファイナル | |||||||||||
1 | インディアナ・ペイサーズ | 4 | |||||||||||
3 | メンフィス・プロズ | 0 | |||||||||||
1 | インディアナ・ペイサーズ | 3 | |||||||||||
ウェストン・ディビジョン | |||||||||||||
2 | ユタ・スターズ | 4 | |||||||||||
4 | テキサス・チャパラルズ | 0 | |||||||||||
2 | ユタ・スターズ | 4 | |||||||||||
W2 | ユタ・スターズ | 4 | |||||||||||
E2 | ケンタッキー・カーネルズ | 3 | |||||||||||
1 | バージニア・スクワイアーズ | 4 | |||||||||||
3 | ニューヨーク・ネッツ | 2 | |||||||||||
1 | バージニア・スクワイアーズ | 2 | |||||||||||
イースタン・ディビジョン | |||||||||||||
2 | ケンタッキー・カーネルズ | 4 | |||||||||||
4 | フロリディアンズ | 2 | |||||||||||
2 | ケンタッキー・カーネルズ | 4 |
主な出来事
[編集]レギュラーシーズンの成績が30勝54敗で並んでいたテキサス・チャパラルズとデンバー・ロケッツのために、西地区4位を決める1ゲーム・プレーオフが行われた。試合は4月1日に行われ、115対109でチャパラルズが勝利した。
ABA史上初めて、レギュラーシーズンの成績が最も良かったチームがABAチャンピオンにならなかったシーズンである。インディアナ・ペイサーズはこのシーズン、58勝26敗(.690)でリーグ最高の成績を収め、西地区で最終的にリーグ優勝したユタ・スターズに1ゲーム差をつけていた。
このシーズンはABA史上初めてレギュラーシーズンのディビジョン優勝チームが2チームともABAファイナルに進出しなかったシーズンである。西地区2位のユタ・スターズが代表で、東地区でバージニア・スクワイアーズに次ぐ2位のケンタッキー・カーネルズが決勝で対戦した。
イースタン・ファイナル第3戦は、総得点287点を記録した。これは、ABAのプレーオフの試合で最も多く得点されたものであり、1992年までNBAとABAのどちらのプレーオフの試合でも最も多く得点されたものとなった。
1971年5月18日、ユタ州ソルトレイクシティのソルトパレスで行われたABAチャンピオンシップシリーズのユタ・スターズ対ケンタッキー・カーネルズの第7戦には13,260人のファンが来場した。スターズが131対121で勝利した後、ファンたちはフロアに押し寄せ、20分間コートに溢れかえり、ウィリー・ワイズとゼルモ・ビーティはユタ州のファンの肩に担がれてフロアを去った[1]。また、本大会ではビーティがABAプレーオフMVPに選出された。
脚注
[編集]- ^ Remember the ABA: Utah Stars Archived 2008-12-18 at the Wayback Machine.